「加齢による変化」が社会でも起きている!?

「加齢による変化」とは何か?

介護業界が扱う「介護サービス」の主な目的は、「加齢による変化」によってそれまで行えていた生活が継続できなくなった人を支援することです。

つまり、「加齢による変化」によって、人は今までできていたことができなくなってしまいます。

ここまでの話を聞くと、多くの人が「そんなことなら知っている」と思うかも知れません。

しかし、「できなくなる」とは、単に何か生活の一部が困難になるということだけにとどまらず、「進化」や「変化」にも対応できなくなってしまうのです。

特に「変化」に順応できなくなると、介護業界が中々発展できない原因とも重なります。

オレはまだ大丈夫!?

こみちもそうですが中高年世代になると、何かの話題が振られた時に「オレはまだ大丈夫」と自分は該当していないと思ったりしていないでしょうか。

特に日常生活で困難を感じていない場合、よりそう感じるかも知れません。

しかし、介護現場で高齢の利用者と接してみると、日常生活のほとんどは支援さえあれば克服できるものばかりです。

むしろ問題となるのは、施設での生活を維持するレベルから「在宅復帰」のレベルに引き上げる段階です。

というのも、在宅復帰とは年齢を問わず今まで行ってきた社会での暮らしに戻るということ。

生活面で起こるさまざまな出来事にも対応しなければいけません。

よくある例えば話として、連日の豪雨災害やコロナ感染者数の増加があげられます。

ニュースなどで現状を伝えられた時に「大変なことになっているぞ」と思うことは割と多くの人が可能な反応です。

しかし、そのニュースを耳にして、何をするべきかとか何に注意しなければいけないのかとなって来ると、個人の発想力によって差が見られます。

これは介護施設で働いて思うことですが、一般的に利用者の生活にはパターンがあって、行動だけでなく会話や気になることなどに特徴が見られます。

つまり、施設での暮らしでは、判断しなければいけないポイントを限ることで、利用者の精神的な不安や孤独感を抑えます。

中には、提供された食事を見て、「これはいくらなの?」と訊ねる人もいますが、基本的には金銭管理すら省かれた生活環境です。

例えば、在宅復帰を見据えた介護支援となった場合、できる限り利用者の基本動作を尊重した支援になります。

つまり、靴を履くことや衣類の着脱に関しても、できる限り一人で行えるようにしなければいけません。

ところが、施設の現実的な状況となると、介護士のペースなら5人は支援できるが1人の利用者に掛かってしまいます。

つまり、なぜそんなことが起こるのかというと「進化」や「変化」を伴う行為は簡単には行えないのです。

まだ支援を必要とはしない中高年世代でも、何かに固執したり、考え方を刷新できなかったりします。

「そこはもうこだわるべきではない」と指摘されても、今までの習慣や体験を捨てて、新たな価値観を受け入れることはかなりの負担を伴います。

介護士の仕事が効率的ではない理由

まさに介護現場の仕事は非効率なものがたくさんあります。

簡略したり、まとめて処理したくても、それを利用者が納得しなければ、一方的には行えないからです。

例えば、上着とズボンを着させる順番にも個性があって、それを無視しただけで怒り出す利用者もいます。

つまり、本人にすると手順が異なると安心できなかったり、違和感をなって落ち着かないのでしょう。

介護士が仕事を続ける中で、中断させたくないような状況でも、利用者は思い立ったら声を発します。

中には利用者のところに行きまで、永遠と騒ぐこともあります。

「少し待って欲しい」
そんな説明を受け入れられる時もあれば、自分の要求を最優先してくれないと納得しない時もあります。

しかし、業務上の判断からすると、やはり緊急性に乏しいような場面では、どうしても要望通りに優先することができなかったりします。

ここで理解して欲しいのは、高齢者と特徴として、状況判断を行う際の基本情報がどうしても狭くなってしまうことです。

ただし状況判断そのものができないのではなく、「範囲が狭くなりやすい」ということ。

勘違いして欲しいないのは、介護士に比べてということではなく、以前の本人との話です。

つまり、介護士の声掛けに納得してもらえない理由の中には、介護士の説明している内容が利用者の納得できるものではないからということも少なくありません。

特に「ルールですから」と言われても、「そうですか」と納得できないでしょう。
我々だって日常生活で何かトラブルや困ったことに直面し、相手からの説明を受けたくても「ルール」としか言われなければ、腑に落ちるはずもありません。

その意味では、利用者の想定された範囲を踏まえつつ、介護士としての役割や立場をどう理解してもれるのかもポイントです。

そして、それ事態は介護だけの話ではなく、現代社会で起こる様々な問題が同じような仕組みで起こっています。

なぜ、コロナ感染者が増加しているのか。

その原因はいくつも考えられますが、最終的には我々国民が克服するしかありません。

しかし、こんな時期であっても人と接することが避けられない立場の人や、これくらいならと自己判断で気が緩んでしまった人もいます。

すべての人が改善に向けて行動することができるのかというと、残念ながらそうではありません。

様々な理由から、異議を唱える人がいるからです。

ただ社会としては、最終的に終息まで迎えられなければ、いずれは医療機関の機能が停止し、抑制力も失います。

そのような状況になれば、「あの時の判断はミスだった」と分かっても手遅れです。

我々は自由と平等を共有しながらも最終的には責任も保持しています。

介護現場では、どうしても介護士の説明だけでは理解されることはありません。

そして、そんな中で介護士は非効率だと認識しつつ、仕事をこなします。

これが説明だけで適切に行動できるなら、介護士の負担は減るでしょうし、人手不足も解消します。

ところが中々業界に成長が見られないのは、動かせない理由があるからです。

当たり前の話ですが、行動に責任を持って、他人との接触と控えてくださいと言われて、本当の意味で守れる人がどのくらいいるでしょうか。

「食料品は買わないといけない」からと家族総出で買い物に行ってしまうことはないでしょうか。
もちろん遠出を控えれば、せめて近所での買い物くらいはというと気持ちも理解できます。

結局のところ、どこまでが良くて、どこからが悪いのかはわかりません。

ただあるのは、どんな結末になっても、医療機関が耐えきれなくなれば、爆破的に感染者数が増えて、助けられたはずの命さえ守れなくなるということ。

でもこれだけ瀬戸際になっても、例えば政治家は人を会うことをやめないでしょうし、我々だって買い物には行ってしまいます。

その意味では、介護施設での効率化は経験的に不可能です。

では社会はどうか?


結局のところ、「加齢による変化」は個人だけでなく社会全体にも起こっているのかもしれません。

「そんなに大変だったなら、きちんと説明してくれたらいいのに…」

もしもそんな風に考える人がいたなら、やはり感染者数は増えてしまうでしょう。

もう、自分で考えることや変化することを進めていかないと、誰かからの保護や説明を期待している間に社会は駆逐されてしまいます。

それだけ、我々が生きてきた時代とは変わってしまったということです。