中高年の落胆 「親の在宅介護は簡単じゃない」と思うこと

 昨晩のことからの流れもあって

夕飯を食べて、いつものように後片付けが始まった。

最近、妻も母親も仕事が忙しくて時間が取れない。

父親は相変わらずテレビを観るしかできないから、こみちが朝食同様に夕飯を準備するかに掛かっている。

正直なところ、こみちの家事が増えると、長期的に判断して経済的に行き詰まる可能性が高い。

なぜなら、父親に続いて母親が仕事を続けられるのも、あと数年の話だからだ。

家事もできなくなってきた両親に、今さら食事の準備を頼んでも、できるのはスーパーの惣菜か、カレーや焼き魚などの比較的簡単な料理に限られる。

しかも、ここだけの話、母親には料理のセンスがなくて、なぜか味見を一切しないままでテーブルに出すから、塩っぱいとか味がないとか、濃いとか薄いとか、食べてみないと分からないことが常だ。

こみちも料理が得意ではないが、自分で作る方が好きなものを作れるし、味付けも合わせられるから落胆も少ない。

そして、昨夜、母親の呟いたひと言にイラッとさせられた。

「〇〇さんの家は、お嫁さんが料理しているし、洗い物もしてくれるから、食べたらそのままでいいんだって。羨ましいわ!」と。

料理?洗い物?

確かに自分たちが使った食器は母親たちも洗っている。

しかし、その他のシンクの洗浄や米とぎはこみちがしているし、朝は毎日作っている。

夕飯も外で買う時は買い出しに行っているから、母親がしている準備ってどれくらいあるだろうか。

しかも、母親たちの食器も、こみちたちと被る時は一緒に洗うように努めている。

理由は簡単で、母親に洗ってもらうと、時間も長いしキッチン周りがびしょ濡れになるからだ。

そう、あとが面倒になる。

自分たちだけなら好きに使ってもらえばいいけれど、結局はどこかのタイミングでこみちも使うことになるから、やりっぱなしのまま放置されたものを後片付けする意味では、早々に代わってもらった方が結局は良くなる。

しかも、お茶を飲みたいくて、ペットボトルからコップに注いでいたら、「これ、飲めない?ー」と飲みかけになった別のペットボトルを差し出される。

一口の量ではないが、それでも三口の量だろう。

しかも注いでいるコップに脇から注ごうとして、「置いておいて」と伝えたが、これまた聞こえないから注ぐのをなかなかやめてくれない。

「わかった。片付けるからそこに置いておいて」

怒りが込み上げる中で、それでも冷静に努めてお願いすると、「ペットボトルは潰してから捨てないといけない」と言い出す。

これまで何回そうして来たのか。

仮にしていなかったとしても、最初は飲めないお茶の処理だったはず。

一つ解決すると次に思うこと。その次、その次と母親の場合、際限なくお願いが続く。

つまり、どんなに家事を負担しても、負担した部分は最初から除外されて、残された部分をみて負担に感じるタイプなのだ。

父親の動かない性格も末恐ろしいが、母親も侮れない。

母親は天然気質で、話が頓珍漢になりやすく、それが軽い認知低下と合間って、さらに話が通じないことが増えた。

家族会議で問題点を相談しても、意見を伝えてはくれないし、後から話が違うと騒ぐ。

だからあの時に「それでいいんだね!?」と言ったでしょうと伝えても、そもそもそんな話合いなど存在しないと言い出すから厄介だ。

妻には、考え過ぎるなと忠告されたが、テンションが下がってくるとやはり4人での未来を想像できない。

妻に、「両親の介護する気あるの?」と聞けば、「親だよ」と返ってくる。

簡単に言うけれど、とても妻に親の面倒を見させるわけにはいかない。

ちょっとだけ良い流れになって来たと思うこともあったけれど、それ以上に両親といるだけで落ち込んでしまう。

実は家にいる時、こみちは昼抜くことが多い。

理由は簡単で、両親との食事を避けたいからだ。

食べるのが嫌ということだけでなく、作ることや後片付けまで結局は自分でみんなの分をしないと終わらない。

母親は父親のためにスーパーで出来合いの料理を買っている。

一人分なら食事も合わせて30分掛からないのに、三人になると味噌汁も飲みたいとか、盛り直ししないといけないとか、出来合いを買っていながらどこにこだわっているのかと思うことで二時間くらい掛かってしまう。

あまりに考え方が合わなくて、テンションが低いと本当に落ち込んで落ち込む。