なぜ日本人は「褒めない」のか?

 何かに出会った時の反応

今、外国人が日本人よりも「勤勉」だと聞く。

でも正確に表現するなら、日本人が「レベル4(MAX5)」の勤勉さだとしたなら、以前の外国人は「1〜5まで」幅広かったに過ぎない。

もっと言えば、その国を統治している人や経済的な成功者たちは紛れもなく「レベル5」だった。

そして、平均値前後の人が、「より勤勉になっている」のだ。

一方で、日本人はより「勤勉」になっただろうか。

ここでポイントとなるのが、「勤勉」に対する行動で、ありがちな誤りは「真面目」とか「ルーティーン化」とか、繰り返すことに注目していることだ。

しかし実際には、一見すると困難なことを、試行錯誤を繰り返して「克服する能力」を勤勉さというのだろう。

例えば、空腹を満たすだけの食事は、「食べられること」が基準になっている。

しかし、満たせることに慣れてしまうと、単純に食べるだけでは飽きてしまう。

味を整え、時には味付けに変化をもたらして、「飽きてしまう」人間の本質に対応しようと心みる。

では我慢とは何か。

人間の本質に従うことで生じる問題点を、精神的な側面から克服する行動だと思う。

そして、「我慢」がない人生は、多くの場合、幸せな状態に近くなっている。

日本人が大きな過ちを犯しているとするなら、「ゆとり教育」にあったような、単純に負荷だけを取り除く方針を「良し」としたことだろう。

例えば、サラリーマンという働き方が大変で、苦労するからと言って、簡単に辞職するとどうなるだろうか。

辞めたのだから、時間的にも精神的にも一時的に楽になる。

そこで、夜ふかしと朝寝を繰り返していると、短期的には「自由」と「幸福」を掴んだように思う。

しかしながら、その期間は現代社会から距離を置いた状態で、自分でも気づかないほどコミュニケーション能力が低下している。

そのまま社会から孤立し、自身の世界観の中で生きられる恵まれたケースを除けば、どこかのタイミングで社会復帰を迫られるだろう。

親の介護が目の前に迫り感じることだが、大人一人を支える家族の負担は、時に支える側の人生までも変えてしまうほど「重い」ものだ。

「そろそろ、働いてくれないか?」

優しく言っているようでも、実際はかなり切実なもので、でもそんな生活を「幸福」に感じ、またコミュニケーション能力が低下したことで社会復帰が困難になると、ますますその家族は全体として右肩下がりになってしまう。

つまり、単純に負荷を取り除くべきは、精神的に追い詰められた状況の時だけで、少し落ち着いた段階に戻れば、そこからは程度に「負荷」を掛けて適切に社会復帰できるように進めなければいけない。

きっと「我慢」しなければいけないだろう。

なぜなら、自由に何からも束縛されない生活から、また決まりのある生活に戻すのだから。

表面的にはどちらもそう変わらないように見える。

しかし、決定的に異なるのは、「自由で束縛ない生活」にも飽きてしまうことがある。

つまり、「なぜ生きているのか?」と自由だから故に考えてしまうのだ。

その時にもミスをして、「自由」というベースで生きている理由を探してしまう。

もちろん、考えても答えは見つからないだろう。

なぜなら、「自由」だけも生活はそもそもとしてあり得ないからだ。

少し言葉は悪いが、高齢者施設でも積極的に介護支援を行わないと、利用者が自由という名の放置状態になってしまう。

何も不適切なサービスを行なっているのではない。

でも、生きる価値を全て取り上げてしまうと、人は生きる意味を見失ってしまう。

だから意味のある「ストレス」や「我慢」も大切なのだ。

精神に異常を来すほどの労働は避けるべきだが、それが理由で一切の労働を拒んでしまうのも、別の意味で危険だということ。

随分と話が外れてしまったが、外国人は勤勉になっている。

ものづくりの面で、日本以上に高品質になるだろう。

注意しなければいけないのは、意欲を見失い、簡単なことばかりを好んでしまうことだ。

そこには勤勉さは感じない。

そして、多くの場合、簡単な目先のことは、大きな変化で吹き飛ばされてしまう。

軸となるものは、どんなに変化しても動くことはない。

でもその回りにあるものは、変化に弱い。

これから安心して暮らすためにも、「軸」を失わないことだ。

そのためには、細かな努力を重ねて勤勉に取り組むことが必須になる。

目的もなく継続することや、真面目であることは軸にはなり得ない。

特にこみちと同じ世代の方々には、「これくらいでいいだろう」と自身のさじ加減で判断するのではなく、相手の反応を確認して、その時々で調整する配慮を持って欲しい。

「褒めない」のではなく「褒める」ことができない!?

相手を「褒める」には、その価値観を理解していないとできない。

自分で苦労し、ミスを繰り返した経験があるからこそ、「褒める」ことができる。

なぜ日本人が「褒めない」のかというと、それだけこなしになった生き方が増えたからだろう。

ミスのない効率的な生き方は、成長度合いも高い反面、どこかで頭打ちになり、そこから伸びてはいけない。

もしも伸ばそうと思ったら、原点に立ち返り、自身の行動や経験を改めて確認する作業が必要になる。

性格や雰囲気が変わったと言われるくらいに、変化しないとできない重作業だ。

何かをすると、すぐに指摘されて、ミスばかりが目立ってしまう。

でもそれを嫌うと、前に進むことができない。

社会がそれを許さなければ、海外の勢いに飲み込まれてしまうだろう。

いくつになってもできることはある。

それだからこそ、生きていて楽しいのだ。

全てを取り上げて、自由というなの放置の中で生きてしまうと、もう社会に復帰できない人生になってしまう。

中高年の方は、就活中でも週一回は何か働ける仕事をキープしておいた方が自身のためにもいいだろう。