「なぜ、生きているのか?」を考えた時に
心や精神の繊細な話題は、気軽に扱うべきではないと思っています。
その理由は、正確がなく、どれが正しいとも言い切れないことにあります。
しかし、あるきっかけから、こみち自身も心のことで悩んでいましたし、今でも完全に復帰できているとは思っていません。
過度にストレスが掛かると、「辛いなぁ」という気持ちを超えて、自身でも制御できないほど不安になってしまいます。
ただ、「ヤバい」という予兆や前兆が分かるので、制御出来なくなる前に回避策を考えるようにしています。
回避策を考慮するということは、自身の最悪な状況を想定していることで、一般的なサラリーマンのように、決まった時間に連続して働くことができません。
気持ちを作って、覚悟決めて働くことになるので、労働と労働の間がどうしても長くなりがちです。
「なぜ、生きているのか?」と考えたことも一回や二回ではありません。
自ら人生を終えたいとは思いませんが、「なぜ生きているのか?」「生きることにどんな意味があるのか?」と疑問にも感じました。
こみちは決して若くはありません。
親の介護がもう始まっていて、父親は三度の食事をしている以外、何か変化があるとは言えない状況です。
きっとこの先、もう少し健康状態が悪くなれば、さらに本格的な介護になるでしょうし、家族の負担が増えれば、施設入所も視野に入ります。
経済的な部分でも、実際のところ両親がどれだけ考えているのかも分からないので、蓋を開ければ愕然としてしまう可能性もかなりあります。
つまり、自分達のために貯金していても、両親の介護や医療費などで、10万円単位で消費される可能性が高く、不安や老後を考えるとキリがないほどです。
「何のために生きているのか?」
と思ってしまう状況です。
しかもこみち自身が、精神面に不安も抱えているので、無理もできません。
正直、「なぜ生きているのか?」というよりも「生きているからどうしようか?」と考えることしかできません。
親の介護が大変な理由
親の介護が大変なのは、「介護」がどれだけ大変なのか想像できないことでしょう。
目安として、大人一人が介護施設で生活するには、月額10万円〜15万円程度の費用が必要です。
年金額がその金額を上回る場合には、経済的な悩みは解決します。
しかし、「住み慣れた家で暮らしたい」と思うのが人で、簡単に介護施設に入所するとは言ってくれません。
でも施設に入ってくれないと、家族が世話をしなければいけません。
それこそ、自分にことは自分でしてくれる、部分的にサポートすればいいという状況なら、それだけ負担も減るでしょう。
しかし、例えば夫婦で出掛ける予定を立てても、介護があると長く家を空けることも難しくなります。
ホームヘルパーに来てもらうこともできますが、それだって以外と相性なども関係していて、不安がないというと嘘でしょう。
つまり、親の介護で問題なのは、それでどれくらいの覚悟や負担なのか、はじまってみなければ予想できないこと。
こみち家の場合、父親は本当に何もできません。
さらに言えば、一回でもリビングを掃除機で掃除すれば、誉めて欲しいと思うタイプです。
「ありがとう。掃除してくれたんだね!」
と、一回でも掃除したら言わないければいけないという面倒くささ、分かるでしょうか。
最近では、母親の言動も変で、それこそ気にしていたらこみち自身がストレスでおかしくなってしまいます。
なので、「成るしかならない」「あまり先のことは考えない」と決めています。
準備すれば、それだけたくさんいろんな可能性があります。
自身の夢や希望を叶えるなら、ぜひそうするべきでしょう。
でも介護の場合は逆で、準備しても仕切れない状態に陥り、できていないことで精神を病みます。
以前、父親が「オレはしっかり寝ていないんだ。夜中に何度もトイレに行くから」と言ったことがあります。
でも、こみちの場合、何時に寝ても起きるのは遅くて午前4時、早い時は3時ということもあります。
なぜそうしているのかというと、家族の朝食を作るからです。
これが毎日ではなく、父親と交互にできればいいのですが、それも難しいのです。
かと言って、母親や妻が早く起きるのも難しく、仮にできたとしても、それを続けることは別の何かがまた問題になるという具合です。
朝、妻から今後のことをもう一度家族で話し合おうと提案されました。
それだけ、両親の介護方針では切羽詰まってしまいます。
考えても、不安に思っても、解決しないのが「介護」の難しいところです。