人が「自分を売る」瞬間を掘り下げる

 「自分を売る」とは?

子どもたちが想像する以上に、大人たちは幸せになっていない。

働くこともそうだが、働く中で社会や会社の流れに飲み込まれて行く。

例えば、誰かに指示されて、その通りすれば責任逃れできるとしたら、大人たちは何の抵抗も感じないで仕事できるだろう。

そこで毎回立ち止まって、「その指示であっているのか?」と疑問に思っていたら、前に進めないからだ。

個人的な感覚になるが、1日が24時間だとしても、その24時間を自分だけに使えるのは、人生でも受験生だけではないかと思う。

良い大学、研究熱心だったり、教育に熱い、社会的に評判のいいなど、指示される大学に入れるか否かは、今後の人生を大きく変化させる。

特に30代前半までは、何かと「〇〇大学なんですね?」という話題が繰り返されるからだ。

社会が〇〇大学の本当の評価など知っているとは限らない。

でも、受験生がたった一年を本気で勉強だけに打ち込み、合格を掴めたなら、それで人生が変わる。

合格したこともそうだが、頑張れたという自信がその後を変えるのだ。

一方で、大人になると清く正しい人ほど、1日の中で自由に使える時間はとても少ない。

それは多くの責任を背負って生きているからだ。

ある上司から指示された内容が少し不適切に感じても、それを指摘して時間を掛けるよりも、自分を抑えて言われた通りに従うようになってしまう。

若かりし時のこみちにも経験があるが、大人に相談しても返って来るのは「……?」ということが多い。

「大人って!」と思ったものだが、きっと今のこみちも若い人から見ればそんな大人なのだろう。

社会で起こっていること

今、若い人の中に30代までに大金を稼ぎ、その後はセミリタイアして悠々自適に暮らしたいと考える人が増えたという。

短期間で稼ぐためには、長く時間を掛ける場合とは異なるポイントがある。

それが、「若さ」や「将来性」を売ることだ。

中高年になって感じることだが、もしも預貯金が1億円に到達していれば、資産運用だけでも生きられると思う。

30代までに1億円稼げるなら、今の可能性や選択肢を早々と捨てることを厭わない若い人がいても不思議はない。

しかし、そんなに社会は簡単ではなくて、考えるべきは人口減少や労働力不足が日本でますます懸念される。

つまり、これから20年後、1億円の資産があっても、物価や社会的サービスがどれだけ高騰し、又は廃止されているのかは分からない。

例えば、年収が1000万円を超える人は、会社を作る方が節税になるという。

詳しい話は省くが、年収5000万円以上稼ぐ人は、節税という意味ではとても無関心な部類に入る。

つまり、節税の知識がある人ほど、5000万円以上の収入にはしない。

なぜか?

社会の仕組みがそうなっているからだ。

同様に、30代前半までに稼ぎ切るということが、想像以上に難しいのは、「1億円稼ぐこと」ではなく、どこかのタイミングでまた「稼ぐこと」になるからだ。

つまり、若さや可能性をすべて売った人が、40代、50代でどうなるのか想像して欲しい。

例えば資産運用を思い浮かべるとして、具体的にどんな方法を思いつくだろうか。

ここでポイントになるのは、「誰かに任せっきりにならないこと」で、「自分で何が大切なのかを考えること」だと思う。

成功していないこみちに言われて説得力がないことも分かるが、言い換えると「若さ」や「可能性」はそれだけ価値がある。

安売りしてはいけないものだ。

大人が「自分」を売るのは?

大人になると、誰もが自分を売る。

そうしながら社会の中で生きている。

でも、社会的信用や法的な違反はしない。

なぜなら、そうすれば、高い確率で一時の「成功」が手に入るけれど、その後の人生が苦しくなるからだ。

特に、未熟故に犯した過ちを、大人になって悔いても遅い。

幸せになれても、どこかで「過ち」が自分を苦しめる。

社会的にグレーなことで稼ぎ、一代で大富豪になれた人がいたとしよう。

お金には困らない。

何でも買えるし、人がお金に集まってくる。

そして貴方には特別の笑顔を浮かべてくれる。

それで本当に幸せなのか?

いつも言うことだが、誰もが年を取り、長生きすれば誰かの世話になる。

つまり、介護される時が来る。

人は人を世話するのは簡単ではない。

それこそ給料が高かったとしても、自分の時間を「誰かに捧げること」は稼げる人ほど難しい。

つまり、お金だけでは幸せになれないようにできている。

多くの大人は生きる中でそれに気づき、自分の幸せを求めて暮らす。

だからこそ、大人になると「自分を売る」。

でもそれは若さや可能性ではなく、自分が幸せになりたい、したいから、その目的のために葛藤しながら売っている。

意外と知られていないのは、若くして有名になった人の晩年だったりする。

「あの人が?」と思うような人が、世間から距離を置き、ひっそりと生きていたということも少なくない。

人生はトータルで決まるから、そんなことも考えながら、どう自分持ち味を活かしていけばいいのかを考えた方がいい。

我慢ばかりでもつまらないけれど、未来を信じて自分を全部売ってしまうのも考えものだと思う。