仕事を辞めたいと言う母親のこと

最近の 母親のこと

数日前、母親の行動に異変を感じると伝えた。

同じものを何度も買って来ることをはじめ、時間管理、状況管理が苦手になっている。

インフルエンザの予防接種を予約するために、医療機関に連絡したらしいが、「予約は受け付けていない」と断られたという。

しかし話をよく聞けば、断られた理由があると気づいた。

ただ、ここまで来るのに、母親から話を聞き出すのが大変だった。

「それで、電話して何て言ったの?」

「だから、電話したんだって!! 断ったの!」

「うんうん。電話したんでしょ。お母さんは何て?」

「何ても断られたの」

「「もしもし」って言って「予約できますか?」って話したんだよね!」

「そうだよ。「もしもし」って…」

この状況で埒が開かないと諦めずに、根気強く話を聞き出すこと10分。

「もう一回電話してみな。「高齢者のインフルエンザ予防接種の予約できますか?」って」。

ここに来て、できないと決めてしまうと、母親は何もできなくなってしまう。

なぜそうなっているのかを整理して、どうすればいいのかと考える習慣を維持させたい。

「そんなこと当たり前!」と思うことなかれ。

物忘れをするというような認知症ばかりが加齢症状ではない。

むしろ、段々と今までの生活ができなくなって行くことが、高齢者に直面する問題とも言える。

仕事を続けるのが辛いらしい母親ではあるが、そもそもは父親がテレビを見て過ごすようになったのも母親の考えだった。

母親が「父親は足が悪いから働けない」と譲らなくなって、父親の行動を決定させた。

しかし数年が経過し自身の体力が低下すると、「今度は自身も働けない」とアピールし始めた。

ある意味でそんなことは分かっていたことで、だからこそ10年くらい前にそんなことを家族全員で話し合ったのだ。

「仕事は辞めない方がいい。辞めるにしても、外に出る習慣は続けるべきだ!」

しかし、「こみちたちには心配をかけない。自分たちでできる」と言ったのは両親それぞれの考えだった。

ところが、母親にも気になることが増えた。

例えば昨日のカボチャの煮物。

どんな風に作ったのか、味がほとんど付いていないし、煮込めていないから明らかに硬い。

例えば仕事を辞めて、家事を頼むにしても、実は掃除も定期的にできないし、整理整頓も不得手な母親が、料理を作るのも難しいとなれば、父親同様に何もできない人になってしまう可能性が高い。

何をするのも一緒にする。

長く説明し、母親に理解してもらってというのは、もうある意味で介護なのだ。

この前、父親がお湯を沸かしたことがある。

みんながいろいろと忙しくて大変だった時に、父親も自分なりにしたことが「湯を沸かす」だった。

でも、もう次の日にはしなくなった。

母親は性格から判断して、父親以上に何もしなくなる可能性が高い。

かと言って、同じ話を何度も繰り返す母親の相手はかなりストレスでもある。

食べられないカボチャの煮物を、さらに手を加えるべきか、それはそれで母親の料理として残すべきか。

何もかも手を出すと、母親が父親のようになってしまう。