「なぜ、人生は上手く行かないのか?」 仕事探しの途中で見つけたこと

 「人は失敗をする」生き物

大前提として、人は失敗をします。

どんな失敗かというと、もっと広い視野や見解があれば、到底そんな判断や決定はしなかったことを選んでしまうということです。

例えば「なぜ、生まれて来たのか?」「なぜ、生きるのか?」という問い掛けに「納得できる答え」を探してしまうでしょう。

事実、こみち自身も20代で考えたことと中高年になって分かったこととでは「答え」も変わりました。

これから先、どんどん老いて来れば、さらに今は正解だと思うことも変わってくるはずです。

つまり、結論を言ってしまうと、「自分が納得できる答え」というものに大きな価値などないということです。

5年後、10年後、何か環境に大きな変化があれば、今まで言っていたことも言わなくなるでしょうし、新しいことばかりに意識が向いて、昔を振り返ることもずっと先になるでしょう。

こみちが気づいた理由

こみちがこのことに気づいたのは、YouTube で岡田斗司夫さんの動画を拝見したことがきっかけでした。

彼が、「ガンバの冒険」というもう数十年も昔にテレビ放送されていた漫画を紹介し、そのアニメーションに携わったアニメーターの方が、当時を振り返り、やり甲斐ある仕事だったことを紹介してくれたのです。

こみちもこの「ガンバの冒険」を記憶していて、でも歌詞こそ何となく記憶していますが、どんな内容だったかまでは説明できません。

そこで、便利なYouTube で公開されている映像を探してみました。

ちょうど、1話から3話までが公開されていたので、オープニング曲から映像と歌詞を追いました。

すぐに気付かされたのは、作り手の熱量と、子ども向けでありながらそこに描かれた世界観は大人になっても壮大だと感じられることです。

岡田斗司夫さんがアニメーションの世界でも「リアル感を求められる時代」になったと語ったシーンがあって、たしかに実写のような映像を見て「手で描いたの?」と感心させられたことがありますし、絵が好きなこみち自身もそれを目指して描いていた経験も思い浮かびます。

よく話題となる、「トレース技法(下絵を透かして描くこと)」が描き手の評価になるのかという部分ですが、程度こそ違いますが、グリッド線を利用したり、ポイントをスケールなどで測って写しとることも、広い意味ではトレースと同じことをしているでしょう。

でもそれが本当に批判されることなのかというと、例えばアニメーションも背景をCGというか、CAD的なツールで量産されることがあると聞きます。

変化して欲しくない背景の印象を、いかに統一感を持たせてスピーディーに描けるのかと考えたら、自身で描くことにそれほど価値はありません。

むしろ、作品としてのトータルでのクオリティーの方が大切です。

「ガンバの冒険」でも、不要な背景のディテール(詳細)は、いい感じで省かれ、又は意図的に誇張されることで作品の演出に繋がっています。

つまり、単純なデッサンのように「見たまま」を描くことは、これから「描くこと」を表現の一つにしたい有益な方法でも、それ自体には芸術的な価値はまだありません。

むしろ人物でいう表情や感情を描きこんだ時に、そこに何か物語が生まれます。

そこに気付かされた時、こみちはどう生きなければいけないのかを知ったのです。

動画であれ、イラストであれ、例えば何かを描く時に「見えたまま」を描いている内は練習の部類になり、評価や作品として一歩を踏み出したいなら、意図や目的を含まないといけません。

つまり、「自分は自分」なのですが、「自分が何かの役に立つこと」で、初めて「存在意義」も生まれます。

写真と見間違える「絵」見せられても、「写真みたいだ!」と思う人はいるかもしれませんが、その写真に写っている風景から、そこにあったであろう物語まで想像できる人は稀です。

もっと言えば、一枚の写真や絵がきっかけでも、そこにBGMやストーリー性を付け加えることで、「価値」を持たせることができます。

そして、見た人にもっとダイレクトなメッセージとして何か伝えることもできて、結果的になんらかの形で役に立てるでしょう。

アートばかりではなく、この創作作業によって、それまで存在しているだけのものに、新たな力を与えることで、誰かの役に立てることが「生きること」の根源ではないかと思うのです。

料理をするのも、会社に行くのも、全てはただそれをしているだけでは意味がありませんが、そこになんらかの目的や意図を見出せれば、いずれどんな形でも誰かの役に立つはずです。

そして、「同じ役に立つ」にしても、失敗例として役立つよりは、成功例として役立てて欲しいのは誰もが感じることです。

不幸や失敗は人を選びません。

しかし、それを活かせるかは、その人次第です。

上手い行かないなぁと思うこともたくさんありますが、完全投げてしまえば、もう先はありません。

休んだり、気を紛らわせたりしながら、それでも何かを継続させる中で、「生きること」の意味を少しずつ感じることでしょう。

お金儲けだけでは、生きる意味を知ることにはなりません。

もちろん、お金って中高年になると大切だと感じますが、それ以上に「生きること」の本質を知ることで、失敗も怖くなくなった気がします。