メンタルを壊しそうになった時は

 最優先するのは「立ち止まってみる」こと

こみちの経験を話すと、メンタルを壊しそうになった時に自分では分かりませんでした。

妻がこみちの様子に違和感を持って、「大丈夫?」と心配してくれたことで気付けました。

当時の様子は、表情がなく、生活に無気力で、とにかくボンヤリとしていたそうです。

「〇〇すれば?」と言われて、「嗚呼、うん」と答えて動作が始まるという感じで、それこそそのまま放置すれば、完全にメンタルを壊し切っていたでしょう。

そこから生きるためのスピードを落とし、生活スタイルを変えました。

異変があってから約一年が経過しますが、日常生活は随分と落ち着いてきました。

しかし、数ヶ月前までは生活でのストレスに過敏で、ちょっとした変化でも心拍数が上がって、落ち着きを失っていたほどです。

その意味では、悪化を食い止めることができたと思います。

こみちの場合は、妻の気づきがあったのですが、みんながみんなそうだとは限りません。

特に一人暮らしをしていると、プライベートの変化を他人が気付いてくれるないかもしれません。

つまり、何があっても、最優先するべきは「心を完全に壊してしまわない」ことです。

刺激や変化に心が応じられなくなってしまうと、そこから回復するには時間も努力もたくさん要するからです。

認知症って何だろう?

介護福祉士の資格を持つこみちなので、「認知症」について職場で経験したことや親との同居で感じたことを踏まえて、少し紹介します。

認知症とは、大脳の機能低下が背景にあります。

血管が詰まったり切れたりすることでも起こりますし、神経細胞に異変が起こった時にも今までとは異なる感覚が生まれます。

つまり、本人にすると本当は外が晴れでも「雨」に感じる訳です。

その時に「晴れ」でしょうと説明しても、「雨」に感じるのだから理解できません。

不思議な行動に見えても、本人にはそれが変ではなく、むしろ何らか理由があってそうなっています。

本当のストレスとは何か?

多分、どんなに忙しくても、それが楽しいと感じているならストレスも悪い方には作用しません。

意識とは反して、「無理」をしていることがストレス障害に繋がる訳です。

来月、姪っ子の誕生日で、両親とこみち夫婦それぞれがプレゼントを買ってあげることにしました。

そんな中で、父親が「俺も5000円出した!」と自慢を始めました。

そもそもそうなった背景には母親が「お父さんもお金を出してくれた」と言ったからです。

「くれた」ではなく、「出した」に過ぎない話を、母親は毎回誤った表現で説明します。

それに便乗した父親も、「孫にプレゼントすること」を「出した」と捉えるのではなく、「喜んでくれるかなぁ」と出せることに喜びを感じても不思議ではないはずです。

介護福祉士の資格取得で勉強したことで、父親が一種の発達障害を持っているように思うのは、普通とは違う感覚や行動を周囲の反応にも気づかないでしてしまうからです。

両親と話すと、いつも理由と結果がこみちの感覚とは違います。

「俺も出したって…」と言いたくても、それを言って理解してくれるどころか、指摘でもすれば父親は不機嫌になってしまうのです。

同居を始めて、いつもテレビを観ているのですが、いつになったら実家の片付けをするのかと心配です。

老後をどこまで考えているのかと思うからです。

「言っても分かってくれない」という状況は、とてもストレスを感じます。

そして、本当にどうにもならないくらい行き詰まって、「どうしよう?」と言い出し、最後には「知らない!!」と頭を抱えてしまうのです。

なので、「5000円出したぞ」と言われたら、「ありがとう」とはならずに「フゥ〜」とため息になってしまいます。

親の介護はもちろん、職場でのストレスも、前向きなら乗り越えられます。

しかし、「意味がある?」と心で思いながら、形式に合わせてしなければいけないことが増えてしまうと、段々と心と体が疲弊していきます。

そんな感覚のストレスを感じた時には、心を壊す前に立ち止まってみましょう。