介護士として働いて感じること
これから紹介することは、正しいとか間違えているという評価は値しません。
ある意味、こみちにはそう見えていたというもので、言い換えればそれが「当たり前」だと思っていたのです。
まず、介護施設で働いて意識しているのは、こみちはダブルワークを始めて、介護以外の仕事にも手を出しました。
今後の予定を考えるといろいろな選択肢を模索し、介護の仕事を続けるかどうか、特に施設での介護士となるとより戸惑います。
回数を減らしても利用者たちが笑顔で迎えてくれることが支えで、みんなが温かく接してくれるなら介護士の顔を残しておくべきかと思うこともあります。
しかし、今の勤務している施設の環境は最悪と言ってもいいほど。
3度の食事を提供しているだけで、利用者の立場でサービスを提供しているとは思えません。
それを強く感じるからこそ、こみちは勤務した時は全力で頑張ろうと思うのですが、体力も気力もまる1日持った試しがないほど、クタクタになってしまいます。
ここからは勝手な想像ですが、利用者たちはそれだけ不満を抱えて、我慢をしています。
もしもこみちの親を預けているなら、別の施設を勧めるでしょう。
たとえ別の施設が同じようなものだとしても、今の環境よりも悪くなるなるなら、もう介護業界そのもの崩壊しているとしか思えません。
昨日の記事で、二人の利用者から気持ちを教えてもらったことを紹介しました。
でも、とても残念なことですが、全ての介護士が聞くことでも、考えることでもないのが現状で、話してくれることを本当にありがたいと感じます。
それこそ、今のような介護士という立場ではなく、もう少し異なる体験を通じて介護に関わることができのかと思うのです。
本来、こみちが上司で、組織作りや運営に情熱を持っているなら、やるべきこともいくつかあります。
しかし、それこそ異業種で働いていた時と比較して、介護業界では適切に報酬が支払われていなかったりします。
契約を変更した時そうでした。
こみちの施設側の評価は「こんなものなのか?」という感じで、日頃感じることや改善するべきことに踏み込む気力も生まれません。
ズルをして手を抜いても、責任を持って頑張っても、結局は誰も頑張りを認めてくれないので、とても残念に思った記憶しかないのです。
しかし、それでも頑張れるのは、利用者たちがいるからで、彼らのために何かできればという気持ちがなくなれば、もう介護士としても働きたくないほどです。
若い世代の介護士からは、90代の利用者は自分の親よりも年上の「高齢者」でしょう。
しかし、いつかは生きている限りみんなが通る場所で、介護を受けなければ生きてはいけません。
そう考えると、若い世代も今の健康的な心身をベースに想像するのではなく、老いた時にどんな気持ちや気分になるのかをイメージすることはできるでしょう。
そして、介護をする時に、敬語を使うことよりも、相手を思う気持ちが芽生えて、さらに寄り添えるケアになるはずです。
でもまだまだ、そんなエリアに意識は向かず、そして利用者の様子は当然ですが落ち着いてはいません。
「なぜ?」ではなく、「そうなるだろう」というのがこみちの印象です。
でも、それを施設として変えることができないので、悪循環が続いているのでしょう。
本当に不思議なくらいで、こみちからすると意図的なのかと感じるようなことがいくつも起こっているのに、スタッフは通常業務しか見ていない印象で、放置されている利用者たちの心に気づいていないのかと思うのです。
コロナの状況次第では、来年に入るとさらに勤務回数を減らしてもいいと思っているほどで、春には本格的に動きたいと目論んでもいます。
こみちが離れたら施設がさらに悪くなるとは思っていませんが、このまま対処策を講じないと、本当に近隣の施設に客を奪われてしまうでしょう。