「やってられない!」と言いながら
ある昔の話のエピソードを妻にしていて、「やってられない!」ってぼやいたんだと説明した時だ。
「ウソ。やってられないなんて言わなかったでしょう!?」と口を挟んでくる。
「何が?」
「こみちはきっと「ハイ!」って言ったと思う」
「そう? じゃ、いつこんなに性格曲がったの?」
「さぁ〜。でも当時は「ハイ」って言ったと思うなぁ」
なんて言うやりとりがあった。
思えば、昔々の大昔、まだこみちが二十代の前半だった頃、返事がいいと誉められたことがある。
「ハイ!」というだけの返事。
ここで思ったことは、そのあとの妻の言葉で、妻の分析では、こみちは良い子だったそうだ。
口では汚い言葉を使っていたと言いつつも、本当は子ども時代ずっと親にも迷惑を掛けない良い子だったはずだと。
ただ時に意地っ張りになって、そこになりともうテコでも動かないらしい。
ある日の出来事
少しだけこみちは人よりも敏感だ。
テレビ番組で、ビビり芸人がちょっとしたことで踊りたりするけれど、正にあんな感じになってしまう。
「ワァ! 驚いた」と何度ビビったことか。
そんな一面があるから、当時住んでいたアパートでも、もっと昔の学生時代などにも、ちょっと不思議な体験が幾つかある。
こみちは少し前まで「介護スタッフ」として働いていて、当時の職場の先輩から「こみちはエンパスかもね」と言われたりもした。
その時に初めてこみちも知ったのだが、知らない方に簡単な説明をすると、「他者の感情に共感しやすい」というような性質を持っている。
例えば他人の行動を見ているだけで、実際には一回もしていないのにできてしまうことがある。
それから派生すると、相手の仕草や口調に影響されて、相手の「気持ち」まで無意識に真似てしまうことがある。
いま、何を思っているのかを当てられるのではなく、動きや呼吸まで、深く観察し、その現状を自分の中で完コピしてしまうので、結果的にその人の「気持ち」に似た感情も持ってしまう。
介護スタッフとしては、高齢者との共感に役立つ資質になるが、疲れやすいというデメリットもある。
意識が連続しているから、それこそ「多重人格」ではないと思うけれど、自分では当たり前だと思っている以上に、実は性格的にバラバラなのかも知れない。
妻に言わせると、こみちは「天然」らしい。
もっとど天然な人が芸能人にいるから、こみち自身は自分で天然だと思ったことなどない。
「あそこまで、間違えるってある?」と言い返すことも多い。
しかし、この前に「筑波山」までドライブした時にも、「コストコみたいな建物があるよ!」と視界に入って来た情景を妻に説明した。
「みたいじゃなくて、コストコじゃん!」と。
コストコの外観を見間違えたことではなく、こみちは思い込みで「コストコが他にもあると知らなかった」のだ。
普段から〇〇店と呼んでいても。
そう「勝手にコストコは全国に1店舗しかない」と思い込んでいた。
だから誤解も生まれて、時に「天然」と呼ばれるのだろう。
今でも自分で「天然」だと思うことはないけれど、何度もそんな指摘を受けていると、どうして「天然」と言われてしまうのか気づくようになった。
このブログ記事を読んでいる人も…
記事の内容を知って、こみちという人間を想像した時、もしかすると実際に会って驚くかも知れない。
会った時の場所やタイミングなどで、こみちの印象は変わるかも知れないし、意外に思うような行動も見つけるだろう。
「やってられないって言ったんだ」とこの記事の冒頭でも触れたけれど、もっとやさぐれた人に見えるかもしれないし、もっと真面目に見えるかもしれないからだ。
こみち自身は直接的な人との「輪」を広げたいとは思っていないし、意外とそこはときめきを求めていたりもしない。
世の中のどこかに、そんな人も生きているという位で十分だから。
それに、最近は挙動不審に見えることが心配で、余計に変な人っぽくなってしまう。
エンパス的に相手の感情に共感できず、何も感じ取れないことで感情が行き場を失って、それが挙動不審を思わせる。
だから、人と会うのは苦手だったりする。
正月、妹家族が来たけれど、その帰り際、長女がこみちの自室にやって来た。
最初、長男が来て「もう帰るよ」と言ってくれて、その言葉で部屋を出ようとした時だ。
ドアを開けて廊下に長男はいない。
急がないとと思ってさらに部屋から身体を出した瞬間、ドアの裏側に立っていた長女がドアノブを掴んで、こみちに声を掛けてきたことがある。
不思議と長女にも「エンパス」な気質を感じるし、何か心を読まれているような気配も受ける。
少しずつ大人になって、ここ数年は挨拶こそしても、親しく話したりはしていない長女。
「元気でね」と言ったひと言に、何かメッセージが含まれているように思えた。
ここ数年は、気持ちの浮き沈みが大きくて、この記事を描き始めた時も良くはなかった。
ただ落ち込んで落ち込んでいると描くのではなく、いろんな感情が内面にあって、それが上手く整理できない時に心の体調を崩してしまう。
もうそろそろ、朝食を作るとしよう。
また明日。