世界大学ランキングに見る「大学」の役割

大学教育で何が分かるのか?

最近、こみちは格闘技の試合をよく観ます。

2020年の大晦日にRIZINバンタム級で、堀口恭司選手がベルトを奪還したのは記憶に新でしょう。

以前の記事でも紹介しましたが、堀口恭司選手の凄さは単に「強い」ということではありません。

国内でのトレーニングに限界を感じて、何をするべきか自分で解決したことにあります。

彼の場合、ATTと呼ばれるアメリカの格闘技ジムに移籍できたことがポイントでした。

言うなれば、国内大学から海外の大学へと編入したようなものです。

世界的な大学ランキングでは、多くがアメリカとイギリスにある大学で、例えば日本で有名な東大や京大も51位〜100位くらいです。

上位校との違いは、教育環境や社会的な実績が影響しているとのことですが、分かりやすい部分では他国の研究者や留学生からの「支持」をどれだけ得られるも重要になります。

つまり、ある大学のランキングというのは、入試が難しいという尺度だけではなく、その大学に入れるとどんな将来が期待できると思えるかがポイントで、日本の大学が1000位くらいには入れても、トップ10に入れないのは国際的評価が十分とは言えないからでしょう。

そして、意外なのは私立大学で、こみちにとっては早慶などは有名校として認識していますが、ランキングとしては601位〜800位です。

例えば、帝京大学は401位〜500位と早慶よりも2つ上のグループに入っています。

国内でのランキングでは、京大と東大が1、2を取り、早慶も13位と14位に入ります。

では帝京大学はというと、131位〜140位なのです。

つまり、国内における評価と国際的な評価には著しい乖離が見られます。

もっと言えば、「日本一」は世界何位なのかという話です。

国内でトップだとしても、それが海外になれば評価基準も異なります。

国際社会と考えて世界を視野に入れた人と、国内での評価を重んじる人とでは生き方も異なるでしょう。

国内の学生が思う「良い大学」と、世界から見た「良い大学」とが随分と違うのは、社会構造にも影響を与えているはずです。

例えば、国内なら難関大学に入ったことが評価になる場合でも、海外ならそこで何を成したかが求めるようなもので、「大学」に求めるのが「肩書き」なのか「教育環境」なのかでも違います。

今から大学受験に戻れはしませんが、当時なら「偏差値」で選んでいた大学選びも、環境や教師陣など、自分にどれだけ良い影響が提供されるかで選んでもいいように思います。

そう考えた時、これまでの生き方とこれからの生き方に変化があっても不思議ではありません。

大学ランキングの話ですが、中高年の我々にも、考えさせられるポイントが多かったように思えました。