「弁護士」は最強の職業なのか? これから「幸せ」を掴むために考えること

「弁護士」は優秀な人なのか?

弁護士になるには、司法試験と呼ばれる難関のテストに合格しなければいけません。

ただ、1回で合格する人もいれば、10回受験して合格を掴む人もいます。

「弁護士」資格が最終的なゴールなら、何年掛かろうと頑張り抜いたことを褒めるべきでしょう。

しかし、考えるべきは「弁護士で食って行けるのか?」ということでしょう。

法律家というと「弁護士」のイメージが強いですが、司法試験に合格すると、裁判官や検察官など、上級の公務員として働く選択肢もあります。

ただ、裁判官や検察官になるには合格者の希望で決まるので、より優秀な成績でなければなることができません。

裁判所で民事や刑事などの訴訟を法律に照らして裁く裁判官を経験した後に、弁護士になることもできます。

また、これは事件を捜査した警察から引き継ぎ、法廷で被告に付いた弁護士に相対するのが検察官ですが、もちろん経験を重ねた後に弁護士になることもできます。

法律の内容を理解することは一般人も大切ですが、それがどう運用されるのかを実務と通して経験しているはさらに重要でしょう。

なぜなら、「〇〇法に書いてある」と言っても、実際には法がどう運用されているのかは素人には分かりません。

仮に司法試験に挑戦した法学の学生だとしても、実務経験な無いというのは意見に対するバックボーンが乏しいとなってしまいます。

弁護士もイメージが大切?

東大法学部を卒業し、司法試験を在学中に取得した人と、理系の大学を出て社会人として働いたサラリーマンが一念発起して司法試験に5年を費やして合格した人と比べた時に、どちらの弁護士に依頼するでしょうか。

勉強が得意で試験を簡単にクリアできる人と、実社会に出て法律の必要性を感じ、法律家になった人とも言えるのですが、実は何を評価するのかによって依頼するべき弁護士選びも違います。

相談したいと法律事務所を訪れた時に、上から目線で話を聞いている弁護士を「頼れる人」と評価できるか、また親身になって聞いてくれる弁護士を「法廷でもしっかりと主張してくれるだろうか?」と評価できるかがポイントです。

法律は万能では無い!

法律を駆使しても、失われた存在を甦らせる能力はありません。

言い換えると、法律にできるのは、「事実を社会的に明確にすること」や「金銭によって弁償してもらう」というような限られたことです。

その意味では、法律で争う前に、当事者同士が話し合って問題を解決できることが大切になります。

つまり、弁護士に相談しても、「トラブルを解決する」ことができるのではなく、「トラブルだったことを解消させる」に過ぎません。

なぜ、この記事を書こうと思ったのか?

中高年と呼ばれる年齢になり、法的な意味での「正しさ」よりも「平穏な生活」が大切だと感じます。

つまり、トラブルになるような状況を避け、問題が悪化し長く揉めるくらいなら「損」をしても回避することが人生えお楽しむコツではないかと感じます。

例えば弁護士になるとトラブルになっている依頼を受けて、法律を介して相手と向き合います。

法律として正当なことだとしても、絶対に恨みを買わないとは限りません。

なぜなら、法律を完全に理解したプロの法律家でない限り、正当性の根拠など理解できないからです。

場合によっては、敗訴した人が「オレは悪く無いのに」と不満を持つこともあるでしょう。

それだけ、様々な感情を扱うのが法律家という仕事です。

揉めごとや相手の恨みを心配するようなタイプでは務まりません。

ただ、家族を持つことを考えると、弁護士のような仕事はいろんな意味で不安もある職業でしょう。

例えば弁護士として年収3000万円稼いだとしても、何らかのタイミングで大切な家族に不安があったら、「お金を稼げればよかったのか?」という気分になります。

社会的には無くてはいけない仕事ですが、今にして思うと「弁護士になる」ということはそんないろんなことを覚悟して志すべき資格でしょう。

こみちはあまり揉め事に関わりたく無いし、相手のことを知るに連れて気づくこともあって、「言い出せない」ところがあります。

弁護士は務まりませんが、そもそも志てはいけないタイプでしょう。

優秀な頭脳と勉強できる時間があったら、みなさんは「弁護士」になりたいですか。

こみちの場合、弁護士ばかりではなく、医師などもなれそうにありません。

「命を守る」という重大さに耐えられないからです。

結局、こみちは呑気に「絵を描く」ことくらいしかできません。