「人事を尽くして天命を待つ」って
思い返すと、この諺に出会ったのは18歳の時。
当時、受験生だったこみちは大切な時期にも関わらず成績を伸ばせないでいた。
「これくらいだろう」
こみちの昔から拭えない癖で、自身で手加減してしまうことが多い。
つまり、最後の最後まで全力でやり切ることができなかった。
勉強が好きな人、スポーツが得意な人。
いろんな長所を誰もが持っていると思うけれど、こみちにも少なからず得意だったことがあった。
それは周りの友だちと比べて感じていたことで、言い換えれば彼らと比較している限り、自身の得意なことだと思っていられた。
けれど、友人が変わる度に、勉強でもスポーツでも、もっと別のことでも自分が誰かよりも秀でているという感覚が薄れてしまう。
そしていつしか、何をやっても自慢できるようなことなど無くなっていた。
今にして思うと、得意ではなく好きなこととして残っているのが「絵を描く」ことだろう。
それだって、こみちよりも才能豊かな人をたくさん知っているし、「得意です」とは恥ずかしくて言えない。
自分の描いた絵が、プロのイラストレーターに依頼する指示書として使えたくらいで、どこをどうしても「作品」と呼べるレベルではなかった。
歌の世界でも、演技の世界でも、「絶対的なゴール」は存在しない。
でも、才能に秀でた人はひと目で存在感が違っている。
こみちという人間はいつでも、どんなに頑張っても「二流」か「三流」。
そんな人生を過ごして来た。
初心者が躓く「壁」、中級者が行き詰まる「壁」、トップ目前なのにトップにはなれない「壁」。
そんな「壁」が幾つものあるけれど、こみちはどこかで躓いて、越えられないまま周辺をウロウロしている。
ずっと先に進める人は、最初の壁など簡単に越えてしまう。
特に絵を描く中で、初心者の描く絵には共通点があって、そこで躓くとこみちのように数年を費やすことになるだろう。
「そのやり方ではダメだ」と気づくまでに、ある意味で無駄な繰り返しをしないとダメなタイプだ。
でも才能豊かな人は最初からそんな所で引っかかったりしない。
ポンポンと越えて行ける。
だからこそ、より遠くまで進めるのだろう。
「人事を尽くして天命を待つ」という諺はとても意味深い。
「人事を尽くして」と言い切れるまでやり抜くことができているだろうか。
そう自問した時に、どこかで満足し、自分でストップを掛けていないだろうか。
「もうこれ以上はできない」という経験を繰り返し、そこからさらに一歩進むくらいの意気込みがないと、絶対に「尽くす」ことはできない。
いつもどこかで中途半端なこみちだが、「あと一歩」という気持ちで挑めるようになりたいと思っている。