中高年にとって 「一歩」を踏み出す大変さ

 思考の捉え方

最近、よく思うことは、「フレーム」という考え方。

ある「フレーム」があると、その内側へと思考が進む原則がある。

具体的な例を挙げると、「仕事でミスをどう減らせるか?」や「痩せるにはどうすればいいのか?」というような悩みは、それぞれが1つのフレーム内で解決できる種類だ。

一方で、「幸福を掴むには?」とか、「あの人と親しくなるには?」という悩みの場合、フレームが複数だったり、別のフレームを設定する必要が出てくる。

先の例と後の例で決定的に違うのは、「課題の克服」に必要な要素が自身の努力だけでできるか否かだろう。

さて、今回の話は後から挙げた例で、そこには「一歩」を踏み出すことが必須だ。

時々このブログでも触れるこみち家の父親だが、いつもはテレビを観て過ごす。

でも、何かのタイミングで動き出し、リビングの周りを掃除機で掃除することがある。

しかも、一時間以上。

こみちが仕事をしている時は、「いつになったら終わるのだろう?」と思うほど長い。

ここで父親の行動から学ぶべきポイントは、父親自身が「家族」の負担を軽減するために掃除しているのか、自分のためだったのかということ。

それを見極めるポイントは、一歩を踏み出したきっかけである。

経験者なら分かると思うが、家事は手間を掛けるといくらでもできてしまう。

掃除で言えば、部屋、廊下、階段、玄関、トイレ、キッチン、風呂場、脱衣所、庭に窓とそれこそ挙げればいくらでも出て来る。

そうなると、「思いつき」だけで掃除をしていると、到底カバーできる範囲などではない。

つまり、家事として「掃除」をしようと思うなら、曜日や時間を決めて、ある意味で機会的に事務的に掃除をしなければいけない。

1週間ぶりにリビングの床回りを一時間、掃除し続けたとしても、それでどれだけ綺麗にできたのかということ。

つまり、「リビング」というフレーム内だけを掃除している限り、「家の掃除」は終わらない。

言い換えれば、「掃除もしない」と評価される。

でも本人からすると「掃除している」と思っているだろうし、むしろ褒められるべきだと感じるだろう。

こみちが父親の行動を見ていて感じるのは、父親は自分で作ったフレーム内を解決できても、別のフレームになると手が出ないということ。

つまり、「相手が求めること」「目の前のことをベースに次を考えること」のように、思考が1次元的ではないケースで、急に動きが悪くなってしまう。

それはきっと、自分の認識できる範囲を超えた部分を経験や想像で補い、予測や常識を駆使して様子見ながら解決するような行動が苦手なのだろう。

「お茶を一杯もらえますか?」といえば、父親もコップに注ぐことができる。

父親から「お茶をどうぞ」とコップに注いで出すこともできる。

しかし、汗だくになった人や暑い野外から帰って来た人が何を求めているかと想像することは苦手で、若しくは面倒に感じる思考になる。

結果として、汗だくで「表はとても暑い」と言われても、「冷たいお茶でも飲みますか?」には繋がらない。

つまり、フレーム内は解決できても、再設定や別の領域のフレームは解決できない。

老後を考えると、現在の両親の収入だけではギリギリで、まして母親が仕事を辞めるとなれば経済的な余裕がなくなる。

朝夕に食事の準備や後片付けをこみちが担うのも、両親だけで相談し自分たちの老後を考えて欲しい一環だ。

四人で分担するというフレームにすれば、結局は父親も今と何も変えないし、母親のために何をしなければいけないかを考えることなく老いてしまう。

そうしたくない気持ちもあって、経済面でも両親は二人で知恵を出し合って欲しい。

思いつきでリビング周りを掃除すればいいのか。

どう考えてもそれを求めている人などいないし、どんなに丁寧に長時間労働しても、リビング周りだけを範疇にする限り、父親の行動は褒められることもない。

なぜなら、リビングを含めて誰かが定期的に掃除しているからだ。

結局は誰かが掃除をしてくれて、父親は思いつきでフラッとしている気分になっていて、しかも自分でも掃除をしていると思い込んでしまう。

気をつけたいのは「愚痴」や「不満」を言ってしまう自分に対して

愚痴や不満を言ってしまう時は、少なくともその時に自分が幸福ではないからだ。

何か嬉しいことや楽しいことをしていると、少しくらい気に触ることがあっても流せるし、意識を他のものに移せるだろう。

つまり、愚痴や不満の根底には、自分が思うフレームがあって、そこだけで解決できないからこそ苛立ちに変わる。

こみち家の父親でいるなら、気になる行動を単に指摘するのではなく、父親に寄り添い、誘導すればいいだけだ。

「一緒に掃除をしよう。お父さんはここを掃除機で」

たったそれだけで、父親への不満は解消される。

しかし、何で自分が動かないといけないのかと思ってしまうから、その問題は解決しない。

愚痴や不満も口にしてストレス発散になるなら悪くないが、根底から解決したいなら、もう一歩踏み出して問題に歩み寄るしか方法はない。

むしろ、愚痴や不満ばかり出る時ほど、今の自分は満たされていないと思い返してみよう。

いい感じの時なら、細かい不満など言っていないし、楽しく仕方ないはずだ。