悲観しているのではない!

 中高年が本当に「老い」を感じた時

こみちは中高年です。

しかも、初老と言った方がいい。

これまでにもいろんなシーンで老けたなぁと感じました。

しかし、昨日、ふともうありとあらゆる面で今よりも「向上」しないと思ったのです。

つまり、これから何年経ったとしても、「今できている以上にはなれない」と。

それだけ老いが常習化していて、それこそ今できていることも段々とできなくなってしまっているということです。

ある有名人の訃報で

いつも観ていたYouTube で知っていたある有名人の方の訃報を聞きました。

「ええ? 昨日、動画見た人?」

ちょっと信じられない話でした。

顔は知っていても、名前までは覚えていなくて、初めて名前を検索し、どんな人でどんな経緯でYouTube に登場されたのかがなんとなく分かってきました。

知名度のないこみちとは違い、その方は何万人もの方からチャンネル登録をされるくらいで、それこそ現代の「勝ち組」だと思っていました。

心の深い部分までは、こみちには想像もできません。

ただ、当たり前ですが、人には言えない悩みや苦労は誰にでもあるもので、その方も何かで悩んでいたのかも知れません。

ご冥福をお祈りしたいと思います。

心の悩みではなく、肉体的な寿命という意味での残り時間がそう長くないと感じ始めたこみちですが、改めて「10年」とか「15年」くらいなのかも知れないなと思ったりします。

悲観的になって言っているのではなくて、日々の生活のちょっとした時に、「老いている」と感じる頻度が増えているのです。

確かに、思えば昨日と今日、明日で何かが変わるかも知れない若い人とは違います。

こみちの場合は、昨日も今日も明日も同じであって欲しいと思って、でも段々とできることが減っていると思うのです。

本当にどう生きるべきなのかを考えないといけません。

同世代のみなさんも、どうか悔いのない今日を生きましょう。