「若さ」が失われる瞬間を考える

 「若さ」とは何か?

まだ10代、20代の方々から見ると、高齢者だけでなく、中年も「おじさん」に見えるだろう。

極端な話、こみち自身にも若い頃はあって、その当時に「おじさん」を積極的に観察したことはなかった。

むしろ、介護士になって、70代、80代、90代それぞれの年代の高齢者と接し、彼らの中でも置かれる立場や状況が異なることを知った。

改めて考えると、70代と90代の両者は、場合によっては親子関係になれる年齢差だ。

70代で介護施設から自宅に戻れる可能性と、90代とではかなり違いがあったとしても不思議はないだろう。

つまり、全く観察していなければ、高齢者と呼ばれる彼らもまた同じ扱いになってしまう。

もしかすると、10代から見れば、40代以降が同じに思えても驚かないだろう。

思うに「若さ」は、一気に失われるものではない。

個々によってピークも違うし、その後の下降パターンも差がある。

一般的には「35歳の壁」が大きくて、そこをどう乗り切れるかが人生を分ける。

なぜ、35歳前後なのかと考えてみると、それこそ「若さ」を第一理由にできたのが35歳あたりで第二、第三に降格するからだろう。

イメージとしては、若い人が本気で1日に「100」できるとしたら、40代は「75」くらいで、90代になると「10」できたら素晴らしいだろう。

というのも、90代で編み物をしている人は稀だし、日課として新聞を読む人も少ない。

ラジオやテレビ番組を楽しみに、曜日や時間を生活の中で記憶している人も減ってしまう。

つまり、「100」が「10」になるというのは、能力レベルということばかりではなく、「食べること」を最後まで残し、他の楽しみから失われる生活だ。

好きか嫌いかは別にしても、「食べる」以外に好きなことがある人はそれだけ若い。

「考え方」にも若さは現れる!?

「何かについて考える」ことを第一段階とするなら、変動する状況や条件、相手の立場を考慮した考えは、第二段階になる。

つまり、自動車を運転して、合流でタイミングが悪くなってしまう高齢者は、運転する能力はあっても、他人のタイミングを考えるのが不得手なのだ。

仕事でも、営業や接客などは、お客様あって成立する。

年齢が上がってくると、それらを改めて覚えるのは大変で、どうしても「マイペース」でできる職種が好まれる。

誰にもがその傾向にあるから、「資格」などを取得して、低下しがちな能力を活かせる方法を考えるのだろう。