母親が家の鍵を失くして
夕方、仕事から帰った母親だが、玄関先で父親と何か言い争っているようだった。
今使っているアンカーのリバティー4というイヤホンには、ノイキャン機能も付いていて、オンにすると無音ではないがそれなりの静けさが得られる。
しかし、SONYのヘッドホンよりもずっとその効果はライトなので、大きな物音はしっかりと耳に届く。
「ん?」
部屋で仕事をしていたら、ただならぬ二人の声が聞こえて来た。
イヤホンを耳から外して耳を澄ませた。
「……どこで……」
流石に部屋から一階の会話を聞き取ることができない。
部屋を出て階段の途中まで移動し、玄関の二人の会話を聞こうとした。
「……失くしたの?」
「頭が回らなくて…」
効率的か否かは別として、働く母親はいつも忙しいし、何もしていない父親はいつも暇だ。
時間内にあれもこれもしなければいけないと思っている母親は、時々、気持ちが空回りして物を失くす。
そんな母親を呆れた様子で笑う父親だが、日常生活で時間内に幾つものことはできない。
実は家の鍵、車の鍵、何度も失くしていて、その度に本人も家族も探すのに時間を使う。
半年に一回は、こみちも呼び出されて、似たようなルートを何度も行ったり来たりする。
「家に入る時に鍵を持っていたんだね?」
「荷物と一緒に…」
「車の鍵は掛かっているから、きっとガレージから玄関に無ければ、家の中だろう」
そんな繰り返された会話があって、玄関周辺から洗面所、リビングと順番に見て回りながら、置きそうな場所は無いかと探してみる。
こみちは30分ほど探して諦めた。
「もう少し時間をおいてみよう」
父親は早々に探すのをやめていて、テレビを観ている。
母親だけが、冷蔵庫のドアまで開けて、「無いなぁ」と呟いていた。
見つかった鍵だけど
それからしばらくして妻も帰宅した。
玄関で母親の声がして、妻の声も聞こえた。
「良かったですね!」
どうやら鍵は見つかったようだ。
しばらくしてこみちのいる部屋に妻が入って来た。
「おかえり」
「また鍵を失くしたの?」
「そうなんだ」
いつだったか、Amazonで「紛失防止タグ」を調べたことがある。
アップル製の物が有名だけれど、できるならAndroidでも使えるタイプにして両親で管理して欲しい。
「これなんかどう?」
「嗚呼、これって前にも言っていた物じゃない!?」
防止タグは、キーホルダーになった小型の送信機で、親機から呼び出すと大きな音で居場所を教えてくれる。
アップル製の物とは違ってGPS まで搭載していないけれど、家の中であれば割と簡単に見つけられるらしい。
「ねぇ、コレ買う?」
母親に商品ページを見せた。
「要らない」
「でもまた失くすかもしれないよ」
「忙しいからよ。それにたまたまだし」
「でも前回も失くしてみんなで探したじゃん」
「そうだっけ?」
なぜ、前回も検索したのに買っていないのかというと、母親の拒絶がもの凄いからだ。
ある意味で認知が始まっているのかと思うほど、自分流の強いこだわりがあって、事実として上手く機能していなくても、それを受け止めることができない。
「お母さん。お母さん」
話を聞いていないのは明白だった。
つまり、我が家では、これの繰り返し。
鍵を失くしても、自分だけで解決してくれたらいいのだけれど、周りを巻き込んで騒ぐだけ騒いで、でも見つかれば何もなかったようになる。
時間を割くだけ割いて、何も変わらないことがストレスになってしまう。