介護士の裏と表

 仕事に行くのが「嫌」になって

前職に見切りをつける形で、中高年になって「介護業界」に飛び込みました。

介護施設という場所で、どんな仕事があるのかも分からず、「介護士って何?」を自問自答する日々が続きます。

このブログでも、折に触れて「介護とは何か?」を考え、提案させてもらったように思います。

しかし、利用者のことを考えて、己を消して尽くすことは、想像以上に精神的な負担も多い仕事です。

例えば、かつての仕事で、広告制作に携わっていた時、仕事でいつも考えていたのは「クライアント」の利益です。

なぜなら、素晴らしいデザインだったとしても、お客様の要望に沿っていなければ、商品としての価値はありません。

このブログで紹介したことがあるか記憶も定かではありませんが、「芸術家」と「デザイナー」の仕事に明確な違いを挙げるとしたら、「誰のため」という部分があるでしょう。

ビジネスとして作業する以上は、そこに利益が絡みます。

お客様の希望を聞き、それに対してどんな手段や方法が提案できるかが最初のポイントです。

しかしながら、介護業界は少し特種な一面があって、施設の利用者が望むサービスを提供することが求められていますが、それを厳密に応じるほどスタッフは配置されていません。

つまり、勤務しているスタッフが、3人の利用者と向き合うこともあれば、20名近い利用者を担当することもあります。

トイレやお茶、個人的な用事や悩み相談などなど、スタッフが関わる仕事は多岐に渡ります。

忙しいスタッフの現状を察してくれる利用者もいれば、精神的に不安になり落ち着いて座っていることも難しくなる場合も少なくないのです。

認知機能が低下すれば、「トイレ」が何をする場所なのかも分かりません。

精神障がいを患えば、胸が苦しくなったり、行動そのものに異変があったりで、その対応にスタッフが張り付くこともあります。

当然ですが、抜けたスタッフの作業を残りのスタッフで補うわけで、スキルや知識が異なる介護士であれば、どうしても負担は軽くなりません。

「幸せ」ってなんでしょうか?

コロナ禍が続く国内では、段々と「コロナ」という言葉に慣れてしまい、ストレス発散も兼ねて週末などに外出する人も増えているそうです。

ある意味で、そのような行動は介護現場でも同様で、全ての人が本質を理解して、自己を抑制できるとは限りません。

「こうすれば、楽になりますよ!」

そんな説明をしても、待つのが嫌だと動き出してしまう人はいます。

言葉で説明し、理解して自己を顧みてくれたら助かりますが、歩行ができない利用者が立ち上がって歩き出そうものなら、転倒もあるでしょうし、その結果として骨折、寝たきりということも無いとは言えません。

当時、介護士はなぜ予防できなかったのかと責められるでしょう。

しかし、一対一での応対は不可能に近く、よくても複数名の利用者に注意を払っています。

ですが、注意を要しないと思っていた利用者が、偶発的な理由で事故やケガをしてしまうこともあり得ます。

その先に、利用者それぞれの「幸せ」を叶える使命があります。

叶えてあげたいと思っていても、休みなく動き続けても仕事が途切れることはありません。

昼食後のわずかな時間に、静寂が訪れることもありますが、それも利用者からのコールで消えてしまいます。

「どうしましたか?」

「トイレに行きたい!」

寝る前にトイレを済ませていても、中には5分後にコールをして来る利用者はいます。

介護士は、布団をめくり、利用者の身体を持って車いすへと移動させ、さらにトイレまで誘導し、手すりを持って立ってもらうと、用足しが終わるまで見守ります。

人によっては、便座に座るのも介護士が行い、衣類の着脱も同様です。

そして、手を洗った後は、先とは逆に手順でベッドへと促します。

その途中でも、別の利用者からのコールは鳴ります。

誰かが駆けつけてくれれば良いですが、「どうしましたか?」と相手に伝え、目に前の仕事が終わったら、すぐに駆けつけます。

その途中、今さっき行ったはずの利用者からコールで「トイレ!」と訴えられることもあります。

「今さっきなので、まだ大丈夫ですよ!」と言って分かってくれる利用者もいますが、「行きたい! 今すぐ来て!!」と怒り出す利用者もいます。

目の前の悩みが解決しても

食事やトイレなど、目の前の悩みが解決しても、施設に来た高齢者は心身に問題を抱えています。

リハビリをして、歩行訓練を取り入れるのも、よくある光景ですが、体力低下以上にリハビリの効果を挙げるのは容易ではありません。

とても残念なことですが、機能回復を期待するなら、早期からしっかりと計画しなければいけません。

なぜなら、多くは歩行が困難になり、杖を使うようになって、その後に車いすへとなるからです。

特にスタッフが限られる施設内では、転倒防止策として、杖を使う期間が短く、早々に車いすへと移行されることもあるでしょう。

そのようなことを考え、「できる限り歩けるようにして欲しい」と利用者、その家族が強く要望しなければいけません。

それに応じてくれる施設も有れば、条件付き、又は条件が合わずに入所できないことも起こり得るでしょう。

入所費用を工面できれば、施設で全面的にサポートしてくれるというのは、ある意味で幻想で、入所前にどのような生活なのかを利用者自身が納得して選ぶ必要があるでしょう。

施設で働いていていると、「してあげたくてもできない!」と思うほど、仕事がたくさんあります。

スタッフ教育も完全には手が回らず、どうしても仕事に偏りができるのも仕方ないところです。

「仕事がイヤ」というよりも、「お待ちください!」ばかりで大半を断るしか無い現状に、疲れてしまいます。

急いでも絶対にできないほどの要望があって、その中で命や健康に関わることを優先しつつ、個人の要望もできる限りくみ取るように振る舞い続ける介護士は、やはりかなりの重労働です。

しかも、利用者の多くは健康を取り戻すことは少なく、年月を重ねて段々と弱って行きます。

話ができた人が、大半をベッド上で過ごすようになり、その内に終末期のケアに移行することもあるほどです。

元気になって自宅に戻ることが難しいのだとしたら、せめて少しくらいはわがままを聞いてあげたいと思ったりしますが、それさえ難しいのが現状です。

「オレはこのままここで暮らすのだろうか?」

よく利用者が口にする言葉です。

家族の受け入れもあれば、利用者の健康状態も関係します。

退所する人の中には、別の施設へ移動し、そこを終の住処と決めた人もいます。

コロナ禍もあって、施設内でも行動が制限されて、家族とも面会出来ない状況が続くと、それを知りながら「もう少ししたら外出できるかも知れませんね!」と説明するのも疲れます。

介護士としては、仕事中、笑顔を心がけていますが、利用者のコールにはそんな事情もあってのストレス発散も含まれているのかもしれません。

「さっき行ったはずなのに!!」

忙しい介護士は、グッタリと心まで疲れ果ててしまいますが、利用者はそれ以上に孤独や不安を抱えて暮らしているのでしょう。

そう感じるだけに、家に帰ると何もしたくなくて、仕事の予定が決まれば、「行きたくない!」と思ってしまうのです。