今後の注目「フラタニティ」という社会

 中高年にとっての「市民教育」から「フラタニティ」へと

国民が「国」にとっての人材だった頃、「国家教育」という考え方が誕生しました。

「国家教育」の主な役割は、個々の国民が基礎教育学ぶ、自身の生活基盤ともなる「国家」や「社会」に貢献できる人材を育成することです。

さらに時代は変化し、「市民教育」に変わると、個人が競争社会の中で生き抜くための教育になりました。

正に、今、中高年と呼ばれる年代がそんな時代に教育を受けて来たのでしょう。

そして、エリートと呼ばれる人を目指し、勉強でもより優秀であることを求められた時代です。

さらに、そんな市民教育も終末期を迎え、新たに「フラタニティ」な教育へと変化しているそうです。

「フラタニティ教育」の特徴は、競争社会とは異なり、個々の関心や興味によって結びついた社会です。

具体的には、YouTube を含めたSNSのような繋がりが特徴で、例えば独占するとにこだわりません。

マイホームを持つことが幸せの象徴だったとするなら、ライフステージに合わせて住まいも変化させるという具合いに、「独占」することよりも「シェア」することでより流動的に生きようとします。

仕事で無理をして、出世することに価値を置かず、ヒラ社員でも時間や生き甲斐をより多く感じられるのであればそれを良しとします。

言い換えれば、市民教育に慣れ親しんだ今の中高年からは、やる気を感じないように見えるでしょう。

一方で、彼ら見れば、無理をして固執する生き方を続ける我々世代を、どこか可愛そうに感じているかもしれません。

他人よりも「多い」という優越感が、どこか市民教育世代には残っているからです。

一方で、フラタニティ世代は、さまざまなグループに属し、自身の好みに合わせて繋がりを持ちます。

言い換えれば、それだけ興味や関心を見出さないと、「孤立感」があるとも言えます。

しかし、目標や目的を定められた我々世代にとって、自分から興味や関心を見出すことは簡単ではありません。

問われたことに対して、答えるという教育だったからです。

その傾向は、同じ中高年でも女性よりも男性に強く、実際、休日も趣味を楽しんでいない人が多いのも分かる気がします。

仕事探しの場面で

市民教育世代がフラタニティな社会で仕事を探す時、「言われたら何でもします!」という答えが評価されないのは分かるでしょう。

フラタニティな社会では、興味や関心のある人々が集まりやすいので、「こんな風にして楽しんでいます」ということが割と出やすいからです。

「なぜ、今回の応募に?」という面接官の質問にも、「業界に興味があった」のような表面的な答えは望まれません。

上手く説明できることよりも、どれだけ関心があるのかが問われているので、それこそ業界を無視していろんな応募をしても、いい返事は返ってこないでしょう。

趣味でプラモデルを作るのが好きで、単純作業なら黙々と続けられる。

だから、今回の応募に至ったという流れの方が、「業界の可能性に…」と中身があるのようなないような返答よりも、若い会社ほど受け入れられるでしょう。