妻からの言葉をきっかけに考えるものの
いろいろな考え方があると思う。
でも、今のこみちにとっては「無視」という言葉も別の解釈になってしまった。
親と同居を始めて、やっぱり助かる部分や頼れる部分がある。
一方で、「何で?」と理解できないこともある。
「世話好き」とも「お節介」とも言える母親は、少しでも馴れ合いになってしまうと、自室にいる時でも部屋に入ってくる。
夫婦二人で楽しくテレビを観ている時に「ちょっと良いかなぁ?」と声を掛けて来て、夫婦が何事かと顔を見合わせていると、「これ食べない?」と言って買い物で買って来た調理パンを2つ持ってくる。
「お腹空いたでしょう?」と。
それが何時なのか。調理パンがいつも焼きそばパンでも、母親にとっては問題ではなくて、「二人に買い与えた」という事実が大切なのだ。
「ありがとう」と受け取ったら、その後にリビングに行った時に「美味しかったでしょう?」「お腹空いているんじゃと思ったんだよね」と自身の行動を自画自賛する。
さらには、夫婦のプライベートな時間や空間を段々と今まで以上に簡単に踏み込んで来る。
次回は何も言わずに部屋に来て「食べる?」と。
さらには、トイレに入ろうとした時にも「トイレ、空いているよ!」と言う。
「だろうね」
誰も居ないからそう答えるのだが、気づいたことを一から十まで口にするから、「ソースを掛けた方がいい」「お茶は温めた方がいい」と何から何まで口を出す。
話まともに聞いていると、こみちの頭がどうにかなりそうだ。
ストレスが溜まる。
じゃあ、父親はどうだろう。
そう、テレビしか観ていないし、何もかもが思いつきで始まり、気分が乗らないとそれこそ一切しない。
たとえ自分から「任せて欲しい」と願い出たことでも。
こんな風になれたらと思っても、家族の誰もが自分なりのスタイルを誇示していて、もちろん「こんな風に」と思うことがこみちの誇示になっているくらいで、好きなようになるようにしかできない。