「愛情」が尽きるってどういうことだろう?

 そもそも「愛情」ってなんだろう?

学生時代の好きという気持ちは、「恋愛」と呼ばれることが多い。

社会人となり、より互いの人生に関わる距離感になって、「愛情」へと変化する。

つまり、「感情」だけの「恋愛」ではなく、それに伴う言動まで加わった時に「愛情」に変わるのではないだろうか。

言うなれば、「経済力」もその一つで、時にまだ社会人なって浅い年代なら、夢と恋愛の狭間で「愛情」も育まれるのだろう。

恋愛や愛情に関わる社会的ニュースも多い

初恋の相手と結婚し、さらに年を重ねて人生を終えるまで添い遂げる。

言葉にすれば簡単聞こえるが、人が自身の成長と他人への愛情を両立させることは葛藤も多い。

例えば、会社員となって夢だった仕事に就き、次々と新しい知識が増えている時は、仕事に没頭したい。

「いつも仕事ばかりだね! もう嫌いになったの?」

恋人からメッセージを見て、「そんなことないよ。好きだよ」と返しても、仕事にやりがいを感じている時期はある。

「私ではなく、仕事を選ぶの?」

恋愛ではなく、愛情を感じたい相手は、そんなことを言ってしまうだろう。

でも、それを聞いて、乗って来た仕事の流れを止めることができるだろうか。

仮に忙しくなった職場で、「今日は用事があって」と言ってしまえば、そのポジションに立ちたい人は幾らでも待っている。

「チャンスを逃しくない!」でも、恋人のことも気になって会いに行く。

「全然、楽しそうじゃない! 好きな人でもできたの?」

仕事と恋人の狭間で葛藤しているのに、恋人は浮気を疑い出す。

「そんなことないよ。好きだってば!」

でも、そう呟いた自分自身の中で、恋愛ごっこが急に冷めてしまうのを感じる。

今のポジションを失って、このまま恋人との恋愛に満足できるだろうか。

時にそんなタイミングで、信頼している職場の先輩が優しくしてくれる。

「仕事で頑張っていることをきっと分かってもらえるよ!」

気づけば、先輩にいろいろと相談するようになった。

それが恋愛感情だと気づいたのは、「尊敬する背中」が「一人の異性」へと変わっと時だ。

もう恋人とは別れよう。

そして、次に会った時に気持ちを伝えた。

「やっぱりね。そうだと思っていた。でも別れたくないから!」

気持ちはすっかり冷めているのに、それをわかってくれない。

むしろ、以前よりも頻繁に連絡が来るようになった。

「いつ会える?」と。

好きという気持ちが恋愛感情になるとしても、仕事のやり甲斐を捨てることはもうできそうにない。

今の自分に合った目標があって、生き方もできた。

そして、そんな自分を理解してくれる人と一緒にいたい。

大きな仕事をやり遂げた達成感もあって、先輩と一緒に労を労う時間が嬉しい。

「恋人はいるの?」

先輩からの告白に、「別れたくばかり」と伝えた。

学生時代の恋愛とは違い、仕事を通じて親しくなった先輩とは、「好き」だけではなく、互いの未来まで描けるように思える。

もっと仕事の経験を積んで、二人で会社を立ち上げたいという夢もできた。

「今後、仕事が落ち着いたら、温泉でも行こうか?」

それは恋愛する恋人同士がお泊まりデートするのではなく、二人の未来に近づく一歩でもあった。

「仕事、頑張ろう!」

恋人だった人からは、今でも連絡が来る。

「いつ会えるの?」

いつしか怖いとも思えるようになった。

恋愛から愛情へのステップアップ

相手のことが好きだという恋愛の感情は、相手を感じられる時間が愛おしい。

でも、恋愛が愛情に変化し、同じ夢や希望を描けるようになったら、一緒にいること以上にそれぞれが役割を持つようになって来る。

何も家事や子育てのような意味ではなく、一緒にいない時間だとしても「二人」のために生きている実感が強くなるという意味だ。

だからいつまでも「恋愛」の感情から抜けないでいると、「会いたい」という感情ばかりが吐出される。

夫婦になれば、朝のおはようと夜のおやすみだけでも安心できるし、たとえ側にいなかったとしても、必ず二人は二人なのだと信頼関係が揺るがない。

それがつまり「愛情」の本質だろう。

でもそれは急に芽生えるものではなくて、時間や環境が影響し、互いに育みあって作り出す。

「人を好きなる」

誰にだって起こり得る感情だけど、愛情を感じ合える相手がいたら、そう簡単に手離せる相手ではない。

それくらい自分が相手の、相手が自分の中にいる存在だからだ。

浮気ってなんだろう。

それは「好き」という感情。

そこから恋愛、愛情へとステップアップさせるのは、幾つも壁が存在する。

つまり、好きという感情は芽生えても、そこから浮気に行動を移せるのは、「愛情」の難しさも強さも理解してしないからだろう。

職場仲間たちとしてみんなで出掛けて、そこで騒ぐのは浮気ではない。

なぜなら、「好意」はあっても「恋愛」にはなっていないから。

言い換えると、相手が愛情を注いでいるのに、それに気づかないで恋愛感情のまま別れてしまうとどうなるだろうか。

きっと「二人は何だったの?」と言うだろう。

「もう好きじゃない」

「好きじゃない?」

愛情がさらに、時に憎しみや怒りへと変化する。

「二人」という組み合わせがバラバラになるくらいなら、「もう生きていなくてもいい」という感情にまで発展しかねない。

小説などでもよく使われる感情の変化ではあるが、「恋愛」と「愛情」は全くこと異なる気持ちだから、そこに人生模様も生まれるのだろう。