YouTuber がコラボしていた理由
YouTube で、よくコラボ企画が実施される。
多くは知名度のあるチャンネルとこれから伸びていくだろうというチャンネルがコラボすることが多い。
又は、視聴者層が異なる者同士でコラボし、より幅広く認知されることを目的にする。
改めて考えれば、戦略としても、マーケティング的にも珍しい行動ではない。
それよりも、「中身のあるコンテンツを作って人気チャンネルになろう!」と思った人が問題になる。
「令和時代」に「昭和的戦略」で立ち向かう!?
老舗の料理店があったとしよう。
もちろん味も是品で、店としての格式や雰囲気、おもてなしの心遣いも十分にある昭和時代から親しまれた名店だ。
しかし、常連客の平均年齢が高く、新規客の獲得が問題視されていた。
あと10年は問題にならないとしても、その先を考えると今から対策に乗り出す必要がある。
このような老舗と呼ばれる名店は、正に昭和時代からのお客様によって親しまれた。
会社や社会の中で、課題を与えられ、それに向かって必死に努力したサラリーマンがいた時代に一緒になって成長した店とも言える。
しかし、コロナ禍が社会に浸透し、サラリーマンが在宅勤務になり、働き方改革が進んだなら、店の在り方も順応しなければいけない。
「デリバリー」を始めて、弁当作りを企画するべきか。
そんな風に考えた時に、名店が作る「弁当」とは何かということ。
そんな思考は昭和的特徴だが、老舗店として親しまれたからこそ、考えて昭和しまう課題だろう。
端的に言ってしまえば、「名店」というブランドを活かしたいのであれば、その店は規模を縮小させたとしてもスタイルを存在させることだ。
代わりに、徹底的にコストダウンした手ごろで美味しい弁当屋を新たに開店させるのだ。
なんなら、行き詰まっている弁当屋があるなら、丸ごと買収してもいい。
もっと言えば、コロナ禍で減収になった部分を補填できる改めて事業を考えるべきだったのだ。
昭和時代特有の思考は、「コツコツと頑張ること」が成果になると思うこと。
しかし、上手い店でも繁盛するとは限らない。
なぜなら、上手くない店の料理が、本当に不味い訳ではないからだ。
10万円の厳選特上握りと、セール品の握り500円を比べて、どちらが上手いと思うだろうか。
以前は、寿司そのものを比較して、勝敗を競った。
しかし、例えばコロナの感染リスクや時間的な手間、ドレスコードのような衣装などを含めると、100人が100人とも老舗店を評価するとは限らない。
むしろ、帰り道のスーパーで、500円の握りをゲットできたら、それで都合の良い人も多い。
つまり、それだけ価値観に多様性が生まれたのだ。
比較的、横並び意識が強かった昭和生まれの世代だが、平成生まれ、令和生まれとなった時に、「他人と同じである」ことを安心できるものとは考えていないだろう。
その意味でも、「老舗店」というメリットがどこにあるのか理解しなければいけない。
かつての百貨店がそうだったように、「ブランド」をどう活かすべきかが非常に問われているし、間違えた方向に進んでうしまうと呆気ないほどに失墜してしまう。
つまり、独立したブランドを立ち上げるのが難しい時代なのだ。
理由は良いと思う人もいるが、そこまでこだわらない人も増えてしまったことだろう。
だからこそ、現時点で評価された人気のYouTube チャンネルは、これから伸びそうなチャンネルとコラボし、相乗的に成長させる戦略をとっている。
あるサービスや商品がヒットするか否かを判断するとき、それが完全なる独自商品だったら、それこそ昭和的な戦略で進むことができる。
しかし、なんらかの面で改良版になっているなら、すでに評価されたブランドを上手く取り入れることが欠かせない。
今の時代、同じくらいのレベルにあるサービスや商品は、かなりの数にのぼる。
その中から注目されるか否かは、「戦略」なのだ。
意外と、性能は少し劣っていても、有名人やインフルエンサーが紹介することで価値あるものになることが多い。
もっと高性能な商品を見せた時に、「あの商品じゃないんだ」「少し高いんだね」と高機能な部分よりも、満足感にどれだけ訴えかけられるかがポイントだろう。
そこで高スペック化に走ってしまう企業は、思うように売上を伸ばすことができない。
良い商品なのに、それほどヒットしなかったで終わる。
一方で、半年、一年後には、人気商品がグレードアップし、かつての高スペック化をお手ごろ価格で取り込んで込んでしまう。
販売力が優位になり、気づけば高技術力を投げ売りしている企業も増える。
でもそれが、令和時代のマーケティング戦略なのだろう。
YouTuber たちがこぞってコラボしていたのも、考えてみれば令和時代の戦略だったということだ。