両親の介護支援が始まって
家にいることが多いこみちは、家族の負担軽減にと、家事をすることが増えました。
朝食作りと夕飯の洗い物、さらにシンク周りのゴミ捨てや水切りカゴなど清掃です。
妻の帰宅に合わせて晩御飯を食べるこみち夫婦と、両親たちの食事時間はズレていて、空いてしまう時は2時間くらい差があります。
なので、晩御飯を食べてシンク周りの掃除や明日分の米研ぎなどもその後に始めるのですが、なぜかいつも飲みかけになった母親の湯呑みと急須がテーブルの脇に放置されています。
決まってこみちたちが食事をしている頃、母親は風呂に入るか自室でくつろいでいます。
シンク周りを掃除し始める頃になると、ダイニングテーブルの一角に座って、掃除が終わるのを待っているのです。
こみちには気質的にエンパスな部分があり、気配を感じながらの作業はとてもストレスが掛かります。
なのに、背後から見られている、急かされていると感じて掃除するのは好ましい状況ではありません。
「一度、そんな所に居られるとやり難い」と伝えたのですが、母親にすれば何をどうやり難いのか理解できないようで、その後も行動に大きな変化はありません。
何より今日もいつもの席に座って待っていて、掃除を終えてキッチンを離れた途端、シンク内までしっかり拭いてあるのに、すぐにびしょ濡れになってしまいます。
それでも拭いてくれればいいですが、それ以上に掃除した直後に、またいじられるのは気持ちのいいものではありません。
やめて欲しいと言った所で、母親はしばらくすると独自ルールができて、それこそこちらが言うのを諦めるくらい、変わったことが無いのです。
結局、何をどうしても母親は自分の好きなようにして、又それを他人にも強制したがり、それこそ本格的な介護にでもなったら、こちらの言うことなど全く聞いてくれないでしょう。
夕飯作りは、両親の担当になっていますが、父親は「作れない」と公言し、それこそ家事は何もしません。
なので母親が作るか、出来合いを買って来るパターンですが、肉が嫌いなので、肉料理はいつもゴムの板みたいにカチコチになるまで焼いてしまいます。
それを不味いと思わないようで、父親も味が分からないのか、味噌汁や肉料理はほぼ美味しくありません。
そのレベルは、一回、箸が止まってしまうくらいです。
決してこみちも料理が上手ではありませんが、自分の納得するものを食べたければ、夕飯も作るしかなくなります。
ところがそれには妻が反対していて、夕飯作りの時間はこみち自身の仕事に使えと譲りません。
無理してでも作ってもらうべきか、それとも自分好みの味で食べるために夕飯も担当するべきか。
今日の夕飯が、あまりに不味くて、どうしたらいいのかと考えながらシンクの掃除をしていたら、ダイニングテーブルに座って来た母親を見つけて、さらにため息が出てしまいました。
言葉は交わしていますが、もう根幹の部分をすり合わせるような踏み込んだ話はできません。
互いの状況を理解し、話し合って協力するということが難しくなっています。
特に母親に関しては、母親から話しかけて来ますが、その返事に反応はなく、どこか一方通行の会話なのです。
「これ、今日買って来たんだよ」
「良かったね。どこで買ったの?」
「いい色でしょう。気に入っているの」
「本当だ。似合っているね。高かった?」
「そうそう、店で〇〇さんに会ったの」
そんな感じで、会話をしているようで、どこか一方通行なのです。
段々と母親も認知機能が低下しているのでしょう。
何もしない父親の世話をするためにも、母親には健康でいてもらわないと困るのですが。