中高年の気づき 「幸せ」になれない理由はどこにあるのか?

 「幸せ」になる方法

「幸せ」になる方法は、とても簡単です。

それは「幸せ」だと思うことに尽きるから。

健康である。毎日、ご飯が食べられる。愛する家族と楽しく暮らせる。

「幸せ」を感じるポイントは人それぞれですが、「幸せ」になるのは意識次第だということ。

簡単と言うけれど難しい理由

残念ながら、人は全てのことを寛容に受け止めることができません。

誰かと比較してしまいますし、もっと楽に幸せになっている人がいると感じるからです。

まぁ、実際のところ、どんなに幸せっぽい生き方をしていても「裏の顔」はあるものです。

こみち自身で言えば、毎日、朝食作りと夕飯後の片付けで約2時間を消費しているのですが、もっと有益に使えることも分かっています。

例えば、何もしていない父親が、家族の食器を洗ってくれるだけでも、20分節約できるでしょう。

米とぎやゴミの後始末まで担当してくれたら、さらに10分短縮できるはずです。

でもそこにはいろんな理由や背景があって、やはり父親は動いてはくれません。

今は母親が夕飯作りを担当していますが、大半が惣菜や出来合いで、こみちの独身時代の食事と変わらない印象です。

仕事で疲れているということもあるでしょう。

リビングで寝転んでいる父親を見れば、「何で私が…」と思うのかもしれません。

しかし、父親に今の生活を与えたのは母親であって、ここまでの間にも家族会議で役割の見直しを求めた時期もあったのです。

でも「お父さんは家事をしていなかったから」と手伝わせることに否定だったのは母親で、「私がする」という解決策を選んできました。

当然ですが、今になって母親も体力が低下してくれば、以前のようには家事をこなせませんし、毎晩早めに自室に戻る生活に慣れると、自由な時間を満喫しているわけです。

これが両親に十分な年金でもあるなら、こみちも自由にすればと言ってあげたいのです。

しかし、そうではなく、今後母親が入院でも必要になれば、お金の面だけでなく世話もまた父親にはできません。

しかも父親はご飯の準備もできない。

放っておくと、冷蔵庫のたくあんばかりを食べているでしょう。

何より米とぎもできないし、させて来なかったので、今の時代、そんな老後は不幸でしかありません。

両親と暮らすようになって、彼らの私物も増えて、部屋の中も随分とごちゃごちゃしています。

いつ使うのか分からないものが、テーブルに置いてあって、でもそれは父親がテレビ鑑賞している時に使うものらしいのです。

いつも使うから出しっぱなし。

そんな生活スタイルが、いろんな場面で増えてしまい、家族が健康ならと思えば幸せですが、もう少し生活スタイルを変えられたらもっと豊かなに暮らせると思うと、これ以上幸せになれない理由もたくさん転がっています。

冷凍庫に放置された母親の買い物

今朝、冷凍庫を開けると、見慣れないものが隙間もないくらい収納されていました。

確認するとアイスクリームや冷凍パスタなどで、母親が買って来たのでしょう。

しかし、アイスクリームは別の引き出しに入れることになっていて、そちらには以前間違えて購入したアイスクリームがたくさん入れっぱなしになっています。

仕事先で買ったラズベリーも、もう数ヶ月、結構な量で場所をとっています。

「入らないから」という単純な理由ですが、どれくらい余裕があるのかも考え思い付きが母親には多くて、でもそれを受け止められる大きな冷蔵庫はありません。

結局はいつもの通りの生活が阻害されて不便になり、一手間掛ける無駄が増えるのです。

「幸せになりたい」と思って、今の生活を肯定的に受け止めようと思うのですが、生活していると至るところで遠回りさせられていると感じます。

毎朝、1時間掛けて家族分の朝食を用意しても、冷やご飯には目もくれずにしっかりと炊き立てご飯を食べている父親に、「少しは気を使え」と言いたいのですが、何か言えば不貞腐れ丸一日拗ねてしまいます。

それこそ「炊き立てが食べたい」と本音を話してくれたら、「じゃ、どうぞ」と言える大人ではあるつもりです。

しかし、理由や気持ちを自分の口で言えない父親は、拗ねることでしか感情を表せません。

以前はそれが父親の性格だと気にしていなかったことですが、何だかの発達障害の要因が関係しているのでしょう。

全てを受け止められたら、こみちも幸せになるのでしょう。

でもまだ、もう少し工夫できるのではないかと思ってしまい、「幸せになりたい」と思ってしまうのです。