岡田斗司夫さんのYouTube チャンネルから気付かされたこと

 「やり切る」ことの大切さについて

人気のYouTube チャンネルなので、岡田斗司夫さんの動画を観たことがある人も多いでしょう。

恥ずかしながらこみち自身が、彼の動画を観たのは最近の話で、何より彼自身ではなくアニメの解説に惹かれて見始めたという経緯でした。

本来なら、「岡田斗司夫」さんのことを語るべきなのですが、あえて詳細は各自で確認してもらうとして、ここでは「やり切る」ことの大切さに触れたいと思います。

こみちは自身でも絵を描くのですが、アニメが好きという部類でもありません。

熱中して読んでいたのも、漫画本よりも圧倒的に小説でした。

しかし、人気のジブリなどは知っていて、彼が分かりやすく解説している内容を知り、「へぇ〜、そうだったのか?」と感心させられました。

その中でも、大きな気づきだったのは、「幼いフォルムで描かれる登場人物」たちです。

正直なところ、幼児体型をしたフォルムに「萌え」ないこみちは、特別に描いてみたいというような感情を抱くこともなく、むしろ普通の比率で描いてくれた方がしっくりくると思うほどでした。

しかし、岡田斗司夫さんが「こうでもしないと、観られない」と解説していたことで気付かされました。

少し脱線すると、ある地方の閑散とした町で、若者たちを迎え入れた村おこし企画がありました。

たくさんのシャッター街に、若者たちのセンスでカフェやアパレルなど、周りを見渡せば寂れた町なのですが、彼らが集まる一角だけはなぜか「楽しそうで、未来への希望」を感じられます。

これはこみちだけが思うことではなくて、「若さ」にはそれだけ大きなパワーとエネルギーがあって、例えばこみちのような中高年が同じことをしても、あんなにも「楽しそうに」は見えません。

話を本題に戻すと、岡田斗司夫さんが「そうでもしないと…」と言うのは、もしも哀しみしか無いストーリーで、中高年だけを描いてしまうとそれこそ悲惨さが助長されて、観るに堪えられません。

まぁそれが老いや介護の世界なのですが。

だからこそ、若く未来に満ちた登場人物たちを用いて、過酷な世界をアニメなら作品として描けると教えてくれたのでしょう。

そんな風に気づくと、作者はリアルさだけを追うのではなく、伝えるために幾つもの工夫と仕掛けを用いて、描いていることが分かります。

つまり、何か目的に向かって進むなら、いわゆる実写の映像も方法ですが、アニメと言う形式だからこそ伝わるメッセージがあるはずです。

入り口だけを見ると、誤解してしまうことも、しっかりと内容に踏み込めば、作り手の気持ちがどれだけ深いものなのか知ることができます。

つまり、創作物の持つ価値や魅力も、「やり切った」ことでより多くの人に伝わりますし、岡田斗司夫さんのような方によってこみちが気付かされたように知る機会にもなるでしょう。

これをもし、どこかで曖昧に濁してしまえば、結局は何も伝わらないメッセージになってしまいます。

「やり切る」ことで、初めて評価される段階に立てるので、例えばアニメということだけでなく、日常生活の中でも始めと終わりを意識できれば、見え方が変わることになるはずです。

そんなことを教えてくれた岡田斗司夫さんに感謝しています。ありがとうございました。