「プロフェッショナル」になるとは?

 「アマチュア」が最高スペックなら「プロ」は最低スペースで判断される!?

例えば料理で、カレーをとても上手に作れる人がいます。

でも、どんなに上手に作れたとしても、それだけでは「アマチュア」の域でしょう。

プロに求められるのは、継続性とか、提供までの時間、衛生管理など、料理だけでなく、その周辺にある様々な問題点までクリアしていることが必須です。

ある料理人が、一食分を作るのはアマチュアで、30人、50人を賄えるのがプロだと言っていました。

このことから、「うまい」はある程度の練習で到達できる領域でも、それを安定的に提供するには「不得手」があってはいけません。

いつもとは異なることが起こった時でも、簡単に崩されないのも、経験や準備が蓄積されているからでしょう。

先日観ていた「モノマネ番組」から

テレビ番組で歌う出演者は、たとえ素人でも音程を外すことなどありません。

声もよく伸びて、「これが素人なのか?」と驚かされるレベルです。

では彼らが「プロの歌手」ではない理由とはなんでしょうか。

想像するに、プロになっても歌える場所が無いと報酬を得られません。

今であれば、YouTube で「歌ってみた」として動画コンテンツを発信することもできるでしょう。

しかし、それで稼げることが「プロの歌手」なのかというと、微妙なところではないでしょうか。

なぜなら、こみちもYouTube でイラストを紹介しています。

とても嬉しいことですが、「イイね」を押してくださる方もいます。

そのこととプロのイラストレーターであることは全く別の話で、個人的には依頼者の要望に沿ったイラストが描けないとプロとは思えません。

つまり、こみちは好きな絵を描いて、その絵に「イイね」を押してくださる方がいるということであって、やはりプロの仕事とは少し異なります。

歌手であれば、多くの観衆の前で歌い、その空間に一体感が生まれて盛り上がった時ほど達成感はないでしょう。

その意味でも、「上手い」という評価はスタートであって、そこから表現とか、味みたいなものが生まれて、その人らしさへとつながっていくはずです。

「プロフェッショナル」になるためには、基礎力が必須で、さらに地道に努力して幅や深みを出せるように努めなければいけません。

意外と、描き慣れた構図ではそれっぽく見せられても、依頼者の要望に応える技術は、簡単には修得できません。

プロフェッショナルな人ほど、その幅が広くて、少しくらい異なる場所でもそれなりにまとめられるのは、アマチュアにはない自信と意地があるように思うのです。