『やり切った』という体験が最後まで人生に残ると思う話

 上手い生き方ってあるのだろうか?

例えば十代に戻ったとして、今と何が変わるだろうか。

多分、ほとんどの部分は変わらないだろう。

でも、「やり切った」という体験はとても重要で、こみちが思えるのは「絵を描く」ことになる。

こみちよりも上手い人はたくさんいるし、才能だって秀でている訳ではない。

でもコツコツと継続して、この年になって何か自分の人生の宝物になっているのかと振り返ると、その中に「絵を描く」という体験も含まれる。

学生時代に絵を描き始めて、社会人になってからも断続的ではあったけれど、ずっと身近にあった。

確かに今の時代、スマホがあるし、AIが精密に描いてくれる。

もう絵を描くなんて価値がないのかもしれない。

でも、こみちは今でも絵を描き続けてよかったと思っている。

「作風」ができるまで

絵を描く人は、技法として筆使いというかタッチがある。

歌声に近くて、それぞれの人が持っている「雰囲気」があって、それがずっと描いていると「作風」へと変化する。

こみちの場合も作風があって、これまで絵を見返すと、やっぱり自分の絵だと思う。

これってとても大切なことで、時間がかかって築き上げられるもの。

写真そっくりに描こうとしても、良くも悪くも描きいた人の個性が出てしまう。

誰かの「真似」ではなく、こみちが描いた「絵」になったということ。

十代の人が進路で悩んでいたら

例えば十代の人が進路で悩んでいたら、どんな道を選んでも最後は1つに繋がっていると教えてあげたい。

特に職業の部分では、20代、30代、40代と歳を重ねる中で段々と先が見えてくることを経験するだろう。

つまり「自分の人生ってこんな感じなんだなぁ」と気づき始める。

そのまま歩んでもいいし、それを機に別の世界に飛び込んでもいい。

ただそのタイミングまでに、これまでの経験で「やり切った」という自負があるといい。

「〇〇業界」なら、自身の経験を活かして語ることができるということが、実はとても大切だからだ。

というのも、やり切ったことで、経験は上に積み重ねることができる。

やり切るまでは、横に並べる感じだろう。

つまり、何かをやり切ったことで、その経験が次に生きる。

とにかく「一人前」になるということを知ることだ。

できないことも経験し、失敗も多く経験して、だからこそ「できる」という体験の重さも理解することがとても大切になる。

基本事項をいろいろと知っていることは、実は誰かにとって入り口にはなるけれど、その先まで紹介することができない。

ものしりだけと、結局はどれをとっても経験不足になってしまう。

まぁ、入り口だけ知っている専門家という方法もあるけれど。

でも基本は20代から30代に掛けて一人前になり、他人から信頼される存在になることだ。

他人から信頼されると、その後の人生も大きく変化する。

「今度、世界一周旅行をしたいんだ」

そんな話を始めた時に、「ヘエ」で終わるか「何それ?」と興味を持ってもらえるかは、「実績」が大切になる。

「店を出したい」「資格を取りたい」そんな感じの夢を語った時に、共感してくれたり協力してくれたりするのも、過去のやり切った経験が影響する。

その意味では、多少の上手い下手よりも頑張って10年続けた人の方が圧倒的に説得力がある。

第一希望の学校や職業ではないことよりも、今の環境でどこまでやり切ったのかが大切だと思う。

こみちは一等だけが偉いとは思っていなくて、例えば三等や四等でも尊敬する。

ポイントは本人が達成感を得たかどうか。

目の前の課題に工夫したり悩んで苦心したことが感じられたら、やっぱりそれは大きな価値があると思う。

サラッと上手くできても、それはその人にとって大きな壁でもないだろうし、経験ややり切った感にはなっていない。

キツい部分をどれだけ苦労しながら進めたのかが大切で、なぜなら他の人も同じように苦労しているから。

クリアした人はやっぱり凄い思うし、できなかったことでその価値も分かる。

だから、やり切っていない人は、どうしても平凡さの凄さが分からない。

当たり前を繰り返す凄さは、地味に見えて物凄く価値あること。

それを知って十代を過ごすだけでも、悩みのいくつかは解決するかもしれない。