成長した「甥っ子たち」と
急に連絡が来て、妹たちが遊びに来た。
「行くから!」
今まで両親が住んでいた「実家」に集合していた流れが、同居が始まって「この家」が集合場所になってしまった。
こみちは自室で動画を視聴していたのが、一階にある家電が鳴って、父親が母親を大きな声で呼ぶのが聞こえた。
「ン?」
イヤホンをしていても、電話の音はなぜか気づく。
耳を澄ますと、その内、リビングが騒がしくなるのが分かった。
「もしかして?」
予感が的中した。
そう、甥っ子たちが来るのだ。
これからの時代を生きる人たち
まだ若い甥っ子たちは、これからさらに輝く人たちだ。
コロナ禍も重なって、もう一年近く会っていないように感じる。
見る度に大人になって行くのが分かる。
そして、自身がそれだけ「老いた」ことも。
いつも介護に片足を突っ込んだ両親と暮らしていると、自分はまだ「若い」と錯覚してしまう。
でも、若い世代とじっくり話と、無意識に実感することがある。
「これ、知っている?」
「これは? 流行っているんだよ」
最近の興味や関心をいろいろと教えてくれる。
そして、最近は気遣われているのが分かって、それが余計に「どう見られているのか?」に気付かされる。
ここから何を学ぶか?
できることを無理しないで、しっかりと認識することが大切。
夢物語を膨らませるよりも、今与えられた「恩」を大事にしたい。
「いつでも手に入る」と自惚れることなく、何ができるのか、何を肝に命じるべきかを改めて感じられた。
「中高年」という言葉を、このブログでも当たり前のように使っているけれど、どこかそこに「事実は異なるもの」も含めていたように思う。
「残念」と捉えるのではなく、「事実」として理解することが大切だ。