仕事場で
中高年のこみちは、仕事場で目立つ存在ではない。
多くの従業員がいる中で、立場は一番「下」である。
とは言え、そんな「下」の中にも、さらに細かい区分があるのだ。
そして、こみちのそのの中でも「下」なのだ。
社会という大きな枠組みからすると、どこにでもある「会社」はそんなに大きな存在ではない。
でもそこで働いていると、ルールや立場があって、社会とは異なる立場が社内に出来上がる。
こみちが、その会社で仕事をしている限り、会社役割に応じた階級が与えられ、そして今のような「下の下」になってしまう。
働くって何だろう?
もう半年くらい前から、社内で作った製品に一定数の不良品ができている。
その原因は、とても単純で、生産工程に決定的な欠陥が隠れている。
とは言え、下の下として働くこみちが、しゃしゃり出て「このやり方が悪い」とは発言できない。
というか、仮に言ったとしても、その改善策を講じると、今の幹部たちが仕事から溢れてしまう。
つまり、会社という存在があって、幹部という彼らがいて、いろんな立場で働く人がいて、こみちのような下の下も働いている。
ある意味、こみちは働いた分の報酬をもらえたらそれでいい。
別に会社を大きくしたいとも思っていないし、業績をアップさせてボーナスに期待している訳でもない。
だから、別にミスがあっても、非効率や不具合があっても、それがこみちの業務と関わっていないなら、何も気にしていない。
そんな風に説明すると、何か人でなしみたいに聞こえるが、非効率や無礼な行為を受けても、我慢するのは、働くことが報酬を得ることと割り切っているからだ。
今日も、同じ立場で働く人の中に、こみちならできないようなことを当然のようにする人がいて、正直、ちょっとズルいなぁとも思った。
でも、そんな人が働くところに来たのもこみちであって、嫌な辞めればいいのに、稼げるから働いている。
社内にいる時は、その場の雰囲気になって、面倒なことを避けている人を嫌に思うけれど、家に帰れば稼げたからと、もう職場のことなど考えたりしない。
でも、家に帰れば、テレビの前でうとうとしている父親がいて、働くこともしないし、アレやコレやと我慢もしないで満たされた暮らしを続けている。
「働かないの?」といえば、身体の不調を訴えて、自分の不遇を熱心に語る。
でも肝心な時には決まって支払いをしないで、別の時には小金をちらつかせて生活に困っていないアピールをする。
やるべきことのありとあらゆることを放棄し、それでも呑気に暮らしている父親を見ると、別の意味で職場とは違う違和感を感じる。
入院でもしたら、その費用はどこから負担することになるのか。
考えたら怖くなるけれど、それが人生なのだろう。
人生は質素でいい
小さな世界で、マウントを取り、それで自分のプライドを保とうとする人は、もっと大きな世界には出られないし、間違えて出たものならあっという間に吹き飛ばされてしまう。
再三、今の職場のままで良いとは思っていないけれど、いろんな意味で怖くて抜け出せない自分がいる。
でも、社内で底辺同士でもマウントを取りたがる人も、父親も、きっと彼らにしか分からない悩みもあるのだろう。
その悩みに耳を傾けている時間も無いから、こみちは自分でやるべきことを地味でもいいから継続させなければ。
派手さは一切ないけれど、それで十分だと思う。