中高年の気づき 「コレに気づいたら」仕事は無くならない!?

 「無くなる仕事」を考えるよりも

まず、全ての手順を公開したとしても、99%の人がそれをマスターすることはできないということ。

これは、かつて有名なラーメン店主が、その味に惚れて弟子入りした人に発した言葉。

本当に大切なことは、どんなに細かく伝えても伝わらず、「伝わらない」ことを知っていなければ努力もできないということ。

なので、無意識に気づいている人は、何をした時でもそのルールに従っているので、どんなに時間が掛かったとしても、いつかは到達することができるのでしょう。

少し連想して欲しいのですが、「車の運転」で、上手い下手ってどこにあるでしょうか。

バイクのライディングテクニックの場合には「ブレーキング」などが挙げられますが、一般的な車の運転では「正しく流れに乗れるか?」ではないでしょうか。

本人も気づいていないこととして、「そのタイミングで?」という動作が増えれば、周りを走るドライバーはその度にリスク回避をして、車間を取って、流れに乗れないドライバーを支えています。

仕事でも似ていて、「パソコンが得意」という人でも、作成したファイル名や保管場所など、ソフトやアプリを使うことそのもの以上に、次に使う人や次に始める時のために準備できないと、その時々で「コレはどうなっているんだ?」と考える必要があります。

つまり、仕事ができない人は、共通して周りが面倒を感じるということ。

そしてできない人は、仕事そのものしか見ていないので、いつまでも「仕事とは何か?」に気づきません。

この記事の冒頭で、全てを説明してもほとんどの人がマスターしないと紹介しましたが、その真意は「手順」や「作業」ばかりを気にしていると、「なぜそのタイミングなのか?」というような「意図」が見えなくなってしまうのでしょう。

こみち自身も今になって「基礎の大切さ」を実感します。

というのも、例えば「イラスト」を描く時に最も重要なポイントは「下絵」です。

しかし、下絵を100%仕上げることを指しているのではありません。

色づけして感じるイメージは、下絵の段階では気づき難く、つまりどんなに下絵が完璧でもその後の作業中にも手直しがあります。

また、下絵が絶対に間違えていないだけで、その後の作業は流れに沿っていれば大崩れしないでしょう。

事実、下絵が曖昧なまま描き進めると、途中で下絵が間違えていることに気づきます。

つまり、描き進める作業と修正作業が同時になって、それこそまとまりがつかない完成品になってしまうのです。

絵を描くテクニックとしてトレースがあり、下絵を元に線をなぞり書きします。

こうすることで、初めて描く人でも下書きの狂いを最小限に抑えることができるでしょう。

同様に、トレースではなくても、紙に碁盤に目を描いて目印にする、距離を測って写し取るなど、下絵をより簡単に移植できます。

実をいうと、着色や仕上げが何となく理解できて、「下絵の大切さ」に気づけたほどです。

言い換えれば、「トレース」という技法はそれだけ画力を一気に向上させるもので、「下絵」を自信持って描くことは、中級者でもなかなか簡単ではありません。

屋外に出て、目の前に広がる景色をしっかりと下絵としてまとめるためには、家での作業以上にトレーニングが必要です。

水平線や垂直線が狂いやすく、イメージばかりが先行して全体としてまとまらないからです。

まして、描いている背後に誰かが立っていたりすると、それだけで緊張して描け無くなることも少なくありません。

ここまでで何が言いたいのかまとめると、「関係性」や「関連性」に意識を向けることができれば、仕事もイラストも努力しただけ向上できるのではないかということ。

バッハだったか、ショパンだったか忘れましたが、彼が作曲した楽譜を先生がダメ出しして、「どこにどんな音を加えられるのか?」と問うたそうです。

つまり、関連性が完璧なら、そこに何か足すことも、引くこともできません。

作曲そのものが100点満点ではなかったとしても、その段階ではもう「完結」の域にあるということ。

もしもそこで、問われた先生が、1つずつの音符を見直して、「この音は不要で、ここには音が足せる」と言い換えれたら、さらに彼らは才能を向上させたかもしれません。

それができれば、仕事が無くなる何でないでしょう。

なぜなら、その時々で必要なことが分かるので、むしろ健康とか、健全な精神とか、一歩踏み出せる気持ちを持ち続けることが大切なのだと気付かされます。