中高年の闇 ふと「辛くなる」気持ち

 やはり現状に満足できていない!?

朝、何のために早く起きて食事の準備をしているのか分からない。

ご飯を作り終えた6時ごろ、家族が起きて来てそれぞれの準備をする。

父親は洗ったばかりの食器を棚に戻し、母親は冷蔵庫から漬け物を出す。

これらの行為に特別の意味はないのだけれど、今さっきまで食事を作ったこみちにすると、何か気になる行為に映る。

父親や母親によるある行動として、「少しだけ手を出す」という習慣がある。

そうすることで、共同行為にするのだ。

実は昨日も、父親がキッチン周りを丹念に拭いていた。

でもまだこみちたちの食事も終わっていないので、どんなに拭いたとしても一瞬で水滴が飛び散る。

こみちからすると、みんなの食事が終わったタイミングでキレイにしてくれたら嬉しいのに、「みんなのため」にはならない。

その意味では、食器を早々と片付ける行動も同じで、手伝うならもう少しタイミングを考えて欲しい。

いつも「した」という印象が残るのに、その効果がすぐに消されてしまう場合が多い。

何かを担当してくれたら、その分だけ他が楽できるのに、そんな風にはならない。

急いで食事棚に戻すくらいなら、朝の内に玄関先でも掃いてくれた方がみんなのためになる。

でも肝心なことは何もできなくて、いつもポーズだけになってしまうのだ。

「介護」と言ってしまえば、そうなのだが、気持ちが落ちている時には正直つらい。