嫁の誕生日が近くなって
母親に嫁の誕生日が近づいていると話を振った。
「ケーキ代くらい出そうか?」
平然とそんな言葉が返ってくる。
「出そうか?」
幸い、嫁はいなかったから良かったけれど、母親の時も父親の時も、嫁が準備をしてささやかでも食べるだけでよかったことを忘れてしまったのか。
「うん、あとで相談するよ!」
そんな風に言ったのも、「じゃあいいよ。勝手にするから」と言ってしまいそうだったから。
かと言って、父親はテレビを観ているだけの人だから、相談しても何も解決しない。
それこそ、準備をして目の前に置いて、「どうぞ、お召し上がりください」ということしかしない。
それが母親にも及んで来た。
父親の態度を否定しないまま、それは母親の意地やこだわりだと思うけれど、そんな父親と一番近くで生きた母親は、自分でも気づかない内に動けなくなっている。
仕事で疲れているだろうから、夕飯作りは手を抜いていいと言ったことがある。
本当なら、母親がテレビばかり観ている父親と話し合って、夕飯作りを一緒にできたら嬉しい。
でも昔から家族会議は意味がないし、前向きな意見を誰も言わないことが当たり前で、今日まで何も変わらないまま来た。
これで、嫁の誕生日に寿司やケーキを買って来れば、「用意していないからこみちたちでどうぞ」にはならない。
ちゃっかり、好きなネタを取り、ケーキもなんだかんだ自分たちで目星をつけている。
嫁には悪けれど、それがこみちの親たちだ。
母親はいつも、りんごを剥いて、それをテーブルの真ん中に置く。
誰も手に取らないのに、食べるという寸前に置いて、ある意味で「自分の存在を示す」行動gwある。
それが物凄く嫌なのは、出す所が違うだろうと思うからで、意味がなくても変なアピールをして来る。
指で寿司ネタを触り、注意したこともある。
「お腹に入ったら、同じよね!」
誰からも共感されないのに、そんな意味不明なことを平気でしてくる。
一歩ではなく、2歩も3歩も譲らないと、両親とは上手く生きていけない。
こみちたちだって、夫婦だけで済ませられるならそうしたい。
でも一緒に暮らしているからと、両親にも楽しんで欲しいと思っている。
でもそんな気持ちが態度や雰囲気から伝わるはずもなく、極端に言えば小遣いを渡して座ってもらうような感覚だ。
イライラするし、楽しい気持ちも失せてしまう。
でも、妻には楽しい気持ちでいて欲しいから、誕生日会を家族で開催したいと伝えてある。