「同じ状況でも…」異なる生活状況

 最近、仕事探しの一環で

テレビ局が公開しているYouTube のドキュメンタリー動画が視聴しています。

その中で、両親を失ったある障がい者の生活を報じた動画がありました。

50代になっている障がい者は、多分70代や80代になる両親が日常生活を支えていたのでしょう。

しかし、年齢を考えると「順番」があって、残念ですが親から「迎え」が巡って来てしまったのです。

独り身になったその方は、まだ高齢者ではない(原則65歳以上)ので、高齢者向けの介護施設を利用することはできません。

そうなると、障がい者向けの施設を探し、両親が行っていた世話を公的なサービスで担うことになります。

しかしながら、日常生活のベースを一人でできない場合、今までの住まいを使いながら、部分的に支援を受けるだけでは生きられません。

生活基盤ごと変更し、施設で担える体制が必要です。

しかし、そんな施設を探しても、高齢者支援同様に簡単に見つかるものではありません。

実際、こみちも叔母の施設探しで心底疲れましたし、いろんな施設に相談もしましたが、簡単ではありませんでした。

そして、何より誰かを支えるとなると、労力や時間だけでなく、資金繰りも必要です。

現実的に判断能力が乏しい場合、後見制度なども検討しなければいけません。

高齢者の場合、認知症が進行し、既に判断能力が部分的にでも欠損していると、本人に承諾を得ることさえ容易ではなくなります。

「〇〇だから、〇〇でいいよね?」

いろいろ考えて出した話でも、その話を理解できない状況に直面すれば、本人の意思決定だけでは何も決まりません。

しかし、その人の生活を知らない第三者は、いいと思ってもそれが本人の生活スタイルとは大きく異なることだってあり得ます。

そんなこともあって、想定外の反発や怒りを見せた時に、支える側としてはどうするべきかを躊躇います。

かと言って、今の生活をそのまま受け止めることもできません。

ある意味で、叔母の件であったようなことが、ドキュメンタリーの中でも起こっていました。

在宅介護とは何か?

最近、母親の体力が落ちて、以前と同じような役割ができなくなっています。

しかしながら、父親への支援は何を置いても優先したいようで、昼間、料理をしない父親が食べるのに困らないようにと、スーパーで惣菜パックをいくつも買って来るようになりました。

膝が悪く、歩行もままならなくなってしまった父親は、食事制限をしないのでお腹も大きく太っています。

数年前までは、運動を取り入れようとアドバイスもしましたが、結局は何も実行されないまま時が過ぎて、今はそれでもしっかりと食べられるように食事のレパートリーばかりが増えてしまっています。

かと言って、低カロリーの食事を父親のために準備できる母親ではありません。

塩分や油を使った食品も、以前通りに父親は食べ続けています。

今のところ、幸いなことに膝以外は目立った健康不安もないので、それこそ好きなように生きればいいと思っています。

なぜなら、母親がいなければ、今の生活を父親も続けることはできません。

体力が落ちて、時々、軽い認知症状も現れた母親にとっても、できることは買い与えることかも知れません。

理想を考えるのも大切ですが、現実を受け止めることも大切です。

やはり準備もしないで迎えた老後は、思うような展開にはなりません。

それを無理やりしようとすると、家族の負担も大きく、別の誰かが疲労で潰れてしまうからです。

今は、日々をやり過ごすことでも、疲れやストレスを感じます。

いつも、リビングで寝転んでいる姿を見ると、やる気も失せてため息ばかりが出てしまうのです。

お湯を沸かすこともしなくなって、洗った食器を棚に戻すこともやめてしまった父親。

自分の食器も洗わずに、用意された食事を食べて、テレビを観ているだけになって…。

やはり、そんな姿を見ると、家族も引っ張られてストレスになるのです。