「ケアプラン」は利用者のためだけのもの!?

 「ケアプラン」とはない何か?

「ケアプラン」を理解するには、介護保険制度の誕生を知っておく必要があります。

2000年よりも前、老化による心身の変化も「医療」の担当でした。

つまり、生活に何か支障を感じたら「病院に行こう!」という発想です。

しかしそうなると高齢化が進む日本では病院の業務が膨大になり、まして自宅での生活が難しい場合に病室で預かることにも限界があるでしょう。

どうにか医療的処置を望む人と、老化に伴う支援を求める人を区別し、病院の負担を軽減する必要がありました。

当時も行政による「措置制度」として高齢者を支える取り組みが実施されていました。

一方で伝統的には何世帯も一緒に住む家族があって、高齢となったおじいちゃん、おばあちゃんもいるのが特別ではありません。

実際にはここにもいろいろな問題や苦労があるのですが、それは別の機会として、高齢者支援は個々の家庭で支えられていたのです。

それ故に「措置制度」による支援は特別なもので、「介護してくれる人がいない」ような場合にお世話になる場所とも言えたのでしょう。

いずれにしても、介護保険制度の誕生は、医療機関の負担を軽減し、膨らみ続ける「医療費」に何らかの修正が求められたのです。

つまり、機能的な役割を担う介護施設を設置することで、医療機関の負担軽減だけでなく、家庭による介護、また高齢者の健康維持に目を向けることとなりました。

さて、ここで「ケアプラン」が登場します。

「ケアプラン」は公的な介護サービスの中からどんなサービスをどのような形で受けたいかを示すもの。

つまり、これからサービスを受けたい高齢者のために考えるものでもあります。

しかしながら、高齢者一人で自分の「ケアプラン」を立てるのは難しいことですし、どのような公的サービスがあるのかも分からないでしょう。

そこで「ケアマネジャー」と呼ばれる立案のプロが無料でサポートしてくれます。

ここでもこの「無料」が様々な立場から論点となっていますが、それについてもまた次回ということで。

「自分にとってどんな未来を望むのか?」

やはり考えるスタートはここからでしょう。

家族と暮らし続けたい人、趣味がある人、ボランティアや地域社会と繋がりがある人、それ以外にもその人の環境はそれぞれに異なります。

「何をしたいと言われても…」

一方で、特に希望らしいものもなく、今の生活に何かの支障はあるが、それが改善されるならそれでいいという人もいます。

ただ、「今の生活を維持できたら」が難しくなってしまうのが「加齢による変化」とも言えます。

だからこそ、健康管理や社会とのつながり、自分や家族との関係や生きがいなどをどう作り維持して行くのかを考えなければいけません。

しかし、ケアマネジャーはプロの立案者ですが、多くの利用者を担当していて、しかも中には介護スタッフとしても就労していたりで、とても忙しいのが実情です。

感覚的なことを言えば、新規でケアプランを立てるにあたり、対象となる高齢者と過ごせる時間は三日とありません。

高齢者とその家族を交えて話をし、今の暮らしぶりを確認したら、軽くそれぞれの意向を聞き、先ずは「在宅介護」なのか「施設介護」なのかを決定します。

お気づきの人もいるかもしれませんが、在宅で行える公的サービス、施設で行える公的サービスというものが決まっていて、その中から「選ぶ」に過ぎません。

では施設を選んだとしたら、次はいくつかある施設の中から好みを「選ぶ」ことになります。

自宅の場合には、リハビリや入浴でデイサービスを使ったり、自宅にヘルパーを招き、料理や洗濯、さらに買い物、掃除の他、病院への見送りなども「選ぶ」ことになります。

ここで今回の記事で取り上げるテーマなのですが、「ケアプラン」は利用者のためだけなのかということ。

表向き、ケアプランはサービスの利用者を考えて決められるものです。

しかし、家族支援の状況によってもケアプランの内容が変化するのは当然ですし、家族から「変更」を求められることも起こり得る話です。

介護保険制度を熟知しているケアマネジャーだとしても、支援の前提となると話し合いに深く関わることは立場的にも時間的にも困難でしょう。

その際に起こり得るのは「パターン化したケアプラン」の登場です。

例えば「デイサービスは週に3回利用する」と、具体的に示すことで、本人の意向が具現化されていきます。

さらに、デイサービスやその施設で働くスタッフとしては、多くの利用者が毎日訪れてきます。

「こんにちは!」

そんな挨拶もそこそこに、施設毎で定めたスケジュールをベースに個々の利用者に合わせた支援が実施されます。

例えばスタッフとして利用者が訪れた理由や目的を十分に理解できていれば、それに合わせた支援が実施されるでしょう。

一方で、スタッフの経験が浅いと、十分に目的を理解できずに、今までの流れやパターンでサービスを提供してしまうでしょう。

このような場合も、どこまでスタッフが利用者に寄り添い、目標や目的に合わせた支援が行えるかがポイントです。

というのも、施設ではある程度の業務スケジュールが定めてあって、それに合わせてスタッフも働きます。

良い施設、良いスタッフがいるとは、その対応に柔軟さがあり、幅広い視点から利用者を支えることができます。

しかしながら、介護保険による報酬は十分とは言えず、どうしても考慮的に業務を行う場面があり、スタッフとしても全てに応じるられない現状があります。

また、時には急変によってサービスを一時中断せざるを得ない場合に、再開後の利用者のADLが大きく変化してしまったということは珍しくありません。

やむを得ないことだとしても、一回の事故や危険を境にこれまでの健康維持や生活環境の変化が起こってしまいます。

いわゆる「介護事故」などです。

介護現場の戸惑いは、どんなスタッフにでもあることでしょう。

というのも、「ケアプラン」に示された支援内容と現状のサービスに隔たりが生じていて、その見直しがいろいろな要因から手付かずになってしまうことが多分に起こっているからです。

入所当時、「自宅復帰」を目指していた利用者であっても、家族の諸事情で復帰を支えられなくなれば、目標は叶うことがありません。

場合によっては支援内容を見直し、それに応じた施設を再検討する必要もあります。

しかしながら、例えば在宅復帰を目指す「老健」から終の住処とも言われる「特養ホーム」に移ることは、利用者自身もそれなりに覚悟や理解が伴います。

当然、ケアプラン自体も内容が変更となり、もう「自宅に帰る」という発想はなく、いかに快適に施設での生活を送っていくかになります。

しかし、日常的な支援として、老健と特養で大きな違いがないこともあり、ほとんど目標の達成見込みがなくても老健での生活を継続してしまうケースは少なくありません。

家族の受け入れ体制が整うまでの機関というような配慮によって、時に数年を超える入所継続が続いてしまうことも現場では起こります。

しかし「ケアプラン」に従うならスタッフは、「頑張りましょう。もう少しで自宅に帰れますね」とは言わないものの、そのような気持ちを保ちつつ、支援を続けています。

時には「スタッフさん。もう戻れないんだろう?」と不安そうに聞いている利用者も少なくありません。

当然にして起こり得る話ですが、ケアプラン一つ取ってみても、なかなか奥が深い問題が隠れています。

踏み込めないことを理解すれば、スタッフも事務的に働かざる得ません。

冷たく感じる関わり方にも思えますが、ケアプラン通りには進んでいない現実と理想の狭間で、やりがいも目的も失いながら働くスタッフも多いのです。