中高年世代の現実 介護を控えた両親との生活

 個人差かもしれないが…

中年世代と高齢者に明確な差があるとしたなら、そこは「生きるモチベ」ではないだろうか。

言い換えると、中年でも日常に目標がなく惰性になっていたら、いわゆる高齢者の特徴と被る。

また、高齢者でも毎日が充実していれば、中年期がまだ続いていると言えるだろう。

その意味で、我々にとって「仕事」が与える意義は小さくなくて、特に男性で家事が不得手な人は仕事を辞めるとすることが無くなりやすい。

一方で、女性の場合、家事はもちろん、趣味や友だちと旅行に行ったりして、年齢を問わず人生を楽しんでいることが多い。

こみち家の父親

もう10年以上も前に仕事を辞めて、今は特に役割もなく、父親は生きている。

料理ができないというか、誰も教えないから、できる家事は限られている。

キッチン回りを拭いたり、食器を片付けたり…。

ただ、こみち家の父親の場合は特徴的で、「項目」としてできても、「状況」を判断できない。

例えば可燃ゴミの日だからゴミを集めるとか、まな板を漂白するとか。

たまに包丁を研いでくれるのだが、基本を覚えている訳ではないので、研ぎ方にムラがある。

仕事が雑なのだ。

これは他のことにも言えて、最後は誰かが確認しないといけないから、「任せる」というよりも「手伝ってもらう」という粋を超えない。

その意味では、高齢者になる前に男女問わず家事を最低限できるようになっておいた方がいい。

こみち家の母親

毎朝、食事を作るこみちのために、前日の夜に何か作っていてくれたりする。

今朝は、マカロニサラダが作ってあった。

助かる部分と、それが制限になることがある。

つまり、そのマカロニサラダに味がなくて、あまり美味しいとは言えない完成度なのだ。

感性で料理する母親は、美味しい時とそうでもない時の差が激しい。

特に肉料理は、ゴムの板を食べているのかと思うほど、火が通り過ぎている。

なぜなら、母親は肉が嫌いで味見をしない。しかも、美味しい肉料理を食べても美味しいと感じていない。

妻もその状況を理解しているようで、作ってもらえるだけでもありがたいと言っている。

昨夜、父親が拗ねてしまった!

いつも自己中の行動をする父親に、仕事帰りの母親が怒ったらしい。

「少しは何かできないの?」

そんな言葉に父親は癇癪を起こし、自分の部屋に閉じこもってしまった。

とは言えいつものことで、きっと今朝はけろりと出て来てご飯を食べているだろう。

じゃ、昨夜父親がするべき家事(と言ってもほとんどないが)を家族が代行したことはどうなのだろう。

もうそんな問いかけなど無駄過ぎて、それこそ何か役割を頼んでいたら、ドタキャンされてしまう。

それがどれだけ周りに迷惑なのかを考えることよりも、自分の思いが否定されたことをアピールしたいのだ。

昔はそこまで酷くなかったと思う。

本格的な介護でも始まれば、一体どうなってしまうのか悩みは尽きない。