「子どもに迷惑を掛けたくない!」という意見
番組の中で街頭インタビューに答えていた人の中に、「子どもに迷惑を…」と話す人もいました。
これは実際に介護施設に入居された方からも教えられた理由と重なります。
火の不始末など、高齢者の中には日常生活に不安を感じる方もいて、「もしも火事になってしまったら…」と考えた時に家族に迷惑が掛かると思ったのでしょう。
もちろん可能性の話で、起きないかも知れません。
ただポイントは、「1%の失敗」をどう理解するのかという部分です。
同じく街頭インタビューを受けた方から、介護施設は3度の食事とおやつ、あとは寝るだけらしいと話す人や、今の住まいを終の住処(最後まで住む場所)だという人もいます。
健康面での低下はゆっくりですが、転倒や認知症の発症などが重なるとその低下速度はまちまちです。
例えば、料理や洗濯ができる人でも、目の前にあるものが何か分からないということも認知症では起こり得ます。
つまり、可能性としては低いはずの自分では避けられない事態に対して、どこまで対処策を考えるのかがポイントで、それこそ何もなく自宅で楽しい老後を迎えられる人もいるはずです。
介護施設は入居金の金額よりも日々の食事を見るべき!?
以前から思うことですが、施設が好立地で豪華な場合、当然ですが入居金も高額です。
中には一時金が1億円以上という施設もあります。
館内には図書館や映画館、娯楽室やカラオケルームなどもあって、楽しく老後生活を迎える工夫が特徴でしょう。
一方で、介護支援のレベルには、要支援と要介護があり、注意喚起の要支援に対し、要介護は軽度のレベルから寝たきりレベルの5まで、5段階に振り分けて支援されます。
目安として、歩けないレベルが要介護3で、自宅での介護が難しくなって来る境目でしょう。
歩けない高齢者を車イスでトイレの前まで移動させ、便座に何らかの方法で移乗できるか、ベッド上でオムツ交換をするなら、まだ在宅も不可能ではありません。
しかし、介助者が腰でも痛めてしまえば、その人が今度は介護支援を受ける側になるので、どこまで介助者に無理をさせるべきかは検討するべきでしょう。
そうなると、要介護3はそろそろ施設利用を検討するべき段階だということです。
街頭インタビューの意見として、3度の食事におやつという生活を不便だと言う人がいましたが、介護士の立場になると、自力でトイレにも行けないレベルになって、趣味を謳歌したいと強く望む人は少なく、むしろ楽しく無理のない生活を望まれるケースが多かったと思います。
つまり、まだ在宅で暮らせる時とは求めることが変わっていて、それだけ「介護支援」される度合いも違います。
公的な介護施設は、民間の介護施設と変わらずに毎回の食事に栄養士のサポートがあります。
なので、安い施設では栄養管理もしてくれない訳ではなく、むしろ食事代の金額に着目するべきでしょう。
例えば、家で一人分の食事を朝昼晩作るとして、米や調味料、水光熱費まで含めて1日辺り1000円以内という制限は意外とギリギリではないでしょうか。
もちろん、安価な料理を作ればクリアできる金額ですが、時には刺身やステーキなどを口にしたいからです。
介護施設でも金額に差がありますが、通常の食事で三食分1500円前後が一般的だと思います。
一定水準以下の所得者には、さらに減額できる制度もあって、数百円で食べることもできます。
一方で、入居金が億超えの高価な施設だとしても、食事代は1日1500円前後だったりします。
つまり、出てくる料理にそれほど差がないということです。
思い出して欲しいのですが、要介護3を超えると、個人的な趣味よりも、のんびりした日常を求めるようになります。
そう考えると、大切なのは食事の味の他、噛みづらくなったら軟食を出してくれるのか、苦手な食材を別のものに変えてくれるのかなど、気になるチェックポイントは別にあります。
〇〇ホテルのシェフが作るというと、何か美味しい料理をイメージします。
しかし、介護施設は旅館やホテルではありません。
大切なのは、老後生活が住みやすいかどうか。
つまり、シェフが在中しているので、いつでも好きな煮物や好物をオーダーできるというなら選ぶメリットがあるでしょう。
というのも、「食べること」そのものを拒む利用者には、介護士が側に付いて、食事のサポートもします。
時にはスプーンを介護士が手に取り、「〇〇さん、お魚ですよ。味はどうでしょう?」などと声掛けしながら食事をします。
現場の状況を話すと、一人の介護士が20名くらいを担当し、時には誰かの食事支援をしつつ、食べ終わった利用者には歯磨きを案内し、各人の食事量を記録します。
また、食事後に服薬があると、その準備もするので、介護士は同時に何役もこなすのが通常です。
つまり、食事のメニューそのものよりも、食べられなくなったらどんな支援になるのかとか、そもそも施設にいることができるのか前もって確認しておかないと、それこそ1億円出しても、十分な支援を受けられないなら、立地代として出資したのだと割り切るべきでしょう。
とは言え、介護施設では利用者のパーソナルスペースをどう確保するのかが重要で、安全管理の面では介護士が確認しやすいことも重要ですし、個人のスペースも尊重されないと監視されているように感じるかもしれません。
つまり、信頼関係がどこまでできて、介護士がいることで安心できるという状況を作ることが介護施設としてはとても難しいのです。
一等地に建てる施設は、土地の購入さえできれば見通しが立ちます。
しかし、利用者から受け入れられる介護士を見つけるのは簡単ではありません。
各業務は確かにできる。でも何だか話しかけ難いスタッフに見える。
そんな介護士もいるでしょう。
なぜなら、介護士も人の人間で、勤務外では様々な個人的な問題を抱えて生きています。
利用者に仕えることで、身分や家族を守ってはもらえません。
それこそ、お金持ちの個人的介護士になれるなら別ですが、施設に勤務している以上、月給制だったり、時間給で報酬を受けているに過ぎません。
言葉として「ありがとうございました」と言っても、そこに感情がこもっているのか、そもそも介護士にそれを求めているのかも個人で異なります。
孤独感から不安定になる高齢者もいて、中には介護士が「〇〇さん、困ります」とある程度声掛けすると放置してしまうこともあります。
なぜなら、介護士もその人以外に多くの担当を持っていて、5分という時間さえかなり貴重だからです。
しかし落ち込んだ利用者の立場になれば、「なぜ生きているのか?」「なぜ施設に来ることになったのか?」と、理由や背景は理解できていても、段々と老いていく自分を感じて不安になることもあります。
そんな時には誰かの温もりが欲しくなりますし、介護士だって側にいたいのも事実です。
しかしそれができないのも現実で、それだけみんなもギリギリのスケジュールで動いています。
思い出してください。
公的な介護施設が、三食1500円前後だとして、高価な施設でも似たような金額だとしたら。
つまり、介護士がもらっている給料や人員数も同じなら、できる介護サービスも差がありません。
あるとすれば、介護士個人の力量と支えたいと思う信念だけです。
だからこそ、介護士の中には疲弊して離職される人も多いのです。
どこにお金を使っているのか?
実は掛けやすい土地建物とは違い、手間が継続的になるものほど、ポイントになります。
呼べば介護士がすぐに来てくれる施設でしょうか。
どうしても余裕がないと「お待ちください」と言われて30分も待たされることになります。
でも介護士としては、5分を作るために、30分間急いで業務を済ませています。
この余裕の無さの中で、もう少しお金の使い方を工夫できたら、より快適な介護施設になると思うのは、施設を利用してみたり、介護士になって働いてみたりして分かることでしょう。