「社会的ルールを守らない人」をどう理解するべきか?

 「身障者向け」駐車場に停める人たち

健康に見える人が「身障者向け」駐車場に車を停めると、何か違和感を感じることはないでしょうか。

そんな光景を見ると「ルール違反ではないか?」と憤りを感じるかもしれません。

また、実際に該当しないにも関わらず、「空いていたから」というような独自解釈で使用してしまうケースもあるでしょう。

今回、ここで触れたいのは、停める人たちを非難することではありません。

罰則を厳格化し、見つけると「通報」すればいいということでもないはずです。

もしもそのような手法を取ってしまうと、法律や条例など、それを定める側のさじ加減で社会そのものの快適さまで奪われてしまうからです。

ルール違反は「取り締まる」という風潮は、個人主義が進むほどに起こる考えかもしれませんが、本当に大切な部分は「絶対的ルール」とし、大人として個々に裁量できる部分はいい意味で「自己判断」に委ねた方が理想的な社会になるでしょう。

例えば、ある駐車場で見知らぬ人が倒れていたとして、その人に声掛けするためにやむなく「身障者向け」のスペースに車を停めた場合、事情を知らない人から「通報」されると人助けしようと思った人が罰則規定に引っ掛かります。

そうなった時に、「事情を話せばよい」という意見もありますが、「倒れていた」のではなく、「しゃがんでいた」、「靴ひもも結び直していた」という場合はどうなるでしょうか。

いずれにしても、「ルール違反」を取り締まるにも、「条件」があるはずで、それが曖昧になるほど、誤審も起こるでしょう。

もう言いたいことを察してもらえると思うのですが、「なぜ停めていけないのか?」を理解し合えることは簡単なようで簡単ではありません。

言い換えれば、それを規則にしなくても、日常生活が機能する社会を作れたら、もっと他の大切なことに力を注ぐことができるのです。

お金持ちになったら…

こみちはもしも自分が「お金持ち」になったら、どんなに幸せになれるか考えてみました。

最大でも3000万円あれば、今思いつく全ての「物」が買える計算です。

それ以上があっても、使い方が分からないし、無駄に使うことでしか消費できません。

言い換えれば、MAX3000万円がこみちという人間の「器」です。

人によっては、高級外車を1台ではなく、100台欲しいと言い出すかもしれません。

しかし、100台を自分で維持するとなれば、もうそれだけのために生きているような生活でしょう。

そうなった時に、「人を雇って管理してもらう」と、100台ありきでお金を使いたがるかもしれません。

つまり、身障者向け駐車場に停めるか否かも、説明して理解できるものではなく、設置された理由やもしも自身が使わなければいけない時に使えない不便さを考えて、「今、その使うべきタイミングなのか?」を個々で判断すればいいのです。

「歩くのが面倒」という理由で選択する人が増えれば、社会はそれに合わせてどんどんルールを細かく設定し、気づけば生きづらい世の中になっているでしょう。

身分証がないと入れないとか、一定金額以上の収入が無いと使えないとか、いろいろな方向から我々を縛ります。

憲法に保障されている「法の下の平等」も、無条件で「同等」という解釈ではなく、「条件」に合わせて「同じ処遇を受ける」に過ぎません。

つまり、現時点ではあり得ませんが、「いい人」には優遇されたサービスがあって、「悪い人」にはそうではないサービスが待っているということも、考え方によっては「法の下の平等」になり得ます。

ただ「いい人」ってどんな人なのかを定めることができないのですが、この部分を誰かがある思惑だけで設定してしまうと、社会の快適さは一変して失われるでしょう。

つまり、本当に必要に感じる物に囲まれるから幸福なのであって、誰かに自慢するためだけに見栄を張る生き方では、結局のところ社会を歪にさせてしまいます。

それこそ、1%の人がルール違反をしても、99%の人が守ることで社会を維持できるます。

しかし、50%が違反すると、もう残り50%が守っても意味は成しません。

そうなれば、そもそも「お金持ち」という概念さえ、存在しない社会になります。

欲しい物は買うのでなく、持って行ってしまう。

そうなってしまうと、そもそも「買うこと」さえ意味を失うでしょう。

自分が成功したいと思う人ほど、自分に厳しくなるのは、それでしか社会が維持されないことを理解するからです。

「これくらいは許されるだろう」と自己満的に考えるほど、誰かも同じように解釈をし、それはつまり「成功」した時でも、正当な評価が得られないということになります。

「成功」する意味が失われれば、もう努力や工夫をしないですから。

個人主義が過度に進みすぎると、社会そのものをどう維持するのかがより大切になります。