治ったと思っていた「心」の話
今日、仕事をしている時に、以前にもあった嫌な感覚を思い出してしまいました。
早退させてもらうか、騙し騙し乗り切るかをずっと自問自答しながら、キリのいいところを探していました。
少し話は前後するのですが、副業として始めた製造の仕事、会社の移転を来年春に控えてこみち自身は移転を機に退職する予定でした。
ところが全ての部署が移転する訳では無いみたいで、それこそ会社移転後もこみちは今の場所で仕事を続けることもできる可能性が出てのです。
その意味では、社会との繋がりの意味も含めて、今の仕事を続けるのも悪い話ではありません。
ただ、副業という位置付けではなく本業にして、働く時間を増やしたいのも事実です。
しかし、妻からの希望というか認識は、こみちの精神面まだ完全ではないとのことで、今は稼ぐよりも「取り戻すこと」を優先するべきだと言います。
そんな会話をしての今日、職場にいる時、言いようにない不安感が押し寄せて、すぐにでもその場から逃げ出したくなりました。
「治っていない」
そう自覚しました。
しかし、まだ完治ではないにしても、もう少し回復しているという気持ちになっていたのも事実です。
だからこそ、余計に落ち込みました。
人生詰んでいる!
こみちの両親は、もう完全に人生が詰んでいます。
昨日と同じ今日、今日と同じ明日を繰り返すだけで、何も変えることができないでしょう。
さまざまな課題や手付かずの問題を放置して、こみちの負担として残すことになるでしょう。
叔母の介護施設が決まらない時も、かなり大きな金額を失いました。
それでもかなり削減できたのですが、それでも少ない金額ではありません。
同様に、父親、そして母親も今後どれくらい負担させられることになるのか考えると自分自身の将来以上にストレスです。
それこそこみちの心の問題は、自身に対する不安以上に、老いている両親の生活を目の当たりにして感じるものです。
100の期待に50とか、30で返されるので、もう何も言うことができないようになりました。
こみちの未来図
文章を書くこと。絵を描くこと。英会話をマスターすること。料理を栄養学から学ぶこと。簿記の勉強すること。宅建、FP、危険物の資格取得に挑戦すること。YouTube を収益化すること。
来年から、今掲げた内容から優先順位を決めて、計画を立てて行こうと思います。
実現できるのかよりも、今の自分に出来そうなことから着手し、前に進む努力をしたいです。