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仕事ができる「介護士」の見分け方

 未経験者ほど知っておきたいポイントとは?

未経験に限らず、施設見学に訪れた訪問客に対して、親しげに話し掛けた介護士が、必ずしも仕事ができるとは限りません。

また、周囲の介護士からすれば、訪問客相手に時間を割くことができないこともあって、ゆっくりと話して居られるのは特別な事情でもないと難しかったりします。

つまり、未経験者はこれから勤めることになるかも知れない職場で、仕事ができる人ではなく、どちらかというと仕事が割り当てられない立場の人から施設そのものの印象を感じとってしまうかも知れないにです。

施設側にすれば人手不足もあって、どのような理由でも入職してくれたら嬉しいでしょう。

しかし、これから介護士として経験を重ね、スキルを身につけたいと思っているなら、最初が肝心なのです。

つまり、本当に仕事ができる「介護士」が働いている施設に身を置くことができれば、すぐではなくても何らかのチャンスで、「使える技術」が身につきます。

一方で、あるレベルに到達していない介護士から学べば、どこかの時点で「壁」を突破する意識が持てないと、いつまでも「介護の仕事」が浅いものになってしまいます。

そこで、職場経験が無くても、ココを見れば介護士のスキルが分かるポイントを紹介します。

それはズバリ、「配慮がある」かどうか。

利用者や同僚でも構いません。

誰かに対して話している姿を見た時に、「この人は気づかいができているなぁ」と思えれば先ずは合格です。

その際に、どこか「自分」が出てしまう人は、真面目な一面もありますが、相手に合わせて作業しなければいけない介護士という仕事では少し経験不足もあるでしょう。

つまり、一見してスムーズで、簡単そうにこなしているように見えたなら、それは列記とした技術と言え、もどかしい雰囲気がある人は勉強中の立場です。

すべての人がエキスパートでなくても、その人の周りで働くスタッフが、不慣れさもありながら相手の様子を伺う雰囲気があれば、勤める職場としては好条件です。

良い職場とは?

多分、とても明るい雰囲気でしょう。

ゲラゲラ笑っているということではなく、スタッフも利用者も笑顔で楽しそうなはずです。

それは介護士として一定レベル以上に到達しているから成せることで、未熟な支援では作業もままなりません。

つまりドタバタした雰囲気があり、笑顔だったとしてもそれはどこか嘘っぽく見えるでしょう。

「私が行きますよ!」

そんな感じで、すべてのスタッフが流動的に仕事を回せれば、仕事は確実に処理できますし、空いた時間でしっかり利用者に寄り添うこともできるからです。

というのも、作業ができる人でなければ、「寄り添い」もできません。

「寄り添い」を利用者の相手をすることを思う人もいるかもしれませんが、実際には到達したい目的があって、そのために支援があって、寄り添いもあります。

つまり、支援ができない人では寄り添いもできないことになります。

そこで、一定の作業を覚えた中級者が、その次に「寄り添い」に対して考えるのであって、作業もままならない初心者が寄り添いだけはできるなど、普通は考え難いことだからです。

仕事ができる介護士

あえて介護未経験者向けに、仕事ができる介護士を説明するとしたら、それは単純にケアプランを理解して、そこに示された目標に到達できるように利用者の意向や家族の希望を反映させるために働ける人と言えます。

そこで、例えば「歌が上手い」ということと「仕事ができる介護士」を重ねるとすれば、「歌が上手いとは何か?」から考える必要があります。

ある意味、アレンジを加えて個性を発揮するという方法もありますが、その前に重要なのは音源となる「音程」を聴き分けるスキルが不可欠です。

その上で、自身の声質や聴いた音に合わせて発声することが求められるのであって、何事も段階的にマスターしなければいけません。

介護士でも、いきなり「寄り添い」だけをマスターしようと思っても、いきなりトイレに行きたいと言い出すこともあれば、熱っぽくて気分が悪いと訴えられるかも知れません。

その度に別の介護士に担当を代わってもらうというのは、現場の現状を考えると最初から別の人が担当しても良いと言われるでしょう。

つまり、傾聴ボランティアとして活動するなら、とてもありがたいことなのですが、介護士としてはもう少しフォローもできたら嬉しいです。

無意識に歌った結果、100点満点を取れたとしても、それだけで「歌が上手い」とは判断できません。

大切なのは、その曲を理解した上で、目的を目指して望む結果を得ることだからです。

そのためには、介護士にとってケアプランが意味あるものでなければなりません。

何を支援するば良いのかさえ不明瞭な計画では動きようがないからです。

その意味では、ケアマネのスキルが伴わないと介護現場はとてもチグハグです。

それはある意味で当然の結果で、だからこそケアマネによって現場で働く介護士のやりがいも大きく変化します。

そんな中で、勝手な支援をしても、決して仕事ができるとは言えないように、その場の処理が上手くても、本来なら価値はありません。

つまり、「寄り添い」の目的が理解されないままで、利用者が笑顔になったから寄り添うのが上手いとは判断できないのです。

さまざまな支援をマスターし、支援の意味や目的に目を向けるようになって、初めて「寄り添い」方に工夫が必要なことを知るからです。

もしも、不穏な状態が続く利用者が、いつからか自然な笑顔で落ち着いた暮らしが送れるようになり、それを見た家族も満足しているような状態になれば、介護士としての関わる方が評価されたと言えるでしょう。

つまり、その場限りの支援は、それほど重要ではありませんし、継続的に支援をするのはとても大変です。

その意味では、週一勤務では補えない部分ですし、常勤としていろんな時間帯で働いてみなければ、分からないこともあります。

一部しか知らない状況では、そもそも「仕事ができる」のかも判断できないほど、介護士の評価は簡単ではありません。

それでもなお、「配慮」や「思いやり」を感じる人は、介護士としても評価されるでしょう。

未経験者が介護士として働く時に覚えるべきこと

優先順位をつける

こみち自身も未経験からの入職だったので、介護士の仕事が全く理解できていませんでした。

しかし、ある程度の仕事を覚えたからこそ、初日に優先した覚えておけばと思ったことがあります。

そこで、介護士として働くなら意識したいポイントを紹介しましょう。

担当することになった職場にいる人の名前を覚える

こみちの場合、初日に挨拶を交わした職場の先輩方の名前をメモしました。

しかし、メモすることを禁止され、その場で書くことができなかったことも覚えています。

教えることもある立場になってメモを禁止した理由を考えると、介護士は現場に目を配ることが求められるので、メモばかり気を取られないように配慮したのかもしれません。

いずれにしても、スタッフの名前はもちろん、利用者の名前もできるだけ覚えるようにしました。

施設によって異なりますが、少なく場合には10名程度。

多い場合には100名くらいということもあります。

1日で100名は流石に難しいですが、特徴的な人を10名くらいは覚えるようにしましょう。

端から順に覚えるよりも、各エリアの代表的な人を覚えることで、結果的に早く名前を覚えられるからです。

「〇〇さんと同じテーブルの赤い服の女性」

という感じで関連づけると、髪型とか話し方とか、一見した時には気づかなかった特徴で、識別できるようになります。

それでも早い人は半日で、遅くとも2日くらいで名前は覚えたい所でしょう。

時刻を確認する

何か作業を行った時に、「時刻」を確認するようにしましょう。

というのも、「タイムスケジュール」は介護士にとって大切で、何時ごろに何をしていたという意識があるかないかでその後の仕事を覚えるスピードが異なるからです。

初日の勤務を終えた後

きっと初日の勤務を終えた頃はどっと疲れるでしょう。

しかし、その日に何時頃に何をしたのかをメモに書き起こします。

そうすることで、職場でも時刻によって何をしなければいけないかを意識づけしたいからです。

細かな流れに意識を向ける一方で、タイムスケジュールとして何をすればいいのかをメモしておくと、「何をしていれば良いのか」が明確になります。

3日くらいを目標に

すべての作業ができなくても良いのですが、1時間単位くらいの括りで「今は何をする?」が分かるようにしましょう。

このベースを優先して作ることが大切です。

と言うのも、これが分からない新米介護士は、職場でウロウロする姿が多くなります。

そして、意識しなければ、1ヶ月経ってもその姿に変化はなく、場合によっては職場に馴染めないと思うこともあるからです。


上手な声掛けが得意な介護士とは?

 声掛けが苦手に見える介護士とは?

「声掛け」には、相手との距離感が大切です。

きっとこのような説明は、教科書や解説本などでも頻繁に見られるでしょう。

こみち自身、介護技術よりも「寄り添い」の面で評価されることが多く、その理由を教えてみると意外な事実に気付かされました。

少しこみちのことを説明することにしましょう。

幼少期、両親が共働きだったこともあり、兄弟だけでの食事を長く経験しています。

中学生だった姉が、学校帰りにスーパーで買い物をし、夕飯を作ってくれることが当たり前になっていました。

そんなこともあって、当時は携帯電話もなかったわけですが、スーパーの入り口で待ち伏せして姉が買い物袋を持って出てきたところに駆けつけるのです。

男と女とはいえ、中学生の女子と小学低学年の弟では力の差も歴然です。

姉を助けようと思っても、いざ買い物袋を持とうとすると重くて大変だった記憶ががあります。

この時、誰かを助けようと思う気持ちと、助けになるのは簡単ではないことを学びました。

このような体験は、中高年になっても覚えているもので、立場が弱かったり、少し後ろめたさを感じていたりする相手に対してもどう接することが求められるのか察することに繋がります。

言い換えれば、「寄り添い」を仕事として学ぶことになる人は、子ども時代に大きな不自由を感じることなく過ごすことができたのかもしれません。

こみちの場合、学校の担任教師から「こみちは大人の顔色を見ている」と親に伝えたそうで、今にして思えばよく観察した発言ではありますが、それを教えられた親はどんな風に感じたのだろうかも気になるところです。

とは言え、それを告げた担任教師もきっとまだ20代の若い先生です。

大学で教育学を学んだとは言え、人間関係や様々な家庭事情を考慮した対応は、これからの課題だったのでしょう。

実際、初任者研修や実務者研修では、介護技術としての「技」も学びます。

しかし介護がいろいろな家庭事情に合わせる必要があることを踏まえると、介護者の経験値が問われます。

その意味では順調な人生を送った人よりも、苦労してきた人の方が得意だったとしても納得できるでしょう。

つまり、介護士で寄り添いを苦手とする人は、それだけ「幸せ」だった人でもあります。

そうではないと反論する人もいるかもしれません。

しかし、物質的に満たされたという意味での「幸せ」ではなかったとしても、「マイペース」が許される環境だったのではないでしょうか。

というのも、介護現場で寄り添い方を観察した時に、「この人は上手いなぁ」という人もいますが、「大丈夫?」と思ってしまう人もいます。

そんな方に共通するのは、自分のペースで接する姿勢が感じられることです。

それでも相手が合わせてくれれば良いのですが、そうではないこともあります。

そんな時に、介護士と利用者が上手く意思の疎通ができずに、トラブルを招いたりするのです。


認知機能の回復は可能なのか?

 介護現場で体験したこと

その利用者は、いろいろ種類があると言われる認知症の中で、「レビィー小体型認知症」と診断された方でした。

このレビィー小体型認知症とは、幻視が見られるなどの特徴がありますが、「レビィー小体」と呼ばれるタンパク質で構成される構造体が脳内の至るところに蓄積され、それによってもまた現れる症状に違いが見られるそうです。

我々には見えない物や人が見えているかのように、視線がある方向に向けられたまま、何か手を伸ばしたり動かししたり、「それそれ」などと言って話しかけたりする様子も知っています。

今回、紹介する方は男性の利用者ですが、レビィー小体型認知症の多くは男性らしく、逆にアルツハイマー型認知症は女性の方が多いと言われます。

先週くらいから認知機能の低下が顕著になり、介助に入る介護士を拒絶することも増えました。

特に強要されることに敏感で、機嫌を損なうとしばらく手がつけられなくなるほどでした。

薬物治療も検討される中、こみちとしては関わり方に変化をつけ、利用者が心を開き安い環境を目指しました。

これは今回のケースに限ったことではないのですが、特に男性利用者の場合、信頼されるか否かは大きな問題です。

そこで、いつも以上にターゲットとなった利用者を徹底的に観察し、行動や仕草から次の行動を予測できるようにして、先回りすることでシームレスなケアを目指しました。

その結果、利用者から拒絶反応はなく、顔を見えれば言葉は無明瞭でもしっかりと訴えてくれるまでになったのです。

特にこれまで着座さえ拒んでいたトイレ誘導でも、的確に指示を出すことで安全に立位から移乗へと誘導できるまでになりました。

さらには、レクリエーション中に拍手をしたり、一緒に手拍子を打つことも部分的とはいえ見られるようになり、数週間前の様子とは見違えるほど変化しています。

特に表情が柔らかくなり、冗談にもしっかり反応してくれるほどで、レビィー小体型は体調によっても症状の現れ方に差が大きいという特徴にも合致します。

もっとも、回復が見られるとしても、今後全ての日常生活を一人で行えるという意味ではなく、介助者の関わりに対して拒絶反応を示すことなく、笑顔で従ってくれるという意味に過ぎません。

しかし、数日前まではまだその対応策も具体的ではなかっただけに、現状の傾向には明るい兆しも感じられると言えます。

何より、不明瞭ではあるものの、歌声につられて口をモゴモゴさせるなど、歌に合わせて反応する様子も確認できています。

今後、さらにコミュニケーション能力に変化が見られれば、症状を抑えた暮らし方が目指せるかもしれません。

介護士という立場でも、施設の方針によっては利用者としっかり向き合えるので、表面的な介助に終わらない踏み込んだ介護もできるのはやりがいに繋がるでしょう。

介護現場で起こり得ること「利用者の終末期」

 生があるから

介護現場が担うのは、これまでの生活を維持することが困難になった利用者を支えることです。

その程度によっては、今もなお自宅に住みながら、必要な支援だけを受ける「訪問介護サービス」という形態もあります。

一方で、生活の大半を支援してもらう必要がある場合には、自宅での生活を続けるよりも、介護施設に生活基盤を移した方が好ましい場合も出てきます。

つまり、介護士として働く場合、本来なら利用者の暮らしに則したケアが求められるのですが、施設で働く場合にはもう少し画一的なサービスでも対応可能です。

そこで、初めて介護士として働く場合には施設での経験を重ね、その後により個別的な支援が求められる訪問介護へと進むのが理想でしょう。

しかし、施設介護でも訪問介護でも、忘れていけないことは、誰もが生まれたからにはいつか迎えが来るという事実です。

中高年の我々くらいになれば、生命に大きな影響を与える病が迫って来るかもしれません。

まして抵抗力の面で、中高年の時よりも低下が見られるであろう高齢者は、より厳格なサポートが求められます。

「これまでありませんございました。皆さんによろしくお伝えください」

これはこみちが先輩介護士から聞いたある利用者との記憶です。

要介護は5で、生活のほぼすべてを介護士がサポートしなければいけない方です。

しかし、聞いた話では、体調の優れた日には呼び掛けにも応じてくれたそうで、「いい天気ですね!」とベッド上から外を眺めて会話もしていたと言います。

そんな利用者が口にした「これまでありがとう」という言葉。

そしてその利用者は病院へと運ばれて、施設からは「退所」という形になったそうです。

すべてとは限りませんが、介護施設で働く介護士の場合、退所された利用者のその後を知る手段は基本的にはありません。

あるとすればケアマネなどから、何かの折にその後を耳にした時でしょう。

「家族葬だった」とか、「最後まで施設での思い出を話していた」など、直接的には明かされなくとも、「その後」がどのようなものだったかを知る機会は無いとも限りません。

「これまでありがとう」

と言い残した利用者を考えると、我々介護士の仕事はいつも一期一会なのだと感じます。

「次にしよう」で間に合えば良いのですが、時に巡り合わせ次第ではもう「次」が巡って来ないこともあるからです。

介護士の仕事が「重い仕事」というよりも、より人生の大切な時期に寄り添う仕事だと感じるべきです。

医師でさえ、すべて人を救えるとは限りません。

まして医療的な知識も技術も持ち合わせていない介護士ができることはそもそも限られた範囲です。

しかし、その範囲の中でできる最大限の支援はあって、それにどこまで近づけるかが介護士としての目標でしょう。

「ありがとう」という言葉は同じでも、何かされてお礼として言う言葉でもありますが、人生の終末期に改まって告げる時は、もっと重い意味合いになります。

先輩介護士からの話を聞いて、こみち自身も同じような経験はありますが、介護士という仕事がとても誰かの役に立つことを改めて知ることができました。


介護現場から学ぶ「中高年が目指すべき介護」とは?

 利用者から学ぶこと

介護として利用者に接していると、彼らはいろいろな話を記憶から引き出してくれます。

その記憶も、幾度も繰り返すうちに、真実とは異なった内容に変化しているかもしれません。

また、同じような話を、登場人物や背景が変わり、繰り返されることもあります。

しかし、ここで我々中高年が注目するべきポイントは、彼らの一貫性に欠いた話を無下に扱うことではないのです。

むしろ、人間としての記憶や思考のメカニズムを理解するための「尊い経験」に活かしましょう。

例えば、施設で暮らすということで、どれだけ身の安全が確保されたでしょうか。

一方でどれだけの自由やプライベートが削られて、自尊心が傷つけられたのでしょう。

「NO!」と言ったのに、それが全く尊重されることなく、半ば無理矢理に従わされる事態になったら、どれだけ絶望感に包まれるでしょうか。

施設における介護で最も気をつけるべきことが、利用者の人権侵害で、性別や容姿、経済的理由によって異なった扱いを受けることがあってはいけません。

しかしながら、加齢による心身機能の低下は、その本人すら気づかないほど、かつての日常を維持することが困難になります。

「ダメでしょう!」

介護士は間違えたことをそんな風に指摘するかもしれません。

しかし、「上手く出来なくなってきた」からこその介護施設なのです。

現場に問題を持つ込み、担当する介護士だけに押し付けるのもまた、とても荷の重い行為でしょう。

実際には、施設側や担当するケアマネがどこまで状況を分析し、適切な手段を用いて介護サービスを選択できるかです。

そのためには、一定レベル以上の技術や知識を持った介護士が不可欠なことは言うまでもありません。

だからこその人材育成なのですから。

そして何より、我々自身が老いていけば、同じような問題に直面し、今後はされる側として介護に関わることになります。

つまり、介護士として感じる問題点は、とても表面的に解決することもできますが、根本を辿ればみんな同じような要因から派生していると分かるでしょう。

1つの仮説

例えば、1から100までの症状があって、日頃介護士は様々な利用者の支援に奮闘しているとしましょう。

ある介護現場では、「1」や「5」や「78」と言った幾つかのケースに対応できる一方で、「2」や「8」、「76」といった、一見同じように見えるけれど異なったケースでは思うような成果を発揮できていません。

そこで、一つには個人で、施設で、どんなケースに対応できるのかを知るべきですし、また苦手なケースにも目を向けなければいけません。

また、まだ遭遇していないケースでも、適切なアプローチを試みることができるだけの知識や技術を日頃から身につけるようにしたいものです。

そのためには、断片的な知識を増やすよりも、系統だった知識にまとめ、日常的な支援でもしっかりとフィードバックできることが大切なのです。

しかし、残念ながら、多くの介護士は全体像も、系統的な支援という意識も持っていないのがこみちを含め現実です。

その背景には、施設側の認識にも目を向けなければならず、そこを乗り越えることができれば、より的確な支援ができるようになると感じます。

1つの知識が万能ということはなく、様々なケースの中で適合する支援を導き出していく。

一見するととても困難に感じますが、ある意味、その時にこそ支援を強化するべきだったというターニングポイントがあるはずだからです。



高齢者介護を理解する「基本パターン」とは?

 高齢者に共通している心境とは?

新米介護士にとって、利用者と呼ばれる「高齢者」がどのような心境なのかを知ることは大切です。

おじいちゃんとか、おばあちゃんというようなイメージではなく、施設で暮らす利用者としての高齢者がどのような人々なのかを少し紹介します。

もしもこの記事を中高年と呼ばれる40代以降の方がご覧になっているなら、自身にも老化現象の傾向を感じるのではないでしょうか。

一方で、まだ20代や30代の方は、なんとなく「老化」という言葉を耳にしていて、疲れやすいとか身体硬くなったなどの症状をイメージするかも知れません。

実際、中高年であるこみちにとって、老化現象は起こっています。

ざっとあげれば、体力や集中力、根気もなくなりました。

また記憶力についても同様です。

しかし考えるべきことは、それら個々の症状ではではありません。

若い人にイメージしてもらうなら、とても狭いテーブルでいろんな作業をしなければいけなくなった時が適当でしょうか。

何か始めなければいけない。

そのイメージはあります。

しかし、狭いテーブルには既に幾つもの荷物が乗っていて、何か新たに始めるにはその荷物を片付けるところから始めるしかありません。

しかし、それを理解できない介護士は、「こっちですればいいでしょう!?」と広いスペースに誘導しようと試みます。

ですが利用者は、どうにももたもたして始めるにも時間が掛かります。

時間が掛かる理由は、「スペースを確保している」からです。

若い人なら一瞬で終えられることでも、時に利用者は5分も10分も掛かってしまいます。

理由は同じですが、ほぼ何に関しても「瞬時」にできることがなくなってしまうのが老化現象がより進行した場合です。

理解として高齢者における「リハビリ」は、若い人のように「回復」ではなりません。

むしろ、「維持」だと言えます。

1日の中でほとんど他人と話さない生活環境を送っていると、「言葉」を使わないことに慣れてしまいます。

何をするにも言葉でイメージするのではなく、感覚で理解しているからです。

当然、誰かに何かを伝えようとするとき、今まで以上に上手く伝えられなくなってしまいます。

特に男性は女性に比べて話す相手が限られていることもあって、言葉を使うことが少ない傾向にあります。

そうだとすれば、老化現象を進行させないためにも介護士は利用者に積極的に会話することが必要です。

「ジュースにしますか? お茶にしますか?」

何も言わずにどちらかを提供すれば、作業効率は上がります。

しかし、そこは時間が掛かっても質問することで、利用者は自分で考えて言葉を使おうとします。

1日2日ではあまり差が見られませんが、早ければ数ヶ月、半年も経過する頃には、利用者の表情に違いが出てきます。

実際、認知症の傾向にある利用者には2パターンあって、思考力の低下や言葉の明瞭さで見た目の症状に差があります。

認知症傾向にある利用者は、何かしたくてもできなかったり、時間が掛かったりします。

またできるできないは思考力に関係すると思いますが、言葉を適切に使えるかどうかもポイントです。

思考力の低下が顕著でなければ、言葉が出てこないなどの問題はあっても、その人は自分で何かできるでしょう。

しかし、思考力の低下があると、今までできていたことが急にできなくなったり、少しでも条件や状況が変化するとできません。

なぜできないのかを言葉で説明できれば良いのですが、先に言葉が使えなくなっていると急にうまく説明できるはずもなく、時に感情的に起こり出したり語気を強めてモヤモヤした心境を爆発させます。

介護士としては、「待ってみる」という方法もあれば、「時間があるので急がなくて大丈夫ですよ」と安心させる声掛けも有効でしょう。

時には介護士自身が予測して、言葉や動作を示しても良いはずです。

その際、トイレや食事などの話題が多く、また家族などを心配していたりもします。

また、あまり喋らないからと言って、思考力が低下しているとは限りません。

つまり、介護士が油断して他の利用者の評価につながる言葉を発すると、それが何を意味しているのか理解し記憶しています。

気をつけるべきは、寝たきり状態だったり、聞こえたいない思い込んでの発言で、介護士自身の評価を下げかねません。

実際、ある利用者から「〇〇と介護士が話しているのを聞いたよ!」と、驚くべき個人情報を知っていたことに驚かされたことがあります。

それだけ利用者は介護士の言動をよく観察しているので、聴こえていないだろう、理解できてしないだろうと思って、無駄口を叩くのは避けるべきです。

「まだらぼけ」というような言い方をしますが、全てのことに思考力が低下するとは限りません。

ある分野ではしっかりと理解できることもあり、また時間や体調によって変化したりもします。

利用者に接する時は、思考力や言葉の流暢さという視点からアプローチするなど、表面的な現象ではなく、組み合わせで考えてみるのも有効です。

それでもいきなり利用者の中には言動が急激に変化する人がいて、休み明けに現場に立つと、まるで何が起こったのか、別人になっていたりもします。

介護支援によって予防や遅延させることができるのか、介護士として接する時はしっかり観察するといいでしょう。

新米介護士が知っておきたい介護の基本「着衣」

介護現場で求められる「介護技術」とは何か?

介護技術とは、介護士が利用者に支援する時の「心がけるべきポイント」と言えるだろう。

これから介護士として介護施設で働く時に、初任者研修などでもポイントを学ぶはずだ。

子育て経験のある女性は介護技術に馴染みやすく、男性中には初めて誰かの支援をするという人もいるかもしれない。

こみち自身、誰かの支援をしたのは介護士になってからだった。

「脱健着患」という言葉は、研修を受けた人なら耳にしているだろう。

大切な言葉と言ってしまえばそれまでだが、介護士として介護現場で心がけたいワードでもある。

というのは、この原則を守らないと利用者に重大なケガを負わせてしまうからだ。

ケガした場合の回復は若い頃に比べて歳を重ねるほどに治りも遅い。

場合によっては「治らない」ということだって否定できない。

だからこそ、守るべき「原則」は自分自身のためにも守るようにしよう。

さらに言えば、介護現場ではスピードが求められる。

しかし、ポイントは原則を守ったうえでの話で、危険を犯してまで慌てることはない。

実際、入浴介助中に利用者が足を滑らせたり、移乗中に転倒したりと事故発生のリスクが高いからだ。

新米介護士として心がけること

まだ慣れない頃は、先輩介護士と行動を共にすることも多いはずだ。

しかしそれでも、質問したり確認したりできない状況も少なくない。

状況として待っていられるなら、それでもいいのだが、例えば寒がっている利用者がいて、今すぐにでも衣類を着させたいという場面に遭遇することはある。

そんな時に大切なのは、「絶対にできる介護技術」を身につけることだ。

「絶対に」とは、最低限これだけのポイントを知っていれば、これからしたい介助ができるということ。

「脱健着患」が大原則だとしたら、「基本中の基本」とも言えるだろう。

どう着させて脱がせるか?

ジャンバーやカーディガンなど、前開きの衣類を着させたりすることは頻繁にある。

そして、その仕上がり見れば、介護士のレベルがわかってしまうこともよく覚えておこう。

実際介護現場で遭遇したケースで言えば、片袖だけを通したまま放置されていた利用者にあったことがある。

誰が手掛けたのかは不明だが、正しく着せることが出来ないまま現場を離れたのだろう。

また、どうにか着せることはできたものの、見るからに着心地悪そうな仕上がりも多い。

そうならないようにするポイントを紹介しよう。

「脱健着患」の大原則に従えば、着させるときは「患側」となる。

つまり、両腕比べて可動域が狭い方から始めるのだ。

というのも、最初のポイントは、通した腕側の脇の下までしっかりと衣類もしっかりと通し、それが腕の完成形だからだ。

ほとんど腕を動かすことなくできてしまうので、可動域が狭くても問題ないのである。

次に、これはこみちが個人的に行うことだが、後から通したい方の袖口から肩口までを束ねて「輪」にしてしまう。

袖は長いものなので、どうしても負担が大きい。

そこで長袖より半袖、半袖よりもノースリーブのような状態を作るのだ。

そうすれば、利用者は束ねた「輪」さえ通せば、あとはどうにかなる。

しかし覚えておいて欲しいのは、実際にやってみると「輪」が潜らせられないことが多い。

その際には「輪」を作り方ではなく、最初に通したい「腕側」に問題があることを知っておこう。

つまり、最初に通した腕が脇の下まできちんと上がっていないことが原因なのだ。

しっかりと腕まで通せていれば、輪も潜らせられるだろう。

その後は、「肘」に注意して衣類の袖が無理なく通せば先ずは着させることができる。

では脱がせる時はどうだろうか?

「脱健着患」大原則からすると「健側」になる。

しかしポイントがあって、イラストのように両腕の肘下まで先に衣類を脱がせてしまおう。

それから「健側」の「肘」を抜くために衣類の「脇口」を手首付近までずらせてしまう。

細かなポイントも加えれば、手首なども負担が掛かりやすいので、無理やり脱がせないように注意して行うといいだろう。

衣類、特に上着の着脱を覚えるだけでも介護士として仕事が楽になる。

新米介護士は、積極的に挑戦してみるといいだろう。

介護士にとって「声掛け」が基本ではあるけれど

介護の基本「声掛け」

中高年、特に男性の場合、ライフスタイルや自身の性格によって、老後の在り方が大きく異なるようです。

これは、現役の介護士として介護施設で働くこみちが、入所者を実際に見て感じる体験からも言えます。

女性の場合、性格による違いはほとんどなく、話し方ると笑顔で目を見ながら返事をしてくれます。

しかし、男性の場合はいくつかのパターンに分かれ、中には「拒絶」を示す人もいます。

介護士という職業柄、拒絶反応がありそうな相手に対して、どのように接点を持つのかもテクニックがあるのですが、一般的に何も知らない人なら「もう話しかけるのはやめておこう」となってしまうでしょう。

問題としては、「拒絶反応」=「人間嫌い」ではないこと。

人間のタイプや接触の方法を変えることで、一見すると話嫌いに見える人も実は人恋しい人だったりもします。

特に男性に限っては、「なぜってそんな話し掛け方あるのか?」と、ある意味で形式やマナーを重んじる傾向が見られます。

「おじいちゃん!」と見知らぬ相手から話しかけられて、「なんだい?」と言える人は割と少ないかもしれません。

それよりも先に「なんて無礼な奴だ!」とか、「オレを舐めているのか?」という気持ちになり、とても「なんだい?」と思うような気分ではないでしょう。

これは憶測ですが、女性の場合、「母性」という感情なのか、相手に対してもう少し話を聞いてあげようという感覚があるように思います。

しかし、これも個人差がありますし、最初の対応で男女差が見られるとしても、その直後に「嫌な相手だ」と感じたら、どちらの場合でも「拒絶反応」は同様に継続されるでしょう。

また、男性介護士が話し掛けた時、男女で入所者の反応が異なるように、女性介護士の場合にも男女で反応に差があると言えます。

実際、女性介護士が女性の入所者に話し掛ける時の方が、いろいろな面で細かな気配りが求められているように感じます。

男性入所者に対して注意していること

新しく入所された人が来た場合、担当になった時は「あいさつ」から始まります。

ポイントとしていることは、必ず目線の高さを合わせたいので、相手が自分よりも身長が低い時はそのことを踏まえて上から目線でならないように注意します。

また、不自然なならない程度に、口角を上げて笑顔を心がけます。

いつまでもヘラヘラと笑っていても、相手には好印象ではないので、ほどほどが大切です。

一方で、男性に対しては話し方や説明の明瞭さなど、常に自分を下げるだけではいけない部分もあります。

しかし注意したいのは、相手を負かせるような態度にならないこと。

もしも相手が戸惑いを見せたら、それ以上は押しすぎないで、話し方を柔らかくするなど、和みを意識していきます。

一例に過ぎませが、男性は「助けてもらったこと」をよく覚えているように思います。

逆を言えば、「小馬鹿にされた」という意識もまた強く残ります。

ひと言の失言が、相手との信頼関係を損なうこともあります。

約束したら、必ず守りましょう。

もしも約束通りにできない時は、その時になって言い訳するよりも、事前に事情を話し代替え案を提示することが信頼関係維持に繋がります。

介護士で失敗するのは、「相手が認知傾向にあるから」と覚えていないと思い込んで、身勝手な振る舞いをしてしまうことです。

中には、そうされたことを態度に示さない人もいますが、こみち自身、入所者から他の介護士の振る舞いを聞かされます。

介護士が思う以上に、よく覚えていますし、嫌なことをされた記憶はさらに書き換えられることがないのです。


介護士の憂鬱を語ろう

 看護師や作業療法士と何が違う?

資格取得という意味で言えば、看護師や作業療法士になるには3年以上のスクール通いが原則です。

入学には試験が実施されることもあるでしょう。

特に数学などが試験科目に入っていると、文系志望の人には少しハードルが高く感じてしまいます。

ただ、そんな数学も、理科系四年制大学で求めるような難易度ではなく、いくつかの解法をパターン化することもできるはずです。

その意味では、本来の関係性を読み取り、それを理論的に解決させる「数学」というよりは、文化系学生が得意とする「パターン化」を当てはめることで、限られた時間で効果的な学習が可能になるでしょう。

しかし、それでも看護師や作業療法士などのスクールに合格するのは簡単ではありません。

ましてこみちのような中高年が、何十年ぶりに数学を始めとした学科を思い出すには、それなりの時間が必要でしょう。

介護士の場合、スクールもありますが、現場経験を主体にしてもスキルアップが段階的にできるようになっています。

また、看護師や作業療法士の資格が業務独占資格だとしても、介護士は一定条件の範囲であれば無資格でも就労できるのが特徴です。

では介護士の資格を取得するメリットや必要性とは何でしょうか。

実際、介護施設で働いてみると、介護士の資格がもたらす様々なメリットや弊害を感じることができてしまいます。

中高年の方が、転職やリストラで職探しを強いられた場合、介護士の仕事は比較的間口の広い職種です。

ただ、他人の生活支援を仕事としますから、食事の手伝いから、入浴のサポート、トイレにまつわる一連のことも業務となります。

そのために、施設には以前の風潮(措置時代とか、介護士優位)の考えがあって、高齢者等をお客様と考える現代の介護教育とはかけ離れた場面も少なくありません。

介護士という職種は、働きやすいことがメリットですが、そこには誰もができる仕事という社会的な評価も根強く、それは看護師や作業療法士では必須のスクールが不用になっている点でも察することができ、それ故に働き始めるとステップアップしなければ先に進めません。

先に進むとはどういう意味か?

これは断定的に表記することが難しい話ですが、地方の介護施設と都心部の介護施設では、随分と雰囲気が異なります。

その最たるものが、「過去の介護との訣別」でしょう。

介護には、それを求める相手をどう扱うかが重要です。

社会的な弱者と考えることもできる一方で、我々もまた加齢により辿る未来とも言えます。

つまり、施設を利用する高齢者も、介護して欲しいのでは無く、介護されないと生活できなくなってしまっただけだからです。

実際に施設で働いて、「施設がいい」という利用者を見たことがありません。

当然ですが、「住み慣れた自宅に帰りたい」と思っています。

そんな状況を踏まえ、施設で働く介護士も、利用者の心情を理解して接しなければいけません。

仕事だからとしても、利用者を無視するような態度は、孤独を強く感じさせ、身体的にサポートされていても心情的にはとても満たされていないからです。

看護師などに比べて、始めやすい介護士ですが、実は業務範囲がとても広く、身体支援はもちろん、心身のサポートまでもカバーするには、多方面での「学習」が不可欠です。

一方で、その学習が乏しければ、提供できる介護サービスも低下しますが、形に現れない特徴もあって、介護施設運営でも苦戦する部分です。

現場主義という視点では、施設内での勉強会や研修を通じて、サービス向上に努めることもできるのですが、一般的に看護師などと比較して待遇面で格差が指摘される原因としては「資格取得」が考えられます。

つまり、現場経験を通じて、国家資格を取得できる介護資格は、「簡単」というイメージが持たれやすく、「スクールに合格した」という事実がある看護師等はそれだけ明確に社会的な評価を得られています。

ただ、過去を振り返れば、こみちが学生時代、四年制大学の中でも医療系の学部偏差値は特に低目に設定されていて、看護師や作業療法士であっても専門学校等を利用すれば資格取得そのものは可能でした。

この流れは今でも続いていると思いますが、実際、四年制大学で医療系学んだ学生は、現場に出てからもさらに管理者となるべくルートを進むことが予想されます。

それは、通常3年制を採用する看護師や作業療法士の中で、四年制の学部として学ぶのは、さらに幅広い視点で活躍が期待されるからです。

では全くスクールに通わずに取得できる介護士に与えられる社会的評価がどうなるのかも、自ずと理解できるはずです。

しかし、現在では、「実務者研修」を経て、現場経験3年以上と合わせて「介護福祉士」になることが可能です。

確かに介護福祉士になってできることは特別感じないかもしれません。

それはそもそも業務独占という位置づけではなく、これまでの経験を指し示すに過ぎないからです。

つまり、介護士として働く場合、限られた施設で長く経験を重ねるのも方法ですが、いかに「スキルアップ」をして行くのかもまた大切なのです。

資格としては、介護福祉士ということもあれば、現場経験を経て看護師や作業療法士の必要性を実感することもあるでしょう。

自身の努力が報われることもありますが、すでに社会的な実績を得ている資格へと向かうことで、より早く労働環境改善に努めることもポイントなのです。


なぜ現役介護士は「介護士」を勧めないのか?

 こみちが感じる「介護士」のメリット

中高年と呼ばれる年代を迎えると、「この仕事をして行こう!」という決意よりも「今の自分にできる仕事はないだろうか?」と消極的な気持ちで仕事を探してしまいます。

こみちの場合も、介護士になりたかったということよりも、「介護士を経験してみるかな?」という流れがあって今に至っているという感じです。

実際に介護士として介護施設で働くと、それまで異業種だったこともあり、新たな発見がたくさんあります。

その中でも、これからの生き方に影響を与えてくれるのは、「老いる」という現実を迎える中で、どう自分の人生を歩んで行くのかでしょう。

施設で働く介護士の特徴

こみちの経歴の多くは、「ものづくり」に関わる仕事でした。

そこで知り合うことができた人々は、職人気質な方が多かったように思います。

だからといって、寡黙な人ということではなく、「自分の領域」を持って働いているという印象です。

では介護士という仕事はどうかというと、特に施設介護の場合、状況を見て動く人と動かない人に分かれます。

どこの施設でも、この2パターンの人がいるはずで、その割合によって評価される施設かどうかも決まってくると思います。

最近、介護施設は増加傾向にあると感じます。

というのも、中規模の建築物が工事中の場合、福祉系施設というケースが目立っているからです。

もちろん、地域差はあると思いますが、中高年からでも採用してくれる働き口が増える一方で、評価されない施設というのも明確になるでしょう。

これは他の施設と比較してではなく、こみちが現状勤務している施設に限ったことですが、介護士が基本スキルとして身につけるべき作業を半年過ぎても修得しない人や、先輩たちの中には身につけながらも自身で担当しない人が増加しています。

どういうことかというと、動く介護士が限定されていて、職場内で二分しているような雰囲気なのです。

何よりそこに生産性が感じられないのは致命的で、もしもそんな状況がこれから働こうとしている施設でもあるのなら介護士という仕事をオススメできません。

こみち自身が今も頑張るのは、仲良くなった利用者のケアを続けたいからです。

働き始めてからも将来を考えること

今後、コロナ禍で社会そのものがどう変わるのか不安です。

介護士として働けることはありがたいですし、この仕事に就いていて良かったとも感じます。

しかし、体力面で言えば、この先もずっとハードな仕事を続けていくのは厳しいでしょう。

少なくとも10年後も同じスタンスという訳にはいきません。

それまでに自分自身の「老後」を考え、働き方も見つける必要があります。

確かにコロナ禍で、先に進めない感覚は拭えません。

事実、こみち自身は、別のサービスを提供している施設でも働いてみたいと感じていますし、働ける期間を考えても、早急に幅広く経験増やしたいと思うからです。

その理由として、介護の現状や介護士の処遇など、自身の経験はもちろんですが、これから働こうと考えている方々に有益な情報を伝えたいと思っています。

また、その一環として、介護士以外の働き方なども積極的に紹介していけたらと感じます。

当面、動けない状況が続く間は仕方ないとしても、コロナ禍の状況が落ち着けば、新たな進展もあるはずです。

結局のところ、介護士になっても、それだけを仕事として継続させるのは中高年には課題もあります。

それだけ肉体的にも精神的にも疲労が伴う仕事だからです。

逆にマイペースで仕事できるのなら、これほど楽な仕事もないでしょう。

しかし、それでは利用者にしわ寄せが来ていることになります。

事実、利用者の中には介護士への負担を考えて、言いたいことも我慢している方もいます。

そんな利用者に対し、少しでもリラックスしてもらうには、介護士が「いかにも頑張っています!」という雰囲気ではいけません。

だからこそ、自然な笑顔で接するように心がけるので、実際には疲れてしまうのです。

社会的に必要な仕事なので、奉仕活動として力を貸してくれる人なら、ぜひとも介護士になって欲しいと思いますが、「この仕事で楽して稼ぎたい」と思うなら別の仕事を探してもいいように感じます。

現役介護士の立場として、介護士をオススメしない理由を挙げるとこんな感じになるでしょうか。

現役介護士が答える「施設介護」の素朴な疑問

意外と少ない「介護職」の本当の部分

この記事では、これから「介護施設」では働いてみたい人が気になる疑問点を現役介護士の目線で紹介したいと思います。

実際、こみちが介護士として働く前に感じていたことは、意外とインターネットにも書かれていなくて、働いてから「そうだったのか!」と後追いで解決してきたので、参考になれば嬉しいです。

「施設介護」で何が気になっていたのか?

こみちは、実務者研修を経て、介護現場で働き始めました。

少し、介護業界のことを知っている方ならご存知だと思いますが、「実務者研修」という研修を終えることが介護業界では「ポイント」となっていて、国家資格である「介護福祉士」を受験するにも、その後の「ケアマネ」になるにも、必須と言っても言い過ぎではありません。

「言い過ぎではない」と言わせてもらったのは、福祉系の学校を卒業すると同時に「介護福祉士」の受験資格を得られるので、必ずしも「必須」ではないからです。

それでも、中高年の方で働きながら資格を取っていきたい人であれば、「初任者研修」だけで終わらせるのか、「実務者研修」を済ませて、その先へと進むのかは大きな岐路と言えるポイントです。

さて、「誰かの生活を支援する」と考えた時に、どんなことが気になるでしょうか。

こみちの場合、いくつか疑問があって、例えば「排せつ介助ってどんな風にするのか?」とか、「服薬の管理は誰がしていて、介護士がどこまで関わるのか?」とか、「緊急時の対応や、もしもの時に介護士がどこまで責任を取るのか?」などなど、健康や生命に関わる仕事なので、不安も多かったのを覚えています。

先に紹介しておくと、利用者の最期を見届けたり、後日最期を迎えたことを聞かされたりしたことは、数えられないほどあります。

それだけ、介護施設という場所では、「生と死」が日常的に意識され、だからこそ介護士は責任ある仕事と言えるでしょう。

特に、初期段階でのジャッジがその後の対応に大きく変化をもたらせるので、看護師や医師へと繋ぐ前に介護士が「どんな対応をしたのか」が大切です。

もう少し介護士の通常業務に目を向けると、一回の勤務で数回から十数回は、利用者をトイレに誘導したり、オムツ交換をしたりします。

その時、イメージしたいのは、「自分がしている手順」とほとんど同じだと考えてもらえばいいでしょう。

つまり、用を足せば拭かなければいけませんし、脱いだ着衣はまた履きます。

その時にシワがあったり、めくれていては気持ち悪いので、利用者の状況に応じて本人にしてもらう部分と、介護士でサポートする部分が出てきます。

もう少し踏み込んだ話をすれば、全ての利用者が定期的に排せつできるとは限りません。

つまり、排便や排尿が滞れば、それに応じた対応が必要です。

まず考えられるのは、「服薬」による促しでしょう。

実際に、定期的に服薬を行っている利用者もいます。

さらに、心身機能の状態によっては、服薬だけでは難しく、より直接的な支援が必要になることもあります。

例えば出したいという意思はあっても、利用者の筋力が十分でないと自分だけでは出しきれないこともあります。

そんな時には、介護士で腹部マッサージしてあげることもあれば、肛門付近に触れてその弾力を確認したりもします。

その理由は、水分量が不足していることで「硬くなった便」の有無を確認したいからです。

介護士の対応範囲として、体内に対する行為はできないので、あくまでも表面をさするなどの対応になります。

老健では、看護師が常駐しているので、その状況を連絡し、担当を代わってもらいます。

そこでは、看護師によってより直接的な処置が行われ、必要に応じては身体内部にまで踏み込んだりもします。

服薬に関しても同様で、基本としていくつもの薬が並んだ棚から、利用者が必要な薬をピックアップして服薬させることは禁止されています。

介護士という立場でできる「服薬」の範囲は、その利用者向けに準備された「一封されている薬」を開封して利用者に飲ませるまでです。

その際に、例えば薬を床に落としてしまったら、「落薬」という事故扱いになり、看護師に連絡した上でその後の対応を仰がなければいけません。

当たり前ですが、落ちた薬を拾って飲ませてはいけませんし、飲んだと思っても口に残っていて、何かの拍子に落ちてしまうこともあり得るので、服薬介助では飲んだことを確認するのも大切な仕事です。

一般的な介護施設では少ないかもしれませんが、老健のような施設では経管栄養を実施している利用者もたくさんいます。

経管栄養とは、一般的に口から食べて栄養を吸収しますが、何らの理由で難しい場合に管を介して「液体化した栄養素」を摂るものです。

鼻から管を通す場合や、腹部に専用の管を通し、そこから時間を掛けて栄養素を取ります。

実務者研修でも基本を学びます。

基本的には看護師が行いますが、環境や研修を経ることで「介護士」にも認められています。

ただ、冷たい液体を短時間で取り込めば、身体は冷えて「下痢」をしますので、医療知識が伴うのは言うまでもありません。

この辺りの作業は、介護施設全般というよりも、老健ならではの部分も多いでしょう。

介護施設全般では、さらにレクリエーションに関わる部分が含まれてきます。

レクリエーションの役割は大きく2つあると思っていて、その一つが利用者の生活を豊かにするためです。

どうしても施設での生活は単調で、利用者の中には朝から夕方まで、何かの行事がないとその場所で座りっぱなしになってしまうことも少なくありません。

そうならないように、レクリエーションを含めたイベントが施設ではたくさんあります。

そして、レクリエーションでは、カラオケや体操、習字や折り紙など、みんなで楽しめるようにしています。

もちろん、その主導的な役割は介護士が担うので、人前で話たりもあれば、歌ったり踊ったりといろんな役目を果たします。

「デイサービス」などは、むしろレクリエーションの役割が多く、さらに扮装して演劇まで行っています。

介護士という仕事

介護士という仕事は、「生きること」と向き合う仕事です。

先に紹介したさまざまなことに加えて、時には利用者と本音で話たり、一緒に悩んだりして過ごします。

不安から落ち着かない利用者もいますので、優しく「どうしましたか?」と寄り添うことも求められます。

利用者の多くは、施設に来てからも自宅での生活を望んでいます。

しかし、家庭の事情や心身機能の程度もあって、施設で暮らす方が望ましいこともあるでしょう。

そのような背景を理解できない利用者もいて、「家に帰る!」と言い出すことも少なくありません。

本人にすれば、施設にいなければいけない理由は見当たらず、帰りたくなるのも当然のことでしょう。

しかし、「居るしかない」ではなく、介護士はいろんな手段で利用者と向き合いながら、心に寄り添います。

正直、嫌われることもありますが、それもまた仕事で、老化によって生活スタイルに変化が必要となった利用者を支える「本質」でもあります。

これってどうなんだろう?

他にも感じることがあると思いますが、多くは自分に降りかかることと「同じ」で、不安なことや厄介なことは、利用者でも起こりますし、介護士としても苦労しながら対応している部分です。

「なぜ、生きているの?」

そんな哲学的な質問も受けます。

正解を知るというよりも、自分自身が「生きる」をどう考えるかが問われていて、介護士になると様々な面で考えさせられることが増えます。

しかし、この先のどこかで我々にも直面する「老化」なので、介護士として働くことに無駄はないでしょう。


介護士が「専門職」と言える3つの根拠

「 利用者と親しくなる」

介護士としての適性の中で、「コミュニケーション能力」は欠かせない能力です。

最も、この「コミュニケーション能力」があれば、営業マンにも保険の外交員になっても、同僚から一目置かれる存在になれるはずです。

意外に感じるかもしれませんが、デザイナーや写真家、小説家の方で「コミュニケーション能力」が無い人を見たことがありません。

それほど、広い意味での「コミュニケーション能力」は大切ですが、具体的にどのような能力を言うのでしょうか。

「親しくなる」というのは、とても難しいことです。

友人関係や恋愛関係、会社での人間関係など、「親しくなる」と言っても、単に親密であれば良いのかというとそうではないですし、むしろ「距離感」がポイントだと気付かされます。

「いつも連絡して欲しい」

そんな恋人の言葉を聞いて、最初は嬉しくて二人の距離も縮まります。

しかし、しばらくすると「少し荷が重い」と感じてしまうのは、相手との距離が近過ぎて、ストレスになっているからでしょう。

「都合の良い関係」というと、なんだか「大人の関係」にも思えいますが、それでも、両者にとって「都合の良い関係」を築けたら、それが成りよりですし、恋人ではなく夫婦として末長く過ごせる間柄です。

介護士の場合、事務的に働くタイプや、友だち感覚で親しく接するタイプなど、いろいろタイプがいます。

しかし、多くの人は、先天的に身につけた「人との接し方」で、利用者にも振る舞うでしょう。

まるでホテルマンを連想させるほど、上品な受け答えで接するのですが、見方によっては相手に緊張感を与え、リラックスできなかったりします。

一方で、長屋のお隣さんのように、気取った言葉も振る舞いもしませんが、親しみある態度で接します。

しかし、例えば都会育ちで昔から「個人」を尊重してきた人にとっては、他人が馴れ馴れしくプライベートゾーンに入ってくることを好みません。

長屋スタイルのもてなし方が、居心地の悪さになることもあるのです。

このように、「こうすれば100点!」という接し方はありません。

むしろ、相手を観察して、どこまで距離を縮めてもストレスにならないかを確認しながら、距離の取り方を試してみることです。

「ドキッ!」とするような言葉で、一気に距離を縮めたはずなのに、次回はとても素っ気ない態度で、相手の方が気になってしまうというのも、コミュニケーションのよくあるやりとりです。

「コミュニケーション能力」を分解すれば、喜怒哀楽の感情やスピーチ力、雑学や経験値など、いろんな要素が絡み合って培われるスキルともいえます。

つまり、特定の雰囲気の人とは付き合える人は、介護士になると面食らうでしょう。

自分が経験したことがないような言葉を使って、表情まで変化させて接するのですから。

しかし、それが理解できれば、「コミュニケーション能力」を使って、例えば介護士として働くことができます。

介護士に求められる専門スキル

コミュニケーション能力に近いのですが、相手の感情に訴えかけるのではなく、「本能」を刺激できることが2つ目の専門スキルです。

コミュニケーション能力で相手と通じ合えるとは、どちらかが送り出した「波」を相手が受け取ったことで成立します。

多くは、感情的に受け取り、心に変化もたらします。

しかし、「本能」に訴えかけるとは、相手が感覚として反応するのではなく、人間としての「反射」に近いものです。

例えるなら、学校の先生に会った時や、お世話になった会社の社長に会って、無意識に頭を下げてしまうような感覚です。

一般的な意味での「上から目線」ではなく、人間関係で無意識にできる「主従関係」のようなもので、「相手を包み込んでいる」感覚を指します。

この感覚は、医療の知識やリハビリの知識があっても、備わるものではなく、言い換えれば、介護士としての「専門性」を象徴するスキルでもあります。

最後の一つは「相手を中心に考えること」

介護の場合、ホテルマンのように対応する客の多くがもてなしを求めているとは限りません。

むしろ、説明しても分からないことも多く、落ち着くまで利用者はとても不安な気持ちです。

しばらくすると、生活にも慣れて、少しずつその人らしさが出てきます。

誰しもそうですが、利用者の場合も性格が真反対だったというほど変わってしまうことも少なくありません。

「控え目で大人しい人」と思っていたら、実は口が出る人で、とても頑固な人ということもあるでしょう。

介護士に求められるのは、どんな性格の人にも合わせられる「幅」です。

向き合う関係で話すこともあれば、横並びで話すこともあります。

相手の気持ちや雰囲気を見て、どのポジションで話すべきかを見極めることが必要です。

まとめ

介護士が専門職と呼ばれるためには、看護師の真似をすることではありません。

むしろ、看護師にもできないことを介護士は担います。

それが、「コミュニケーション能力」始まる相手との接し方の部分です。

改めて、介護士を専門職としている人は凄いと感じました。

それは、何かをするスピードではなく、人間的な深みの部分とも言えます。


「介護士」で稼ぐのか?食い繋ぐのか?

 「介護士」ができれば生きていける!?

介護の仕事と言っても、施設介護と訪問介護では働き方が異なります。

また、施設といっても、利用者に関わる仕事もあれば、ベッドメイクや調理、清掃などもあって、働き方は様々です。

「介護士」という仕事の魅力も、人によって異なる部分ですが、中高年の方々にとっては就職しやすい職種として認識されているでしょう。

その一方で、「安い」「キツい」というマイナスのイメージもあるのではないでしょうか。

なぜ、そのようなイメージが先行してしまうのかと考えた時に、例えばデザイナーとして働きたい人がいても、実際にデザイン事務所に採用されるまでには自分の作品やこれまでの経歴など、「応募」する前の段階で落選してしまいます。

医師や弁護士なら、医師免許や司法試験合格という「壁」があって、そこに挑むまでにも大学などで学ぶ時間とコストが必要です。

しかし、「介護士」という仕事は、年齢や職歴を問わない数少ない職種であり、とても間口が広いのも特徴です。

つまり、中高年であっても「今日から頑張るぞ!」と決意すれば、面接にこぎつけます。

ポイントは、むしろ働き始めてからで、無資格のままでは仕事も限られますし、将来性という意味で「介護」を選んだ理由が曖昧です。

例えば、施設には70代でも働いる人がいて、彼らは利用者と接することもありますが、ベッドメイクなど自分の強みを活かしています。

高い報酬を求めるというよりも、長く働けるということを目指しているのでしょう。

一方で、中高年の方々である程度の報酬も得たいと考えるなら、介護業界では「夜勤専従」という方法が近道です。

平たく言ってしまえば、夜勤帯に働く介護士で、施設によって勤務時間が異なりますが、一般的には夕方4時から翌朝9時までの休憩1時間を含む16時間勤務です。

簡単に言えば、一回の勤務で2回分働くのですが、この一回で2万円以上稼げるとなると、物入りの時期には助かるでしょう。

もっとも、一般的な正社員なら、月収20万円以上、年収では300万円以上が狙えるのだとしたら、「夜勤専従」だとしても割りが良いのかは微妙なところです。

つまり、介護という仕事に興味がある人や、正社員になれないと感じる人で、長く働きたい人は日勤帯を中心に、もう少し稼ぎたい人は夜勤にも積極的に入って行くというのが実情でしょうか。

早い人なら1ヶ月で

子育て経験がある人なら、1ヶ月程度で介護施設の一般的な業務流れが理解できるでしょう。

ただ、介護は入所者の生活支援でもあるので、「これだけで十分」という限界がありません。

話を聞いて欲しいと訴える人もいれば、昔住んでいた家に行ってみたいと言い出す人もいます。

だからといって、その全てを叶えられないので、利用者の気持ちを阻害しないように「そうですね」「行ってみたいですね」と気持ちに寄り添うことも不可欠なのです。

その部分は、知識や経験でもカバーできますが、「人間力」が試される部分でもあり、介護で最も難しいところとも言えます。

実際、手先が器用で、業務として手早くこなせる介護士がいます。

しかし、こみち自身が利用者だったら、その人に世話して欲しくはありません。

なぜなら、作業が事務的で、物のように扱われている気持ちがしてしまうからです。

介護士として働く人は、利用者を「人」として扱うことが基本中の基本ですが、現場で働いていると「事務的」「もののように」となってしまう現状もあります。

何度も同じことを繰り返す利用者に、「いい加減にして!」と怒ってみても止めることはありません。

だからといって、その手を叩けばどうなるでしょうか。

事実が発覚した時点で、クビでしょうし、介護士としての資質ないので辞めるべきです。

ではどうすれば良いのかというと、「一緒に楽しむこと」です。

繰り返すには「理由」があって、「不満」が原因だったり、「寂しさ」や「心配」、さらには「忘れてしまう」ということも考えられます。

つまり、理由はいろいろあるわけですが、「一緒に楽しむ」ことで、利用者の気持ちになれ、何をすれば解決できるかが分かります。

こみちは営業の経験もありますが、正直なところ、営業で成果を出す方が簡単ですし、気が楽です。

というのも、情報やサービス、商品の魅力を伝えるには、その目的や用途、購入による改善点などを提案すれば良いからです。

それを聞いて、「欲しい」という客は買ってくれるでしょうし、「自分には不用」と思えば購入してくれません。

しかし、介護では明確な答えはなく、介護士の関わり一つで利用者の生活も変化します。

穏やかな暮らせるのも、満たされずにいつもイライラして暮らすのも、介護士の対応一つだからです。

気負いすぎずに、楽しむことができれば、介護士として働く資質があるでしょう。

稼げるための介護士

介護士として稼ぎたいなら、「介護福祉士」になることです。

医師や弁護士ほど、社会的に認められた資格とは言えませんが、福祉系の業界で「次」に繋げるなら欠かせない資格の一つです。

近年の介護業界は、介護保険制度で運営されていますが、例えばケアマネになるにも「介護福祉士」が不可欠ですし、施設の立ち上げや福祉用具の販売、アドバイスなど、必ずしも必須ではないにしても、「介護福祉士」という経歴を持つことで広がる可能性は十分にあるでしょう。

以前も紹介しましたが、保険や資産管理、旅行やタクシーなど、介護と相性の良い職種も多いので、介護福祉士を起点に枝葉を広げれば、中高年からでも遅くないはずです。

「不公平」を感じる介護士のホンネ

 介護の仕事は異業種とは違う!?

こみちは中高年になってから、「介護業界」に転職しました。

それまで、介護に関わる仕事をしたいと考えたことはありませんし、自分に「お世話」できる資質もあると思っていませんでした。

結果的に、縁あって介護業界に入り、介護施設でスタッフとして日々、高齢者の生活支援に関わっています。

そして、介護の仕事は他人の身の回りを世話するだけではなく、異業種ではちょっと「異質」な部分も見え隠れします。

まるごと任されることは少ない!?

例えば、こみちは広告制作の仕事をしていました。

簡単に説明すれば、依頼者に会うところから仕事が始まります。

そして、「どんな物を作りたいのか?」を話し合いの中で見つけ出し、スキルや経験、社内外の知り合いからの力も駆使して、依頼者の理想形を形にします。

言い換えれば、「これくらいでいいだろう!」というような自己判断はあり得ません。

「なぜ、そうしたのか?」を、言葉を使って説明するのも大切な仕事です。

一方で、介護施設での仕事は、本当に多岐に渡ります。

オムツ交換した直後に、別の利用者の飲み物を準備し、振り返って事務作業の書類作成やコピーをすることもあります。

つまり、介護の仕事は「なんでもする」が基本で、勤務中に3分として止まっていることはないでしょう。

しかし、介護施設の仕事は多岐にわたるものの、全てのスタッフが同じように働いている訳ではありません。

例えば、1から10まで、10項目の仕事があったとして、全てを担当できる人が一人前のスタッフだとしたら、1と2と3だけとか、1から8までとか、スタッフによって担当できる業務に違いがあります。

ポイントは、比較的担当できる人が少ない「10」の仕事ができる人は、いつも担当することになります。

そして、ここからが問題なのですが、「10」はその人に決まりとして、残り1から9までを他のスタッフがするとも言えません。

なぜなら、シフトによっては1から3までしかできないスタッフばかりなら、4から10までその人が担うしかないからです。

1から10の仕事とは?

「胸が苦しいので、今すぐ家に帰りたい!」と深刻な表情で訴えた利用者がいたとします。

「すいません。帰りたいそうです!」と話を利用者から聞いて、伝言しに来たスタッフがいました。

当然ですが、利用者を自宅に帰すことはできません。

となれば、精神的に不安になった利用者にどう寄り添えば良いのかが介護士の「仕事」です。

誰の話も聞き入れない状況で、混乱気味の利用者に、まずはどう接すれば落ち着いてもらえるでしょうか。

言い換えれば、「落ち着いてもらう」という仕事は、1から10のどれにも該当せず、作業テクニックとして考えてしまうと、何年経っても思うように落ち着かせることができないでしょう。

しかし、できないからしないを続けると、「できる」又は「完全ではないけれどできそう」な人がいつも担当するしかありません。

上手く食べることができない利用者に手助けする場合も同じです。

苦手のままでは、介護施設で仕事は広がりません。

それでも勤務時間は過ぎますし、介護士として働けていることになるでしょう。

では、利用者に寄り添い、食事の手助けをして、体操や事務作業まで担当するしかない人は、どうすれば良いでしょうか。

のんびりと慌てることもなく、「できる仕事だけ」をマイペースでこなすスタッフを横目に、しなければいけない仕事が山のようにあって、いつもフルパワーで仕事をしている介護士がいたら、「不公平」を感じないでしょうか。

「できないふり」「気づかないふり」をする!?

面倒な仕事を残してしまえば、夕方から夜、深夜に掛けてスタッフの人数が少なくなるので、大変さは増大します。

「できないのだから仕方ない!」と思うのか、「できるように頑張る!」と思うのかは、異業種では見られない感覚でしょう。

なぜなら、異業種では仕事を部分的にしか担当できないと、「報酬額」に差が生じ、又は業界から去るしかないことも珍しくありません。

そうなりたくないからこそ、スキルや経験を積み、いい仕事をしたいと頑張るのです。

しかしながら、介護業界の仕事は、「誰がどこまで担う」が明確ではなく、こずるく立ち回ればいくらでも楽をできます。

もちろん、そんな働き方をすれば、別のスタッフにバレますが、いろんなしがらみがあって非難されることはほとんどありません。

少なくとも、それがまかり通る施設は良い職場ではないでしょう。

未経験から業界入りするなら、そんな施設を選ぶべきではなく、施設全体で「実現させたい介護」が明示されている方が働きやすいはずです。

経験の浅いスタッフの数少ない「できること」でも、それが低品質だとしたら、気づいた別のスタッフは我慢して「してもらう」べきか、「もっと簡単な仕事」だけにするのか難しい判断を迫られます。

努力してくれないスタッフは、いつまでもできるようになりません。

でも、それでも任せないと、全部自分でするしかなくなります。

職場や仕事に誇りを持とうにも、「不公平感」が日常化して、次第にヤル気も失われます。

介護業界としても早急に改善したいポイントですが、スタッフのスキルや経験があまりに違い過ぎて、簡単に埋められないのも現実です。

何より、「介護」の役割や価値というのが曖昧で、スタッフの仕事を「1から10」のように明示することすらできません。

奥が深い仕事と言われる理由の一つでしょう。

「職場改善」に不可欠なこと

 どっちが先なのか?

人という動物は、優しくされると相手に好意を抱きます。

しかし、自分から優しくすることはなかなかできません。

介護士として利用者に尽くす立場でも、その考えを変えられる人は少ないように感じます。

「◯◯して下さい!」

そんな風に利用者から頼まれて、「ハイ!」と快諾できないのです。

場合によっては、「すいませんが…」と利用者が謙る始末です。

「優しくしてくれたら、自分も優しくする」

中には一回くらい優しくされても不十分で、十分に優しさを受けて、やっと心を開ける介護士もいます。

「ありがとう」「助かりました!」

スタッフ同士でも、そんな言葉を多用して、働いてもらう工夫が必要です。

それは、「働いてもらう」ということが難しい現状だからです。

ある人は、「自分は正しい」と思い、他人に気を配らない人もいます。

それは、他人を何度も誉めて、やっと動いてくれるくらいなら、自分でしてしまえば良いからです。

そんな介護現場は、忙しく動き回るスタッフと、数人が固まって談笑しているスタッフに分かれます。

利用者から見ても異様ですし、面白いのは忙しいスタッフを呼び止めることです。

先日の記事で、コロナ禍からスタッフが疲弊していることを紹介しました。

しかし、全てのスタッフが疲弊しているのではなく、動くスタッフが潰れ始めて来たのです。

通常業務に加えて、利用者たちも心理的に不安定ですし、コロナ禍対策に乗じた追加作業も増加しているからです。

変化に気づけないスタッフは、以前のような働き方から変えようとしませんし、変化を求めても予想とは異なる反応を示します。

仕事ができない介護士の反応

自分が理解して仕事をしたいという信念におかしい所はありません。

しかし、理解する工夫が必要なのはいうまでもないでしょう。

「◯◯してくれませんか?」

スタッフからお願いされて、「必要ないでしょう!」と頭ごなしに拒絶するのはどうかと思います。

「まだ早いので、◯時になった始めましょう」というような代替え案を提示するなら分かりますが、「嫌だ!」と拒絶をすれば忙しい現場では働くスタッフが処理するしかありません。

高齢者スタッフにみる特徴

介護施設には、65歳を超えたスタッフも働いています。

人手不足もあれば、幅広い年代のスタッフによる介護を実現するためでしょう。

しかし、これまでに接してきた高齢者スタッフには特徴があって、作業と時間が結びついていないことが多いようです。

つまり、「何時になったら何をしなければいけない」とか、「間違えた時にどこが間違えたからやり直さないといけない」ができません。

お昼に使う紙おしぼりを2時間以上も前に配り出し、「少し早すぎませんか?」と訊ねると、「お昼に使うでしょう?」と答えるのです。

「準備すれば仕事が終わる」と考えているのか、「◯時に◯◯する」が難しいのです。

かと言って、別の仕事は時間が来ても気になっていませんし、思い出したように午後の仕事を始めたりします。

「職場改善」に不可欠なことを考える

その一つが「マニュアル化」でしょう。

メリットは、仕事が具現化されて、誰にでも分かりやすいということです。

一方で、仕事が明確になるので、介護士それぞれが配慮して来た細かな作業が切り捨てられる可能性もあります。

特に介護施設は、スケジュールが仕事ではなく、利用者の異変に寄り添うことも求められます。

精神障害を持った利用者場合、5分や10分で対応が終わるとも限りません。

マニュアル化によって、繊細さを求められる業務も、ある程度パターン化されてしまうのです。

かと言って、マニュアル化しなければ、仕事を認識できない介護士は、自分なりの働き方を変えることができません。

場合によっては、人材不足の介護施設で辞職されてしまうかもしれません。

そうなった時に、残されたスタッフがさらに大変なので、切るに切れない現状があります。

事実、施設によっては派遣スタッフを確保し、人件費が膨らんでいることも少なくありません。

ただでさえコスト膨らみやすい介護施設だけに、人件費増加は深刻な問題です。

そこで、現状としては小手先の業務改善が増えます。

マニュアル化による阻害も踏まえて、明示しないままの口頭指示が増えるのです。

しかし、それに対応できるのは動くスタッフで、肝心な人材の活用にはつながりません。

それだけ今の介護施設は、行き詰まった経営になりつつあります。

コロナ禍対策がさらに問題を深刻にさせ、経営陣の判断の遅れが、現場スタッフの疲弊を促します。

要求だけを暗に増やし、業務上の簡略化が難しく、結果として作業のボリュームが増えています。

スタッフ増員も難しく、安全性やサービスの質も低下させたくない。

結果、個々のスタッフに不満が増え、疲れた表情で働いています。

そんな現状を打開するには、問題を一度区切り、一方で新しい試み、もう一方で問題点の改善に着手するべきです。

新しい試みの部分では、常勤だけでなくパートスタッフであっても働いてくれる人に、今まで以上の負担を強いる代わりに、時間給の見直しを図ります。

一方で、問題改善になる部分について、特にスタッフの質や働き方改革に関しては、勉強会を積極的に開催します。

勉強会で取り上げる課題

「◯時になりました。何をしなければいけませんか?」

極端に言えば、勤務中の仕事を話し合うことです。

「その時に気をつけるポイントは?」

利用者対応やサービスの向上に、向き合う時間が増やしましょう。

特に高齢者スタッフを雇う場合、職場での指示だけでは理解できないことも多く、優先順位が伴わない働き方が目につきます。

そこで、介護技術の部分ではなく、まずはタイムスケジュールの管理から時間を掛けてマスターしてもらいましょう。

地味な作業ですが、そのひと手間が他のスタッフを働きやすくし、共倒れしないことになるからです。

事実、休日でも身体が疲れ過ぎて何もできなくなってしまいます。

そうなってしまうと、介護の仕事にやりがいを感じても、別の仕事を検討する人が出て来るでしょう。

コロナ禍の影響がじわりじわりと…。

 介護士として

介護士としての役割に段階を付けるとしたら、利用者と関わりという面では、傾聴、誘導、介助と難しくなって来ます。

例えば、「傾聴」にしても、利用者の話に相槌を打つことから、話題を膨らませて精神状態まで探るということも含まれます。

利用者にしても、「〇〇してください!」と具体的に言うこともあるでしょうし、「寂しい」と感情を訴えることもあります。

具体的な要望であれば、それができるスキル次第です。

一方で、精神的な要望になると、利用者の深層心理にどう寄り添っていけば良いのかは経験や両者の人間関係に影響されます。

目安として、介護未経験者が入職して3ヶ月後に、個々の利用者の氏名や性格を理解し、それぞれに合った会話ができるようになって欲しいと思います。

もちろん、トイレ誘導や排せつ介助もマスターしてくれると心強いわけですが、利用者のことを理解できれば、そのあとは経験した回数次第でしょう。

夕暮れ症候群という、高齢者によく見られる帰宅願望が夕方に起こることがあります。

「帰りたい!」「帰ります」

という風に言い出して、荷物をまとめて施設を出て行こうとします。

「ちょっと待ってください!」と呼び止めても、利用者本人にすれば帰らなければいけない理由があって、それを我々介護士が無理やり呼び止めている状況になっています。

あまりに足止めしていると、利用者は怒り出して「離して!」と騒ぐかもしれません。

でも、利用者本人にすれば、急いでいるのにあれこれと言い寄って帰してくれないのですから無理もありません。

大切なのは、介護士の立場から話すのではなく、利用者の立場になることです。

それを叶えるには、「傾聴」が欠かせないスキルで、介護士として最初に求められることですが、それがベテランになっても難しいことでもあるわけです。

コロナ禍で介護現場にも影響が…

最近、介護士同士でも疲れた表情をしている人が増えました。

何かし終えた時にため息をついたり、始める時に自分に掛け声を掛けたり、それが無意識なので余計に疲れを感じさせます。

先に紹介したように、介護士でもスキルは同じではありません。

介助は難易度の高い作業ですが、基本の傾聴ができないという介護士もいます。

そんな介護士が問題になるのは、精神的に問題を抱えた利用者が現れた時です。

傾聴できない介護士は、自分目線で考えます。

利用者の立場になれないので、不安感がずっと続き、それが別の利用者にも連鎖します。

「自分は間違えたことを何もしていない」

と思っているので、現場が混乱しても慌てる素振りも示しません。

ここまで極端でなくても、定時の作業があるのに、それをしようとしない人や何かしているから誰かがするだろうと思って、気づく人や仕事が早い人ばかり仕事をしている状況になります。

これが最近の介護現場で顕著になり、頑張る介護士の疲労感が増しました。

できない介護士は、頑張る介護士のペースが落ちても、カバーするという発想はなく、仕事だけが残って、疲弊した介護士が疲れた表情で仕事に追われます。

一方で、そんな介護士は疲れても辞めることが言い出せません。

なぜなら、職場に迷惑を掛けることを察してのことです。

段々とコロナ禍で、疲弊した介護士が増えてきました。

介護士という仕事を考える

 大きな分岐点は「介護」の捉え方にある!?

介護職員として働いて分かったことは、「介護」がとても奥深いものだったことです。

こみちとしては、「介護」=「人生」のように捉えていたのですから、尚更でしょう。

例えば、別の介護士は介護の仕事を他の職種と同じように捉え、スケジュールに沿って仕事をすれば良いと考えています。

言うなれば、午前9時にお茶を出して、10時はトイレに誘導し、11時になると体操を取りいれ、12時に昼食を食べるという流れです。

しかし、実際の生活となれば、10時よりも前にトイレに行きたくなることもあるでしょうし、10時に行ったとしてもその30分後にまた行きたくなったりもします。

こみちのように「介護」を人生と考え、その人らしい生き方と解釈すれば、スケジュールにはない行動にもできる限り応対したいというのが「介護職員」のモットーになるでしょう。

一方で、介護職員を別の職種同様に捉えれば、事前の申し合わせを優先し、突発的な作業は優先順位も下げて考えます。

だからこそ「10時に行ったでしょ!? もう少しお待ち下さい!」と声掛けするのです。

以前はそんな対応をこみち自身は受け入れることができませんでした。

しかし、長年の介護職員のストレスは根深く、身体の疲弊は一晩眠って解決できるようなものではありません。

仕事に穴を作らないことを優先すれば、「オプション」にまで手が回らないのはもうやむを得ないことなのです。

もちろん、スタッフの育成や保養に積極的で、しっかりと対策を講じることができる介護施設なら、スタッフのモチベーションも違うでしょう。

しかし、ギリギリの経営をしている施設であれば、スタッフの不満に耳を傾ける余裕もありません。

スタッフ自身が自己防衛を始めると、現場ではかなりマージンをとって動くことになるのです。

介護士としての大きな分岐点は、「介護とは何か?」の答えによって、働き方が異なることになるでしょう。

惰性で働いている!?

正直言って、コロナ禍がなければ、もう別の施設を探しているでしょう。

というのも、こみちが高齢者介護で思うのは、自宅復帰できる可能性の部分です。

そのためには、入所前に家族の受け入れ状況を確認したいですし、利用者本人にも「自宅復帰」に向けた取り組みを求めたいからです。

逆にそこまで取り決めておかないと、現実にはほぼ「自宅復帰」の可能性は「0」となってしまいます。

機能回復に向けたリハビリや、介護士による生活支援での取り組みがなければ、さらに可能性は下がってしまうでしょう。

しかし、こみちが働く介護施設で、個々の利用者が自宅復帰できた割合は、それほど高くはないと感じます。

中には本人の努力もあって、機能が回復したケースもありますが、それだけ他職種同士が連携しないと「復帰」は困難です。

介護士として働いていて、「これを達成したい!」という目標が見つかりません。

もちろん、個々には自分の目標を立てますが、それは職務上の話に過ぎず、利用者に接する時の目標ではありません。

車いすに座って過ごす時間が大半で、足腰を鍛える運動も不足すれば、その後に歩行できる可能性は低いでしょう。

それほど、「この施設に入ってどうしたいのか?」を決めておかないと、月日の経過に伴い寝た切り状態になってしまいます。

そんな光景を見ると、介護士は何をするために身体を酷使しているのかと思うのです。

どうせ、疲れ果てるくらい動くなら、「目標」に向かって努力したい。

でも現実は、惰性で働いている感じです。

最近はモチベーションも下がり気味になっています。

目標に向かってスタッフ同士で力を合わせることもないので、働いていてもやりがいや達成感が乏しいのです。

利用者家族との調整も難しいことを踏まえれば、結局のところ、時間から時間までの仕事になってしまうのでしょう。



介護士の裏と表

 仕事に行くのが「嫌」になって

前職に見切りをつける形で、中高年になって「介護業界」に飛び込みました。

介護施設という場所で、どんな仕事があるのかも分からず、「介護士って何?」を自問自答する日々が続きます。

このブログでも、折に触れて「介護とは何か?」を考え、提案させてもらったように思います。

しかし、利用者のことを考えて、己を消して尽くすことは、想像以上に精神的な負担も多い仕事です。

例えば、かつての仕事で、広告制作に携わっていた時、仕事でいつも考えていたのは「クライアント」の利益です。

なぜなら、素晴らしいデザインだったとしても、お客様の要望に沿っていなければ、商品としての価値はありません。

このブログで紹介したことがあるか記憶も定かではありませんが、「芸術家」と「デザイナー」の仕事に明確な違いを挙げるとしたら、「誰のため」という部分があるでしょう。

ビジネスとして作業する以上は、そこに利益が絡みます。

お客様の希望を聞き、それに対してどんな手段や方法が提案できるかが最初のポイントです。

しかしながら、介護業界は少し特種な一面があって、施設の利用者が望むサービスを提供することが求められていますが、それを厳密に応じるほどスタッフは配置されていません。

つまり、勤務しているスタッフが、3人の利用者と向き合うこともあれば、20名近い利用者を担当することもあります。

トイレやお茶、個人的な用事や悩み相談などなど、スタッフが関わる仕事は多岐に渡ります。

忙しいスタッフの現状を察してくれる利用者もいれば、精神的に不安になり落ち着いて座っていることも難しくなる場合も少なくないのです。

認知機能が低下すれば、「トイレ」が何をする場所なのかも分かりません。

精神障がいを患えば、胸が苦しくなったり、行動そのものに異変があったりで、その対応にスタッフが張り付くこともあります。

当然ですが、抜けたスタッフの作業を残りのスタッフで補うわけで、スキルや知識が異なる介護士であれば、どうしても負担は軽くなりません。

「幸せ」ってなんでしょうか?

コロナ禍が続く国内では、段々と「コロナ」という言葉に慣れてしまい、ストレス発散も兼ねて週末などに外出する人も増えているそうです。

ある意味で、そのような行動は介護現場でも同様で、全ての人が本質を理解して、自己を抑制できるとは限りません。

「こうすれば、楽になりますよ!」

そんな説明をしても、待つのが嫌だと動き出してしまう人はいます。

言葉で説明し、理解して自己を顧みてくれたら助かりますが、歩行ができない利用者が立ち上がって歩き出そうものなら、転倒もあるでしょうし、その結果として骨折、寝たきりということも無いとは言えません。

当時、介護士はなぜ予防できなかったのかと責められるでしょう。

しかし、一対一での応対は不可能に近く、よくても複数名の利用者に注意を払っています。

ですが、注意を要しないと思っていた利用者が、偶発的な理由で事故やケガをしてしまうこともあり得ます。

その先に、利用者それぞれの「幸せ」を叶える使命があります。

叶えてあげたいと思っていても、休みなく動き続けても仕事が途切れることはありません。

昼食後のわずかな時間に、静寂が訪れることもありますが、それも利用者からのコールで消えてしまいます。

「どうしましたか?」

「トイレに行きたい!」

寝る前にトイレを済ませていても、中には5分後にコールをして来る利用者はいます。

介護士は、布団をめくり、利用者の身体を持って車いすへと移動させ、さらにトイレまで誘導し、手すりを持って立ってもらうと、用足しが終わるまで見守ります。

人によっては、便座に座るのも介護士が行い、衣類の着脱も同様です。

そして、手を洗った後は、先とは逆に手順でベッドへと促します。

その途中でも、別の利用者からのコールは鳴ります。

誰かが駆けつけてくれれば良いですが、「どうしましたか?」と相手に伝え、目に前の仕事が終わったら、すぐに駆けつけます。

その途中、今さっき行ったはずの利用者からコールで「トイレ!」と訴えられることもあります。

「今さっきなので、まだ大丈夫ですよ!」と言って分かってくれる利用者もいますが、「行きたい! 今すぐ来て!!」と怒り出す利用者もいます。

目の前の悩みが解決しても

食事やトイレなど、目の前の悩みが解決しても、施設に来た高齢者は心身に問題を抱えています。

リハビリをして、歩行訓練を取り入れるのも、よくある光景ですが、体力低下以上にリハビリの効果を挙げるのは容易ではありません。

とても残念なことですが、機能回復を期待するなら、早期からしっかりと計画しなければいけません。

なぜなら、多くは歩行が困難になり、杖を使うようになって、その後に車いすへとなるからです。

特にスタッフが限られる施設内では、転倒防止策として、杖を使う期間が短く、早々に車いすへと移行されることもあるでしょう。

そのようなことを考え、「できる限り歩けるようにして欲しい」と利用者、その家族が強く要望しなければいけません。

それに応じてくれる施設も有れば、条件付き、又は条件が合わずに入所できないことも起こり得るでしょう。

入所費用を工面できれば、施設で全面的にサポートしてくれるというのは、ある意味で幻想で、入所前にどのような生活なのかを利用者自身が納得して選ぶ必要があるでしょう。

施設で働いていていると、「してあげたくてもできない!」と思うほど、仕事がたくさんあります。

スタッフ教育も完全には手が回らず、どうしても仕事に偏りができるのも仕方ないところです。

「仕事がイヤ」というよりも、「お待ちください!」ばかりで大半を断るしか無い現状に、疲れてしまいます。

急いでも絶対にできないほどの要望があって、その中で命や健康に関わることを優先しつつ、個人の要望もできる限りくみ取るように振る舞い続ける介護士は、やはりかなりの重労働です。

しかも、利用者の多くは健康を取り戻すことは少なく、年月を重ねて段々と弱って行きます。

話ができた人が、大半をベッド上で過ごすようになり、その内に終末期のケアに移行することもあるほどです。

元気になって自宅に戻ることが難しいのだとしたら、せめて少しくらいはわがままを聞いてあげたいと思ったりしますが、それさえ難しいのが現状です。

「オレはこのままここで暮らすのだろうか?」

よく利用者が口にする言葉です。

家族の受け入れもあれば、利用者の健康状態も関係します。

退所する人の中には、別の施設へ移動し、そこを終の住処と決めた人もいます。

コロナ禍もあって、施設内でも行動が制限されて、家族とも面会出来ない状況が続くと、それを知りながら「もう少ししたら外出できるかも知れませんね!」と説明するのも疲れます。

介護士としては、仕事中、笑顔を心がけていますが、利用者のコールにはそんな事情もあってのストレス発散も含まれているのかもしれません。

「さっき行ったはずなのに!!」

忙しい介護士は、グッタリと心まで疲れ果ててしまいますが、利用者はそれ以上に孤独や不安を抱えて暮らしているのでしょう。

そう感じるだけに、家に帰ると何もしたくなくて、仕事の予定が決まれば、「行きたくない!」と思ってしまうのです。


中高年からの「介護職」ってどうなの?

 「介護」という仕事にはやり甲斐も多い

特に高齢者の支援に関わることが多い介護職は、いろんな意味で「人間」を垣間見ることができます。

肉体という意味でも、精神という意味でも、考えさせられることがたくさんあります。

それだけに中高年になってから「介護」に関わる仕事を経験することはこれからの生き方を考える意味でも無駄にはなりません。

中高年からの「介護職」って!?

正直、中高年になってから介護職を始めると、体力的に厳しい状況があります。

常勤スタッフとして働いて、初年度で年収で400万円を超えることは少なく、5年後10年後と考えなければ、異業種と比べても年収ベースは低めです。

常勤スタッフになると、夜勤があります。

施設によって異なるみたいですが、16時間勤務が一般的ではないでしょうか。

夕方に施設を訪れて、夜から朝と働き、明け方の9時10時頃に仕事が終わるという働き方です。

途中で休憩が設けられていますが、夜勤は一人又は数名で対応するので、ひとりに掛かる負担も少なくありません。

個人プレーよりも連帯プレーが多く、カバーしながら仕事をするので、肉体労働ですが気を使います。

機械的、事務的に対応する場合には感じませんが、利用者の性格や生い立ち、病状や家庭環境などに触れると、介護職の方も精神的な負担も増します。

中には感情的になり、暴れたり暴言を吐く利用者もいて、そのケアをしながらも、説明が理解されないことも珍しくありません。

なぜなら、利用者の中には認知機能に低下が見られ、状況の把握や理解が苦手になることもあるからです。

言い聞かせることが難しいので、真摯に寄り添うしかないのです。

一方で、全ての介護職がそのように行動をするのではなく、利用者と対等に接する介護職も見かけます。

同じように声を荒げて、利用者と本気で口げんかしていたりします。

それもまた「人間」理解には欠かせないポイントですが、気持ちに余裕がないと介護職自身も心が痛めてしまいます。

ある意味で人間の深い部分にまで踏み込むので、知るべきではない事実も耳に入ることも起こり得ます。

寄り添うためには、相手の弱さや心細さに触れなければいけません。

中高年でそこまで深く利用者に掛かるべきかがポイントで、年収ベースで同額の別の職種でも探してみたくなります。