介護士という仕事を考える

 大きな分岐点は「介護」の捉え方にある!?

介護職員として働いて分かったことは、「介護」がとても奥深いものだったことです。

こみちとしては、「介護」=「人生」のように捉えていたのですから、尚更でしょう。

例えば、別の介護士は介護の仕事を他の職種と同じように捉え、スケジュールに沿って仕事をすれば良いと考えています。

言うなれば、午前9時にお茶を出して、10時はトイレに誘導し、11時になると体操を取りいれ、12時に昼食を食べるという流れです。

しかし、実際の生活となれば、10時よりも前にトイレに行きたくなることもあるでしょうし、10時に行ったとしてもその30分後にまた行きたくなったりもします。

こみちのように「介護」を人生と考え、その人らしい生き方と解釈すれば、スケジュールにはない行動にもできる限り応対したいというのが「介護職員」のモットーになるでしょう。

一方で、介護職員を別の職種同様に捉えれば、事前の申し合わせを優先し、突発的な作業は優先順位も下げて考えます。

だからこそ「10時に行ったでしょ!? もう少しお待ち下さい!」と声掛けするのです。

以前はそんな対応をこみち自身は受け入れることができませんでした。

しかし、長年の介護職員のストレスは根深く、身体の疲弊は一晩眠って解決できるようなものではありません。

仕事に穴を作らないことを優先すれば、「オプション」にまで手が回らないのはもうやむを得ないことなのです。

もちろん、スタッフの育成や保養に積極的で、しっかりと対策を講じることができる介護施設なら、スタッフのモチベーションも違うでしょう。

しかし、ギリギリの経営をしている施設であれば、スタッフの不満に耳を傾ける余裕もありません。

スタッフ自身が自己防衛を始めると、現場ではかなりマージンをとって動くことになるのです。

介護士としての大きな分岐点は、「介護とは何か?」の答えによって、働き方が異なることになるでしょう。

惰性で働いている!?

正直言って、コロナ禍がなければ、もう別の施設を探しているでしょう。

というのも、こみちが高齢者介護で思うのは、自宅復帰できる可能性の部分です。

そのためには、入所前に家族の受け入れ状況を確認したいですし、利用者本人にも「自宅復帰」に向けた取り組みを求めたいからです。

逆にそこまで取り決めておかないと、現実にはほぼ「自宅復帰」の可能性は「0」となってしまいます。

機能回復に向けたリハビリや、介護士による生活支援での取り組みがなければ、さらに可能性は下がってしまうでしょう。

しかし、こみちが働く介護施設で、個々の利用者が自宅復帰できた割合は、それほど高くはないと感じます。

中には本人の努力もあって、機能が回復したケースもありますが、それだけ他職種同士が連携しないと「復帰」は困難です。

介護士として働いていて、「これを達成したい!」という目標が見つかりません。

もちろん、個々には自分の目標を立てますが、それは職務上の話に過ぎず、利用者に接する時の目標ではありません。

車いすに座って過ごす時間が大半で、足腰を鍛える運動も不足すれば、その後に歩行できる可能性は低いでしょう。

それほど、「この施設に入ってどうしたいのか?」を決めておかないと、月日の経過に伴い寝た切り状態になってしまいます。

そんな光景を見ると、介護士は何をするために身体を酷使しているのかと思うのです。

どうせ、疲れ果てるくらい動くなら、「目標」に向かって努力したい。

でも現実は、惰性で働いている感じです。

最近はモチベーションも下がり気味になっています。

目標に向かってスタッフ同士で力を合わせることもないので、働いていてもやりがいや達成感が乏しいのです。

利用者家族との調整も難しいことを踏まえれば、結局のところ、時間から時間までの仕事になってしまうのでしょう。