母親の行動に違和感がある
先日、母親の姉妹から連絡を受け、また入院していることが分かった。
彼女は若い頃から身体が弱く、今回が初めての入院ということでもない。
とは言え、その連絡を受けてから、特に母親の様子に何らかの変化を感じるのだ。
具体的なことを言うと、夕飯後の食器洗いをこみちがしていると、傍に立ってその様子を見ている。
「何?」と聞くと洗ったばかりの食器が入った洗浄器の中をぶつぶつと呟きながらいじり始めた。
まだ濡れている食器を拭いて食器棚に戻すわけでもなく、食器を手に取っては移動させ、整理しているような感じだ。
まだ洗っている途中で、勝手に食器を移動させられると邪魔だ。
こみちが一度手を止めて待っているのに、それにも気づかない。
「ねぇ、空いたペットボトルにお湯を入れても大丈夫?」
「ペットボトルに? あまり熱いお湯を入れたら持てないんじゃないの?」
正直、そんな話を今しなければいけないのかと思った。
それだけではない。
いつも夕飯作りは、母親の担当になっている。
もちろんテレビを見ているだけの父親が作っても問題はない。
でも、父親は最初から作るつもりもなくて、食卓に料理が並ぶまでただテレビ眺めて待っている。
そんな状況で、母親から「今日は疲れたから、もう夕飯を作りたくない」と聞かされた。
それこそこみちが作ってもいいし、何なら今晩はそれぞれが好きに食べればいいとも思う。
いい年の大人ばかりだから。
日頃からこみちが願っているのは、両親が二人で考えて、協力することだ。
しかし、母親が言い出したのは、弁当を買うことだった。
もちろん父親はそんな買い物を拒むだろうし、「作りたくない」と言った背景はこみちがスーパーまで買って来ることにあった。
実はその前に、「代わりに作ろうか?」とも聞いている。
でも母親は冷蔵庫の食材は明日用で、弁当を買って来て欲しいと譲らない。
しかも父親のために、お腹が空くだろうともう一品追加してとも。
動かない父親のお腹はかなり出ていて、膝が悪いというのも何処へやらで、運動もしなければ食事制限も母親が何かと理由をつけて許してしまう。
そして、言われた通り弁当を買って帰ると、なぜか料理を作りたくないと言っていたはずの母親が味噌汁を作っていた。
味噌汁が作れるなら、簡単な何かを作れるだろう。
わざわざ車を出してスーパーまで買いに行く必要があっただろうか。
父親もそうだが、母親にも似たところがあって、二人と一緒に生活していると簡単なことも2倍3倍と手間が掛かる。
「味噌汁くらいなら…」
母親はそんな風に言う。
でもそうではない。
疲れた時は「何もしない」を徹底して欲しいのだ。
でも母親は体裁を気にする。
中身があるかないかではなく、何もしなかった訳ではないと格好をつける。
味噌汁は、料理を全くしていないという指摘への反発だ。
誰もしないのに…。
その後も自室に戻ったと思えば、また降りて来た。
それはキッチン周りの掃除まで終えて、こみちが自室戻ろうとした時だ。
こみちが自室に戻ると、キッチンで何かしている音が聞こえる。
「疲れた」「作りたくない」
そんな風に言っていても、明日のために「身体を休める」ということができず、シンク内まで拭いたはずなのに、もうキッチンで水を使っている。
ピーマン、シメジ、プチトマト
数ヶ月前から、同じ食材を続けて何度も買って来ている。
忙しいからだろうと思ってはいるが、料理をしない父親が一人で昼食を食べる用まで、惣菜を買い揃えている気の使いようだ。
「お昼くらい、自分でどうにでもできるよ。大人なんだから」
もうそんな言葉を言うのも嫌になった。
なぜって「お父さんは自分で作れないから…」と返ってくるからだ。
父親もそんな会話を聞いているなら、「どうにでもなるから、心配するな!」と母親に言えばいい。
でも父親は決まって「損」する時は黙っている。
言うなれば、「大丈夫?」と声掛けるだけで、決して助けてはくれないパターンと同じだ。
こみち家で、母親が壊れたら、マジで終わる。
母親の介護と、何もしない父親の世話を支える余裕は無い。
だからこそ、身の回りの整理をして欲しいのに、いつも使っているコタツの上でさえ、ごちゃごちゃになったまま二人が片付けているようには思えない。
母親の奇行を疑う!?
もしかすると、それを聞いてくれた人は、どこが「奇行」なのかと思うだろう。
しかし、異食のような奇行が現れた時は、もう認知症の疑いが濃厚になった時だ。
そうではなく、奇行を観察することは高齢者支援では重要でも、詳しく観察すると会話が成立していないなどの言動がある。
もともと、母親はかなり天然で、相手の言葉を踏まえた返しができない。
いつも自分の思い付いたことを一方的に話して、相手に返事させるパターンなのだ。
だから、「どうすればよかったんだろう?」と抽象的な問い掛けになると、それまでの話を踏まえた返しになってしない。
「見えたまま」「感じたまま」でしか理解できないところがある。
強く指摘することもできないし、言わなければ勝手に好きなように行動してしまう。
まだはっきりと心配する状況ではないが、これから2年、3年後はどうなっているのか分からないとも思う。