介護サービスにおける「言語」の重要性

 「言語」とは何か?

ライターをいう仕事に憧れて、こんなこみちも小学校3年生くらいから国語の勉強をやり直した。

日本語は、一般的には主語を掲げ、最後に述語で締めくくることが多い。

ただ、口述と記述にはかなりの差があって、例えば英語を話せる人でも書くことができないという場合があるのは、口述がそれだけ曖昧な文法でも日常的には使えてしまうからだ。

介護士として働いていて、言葉そのものではなく、言葉の間合いから利用者の気持ちを感じることがある。

「ありがとうございます」

そう言われて、自分の頭をかきながら照れ臭そうに微笑んでしまう介護士も可愛らしいと言えなくもないが、「言語」という意識からするともっと深く広く相手の感情を汲み取ることができる。

勤務している介護施設で感じること

雇用契約が変更されて、こみちは以前よりも介護施設で過ごす時間が減った。

同時に、利用者の様子が変わったことにも気づく。

また、介護士それぞれもまた、気持ちが外を向てしまっている。

すぐに起こり出し、攻撃的な口調になった利用者もいる。

持病が悪化し、関連する病院に転院した利用者もいた。

そして、短期間のうちに、何人かの利用者が別の施設へと移って行った。

やむを得ない事情ということもある。

しかし、緻密に計算されて決定された選択もある。

利用者は信頼していない介護士には、本音を語ることもなく、施設を出て行ってしまうことも珍しくない。

現場の介護士は、余程、利用者のことを知ろうとしなければ、全て「やむを得ない」でまとめてしまう。

しかし、ここ半年くらいをじっくりと見比べてみると、負担が少ない利用者ほど居なくなっていることに気付かされる。

そして、どんな利用者を迎えることになったのかと言うと、自宅や他の施設で扱いきれずに困ってしまった高齢者である。

実際、徘徊や暴言、妄想など、利用者一人に対して介護士が付きっきりになることが増えた。

それだけ目が離せない相手ということになる。

まして、そんな利用者とのコミュニケーションを学んでいるならまだしも、つまり「言語」に対する意識さえイメージしたことがないままで、仕事として介護を続けているなら行く末は知れている。

つまり、正直な話、今の職場にはどこかそんな雰囲気を感じてしまう。

上がったり下がったりしているようでも、段々と低下傾向が続いている。

それでもこみちは「言語」を使ったコミュニケーションを試みた!

ある徘徊癖の強い利用者がいて、その場にじっと座っていることができない。

隙があるとフロアーを抜け出して、他部署の管轄エリアに紛れ込んでいたりする。

認知機能が低下してくると、徘徊もよく見られる行動と分析するのは簡単なこと。

つまりそれは、主語と述語だけで構成された文章並みにシンプルな考え方。

でも、意外と勉強ができた人に多い特徴で、キーワードと結論を一対一で関連付けていることが多い。

当たり前のことだが、「徘徊癖」にも理由や原因があるはずで、それを機能低下と言い退けるのは話を停滞させてしまう。

そして、利用者が発する「言葉」をこれまでの自身の常識や体験で推し量ろうとするのは誤解を招く。

つまり「急いでいる」と利用者が言った時に、「ここは施設なのでゆっくりして良いですよ!」と伝えて上手く同意を得られるだろうか。

挙げ句には、「何を考えているのか分からない!!」と介護士の方が怒り出したら、それこそ仕事を変えた方がいい。

また、自分だけが受け入れられるということを、得意げに思う介護士をよく見かけるが、それもほとんどの場合で意味も価値も持たない。

他人を理解する場合、もっとも低リスクな方法は、「無言での会釈」だろう。

なぜなら、「会釈」と理解されなければ、そもそも何も起こらない。

そして「会釈」と気づいたとしても、無言なところを踏まえるとそれ以上の接点はないから、あまり深く考えず、こちらも「会釈」を返しやすい。

とは言え、その段階ではコミュニケーションと言っても例外的な部類で、本来ならもう少し踏み込んでこそ相手を理解することができる。

「いい天気ですね!」

「今朝の冷え込みで、熱っぽいです。参ったなぁ」

そんな話題は、言葉を使うものの、あまり中身が伴わないから、言われた方も軽く返せる。

ところが、「そちらはボーナスどうでしたか?」と聞いてしまうと、「アハハ」と笑って誤魔化すか、聞こえないふりをしてやり過ごすのがセオリーだ。

それくらい、返答に困る問い掛けは、聞き手にすれば何をどう意図した発言なのかと勘繰らせてしまう。

そもそも論

もしも、本当に優れた介護士なら、言語を巧みに使うことができるはずだ。

そして、口述と記述との違いはあるにしても、場合によっては小説家やネゴシエーターとして活躍できるだろう。

理由は、利用者(つまり客)の求めているポイントを巧みに引き出せるから、こちらにって有利となる契約に繋げられるからだ。

ではなぜ、介護士に求められるけれど、「言語」に着目したり、深掘りしたりする人が少ないのだろうか。

理由はとてもシンプルで、それができるなら介護士以上に待遇のいい仕事に就いているからだろう。

言い換えれば、「言語」の持つ可能性や繊細さに気づいた人は、介護士として新しい境地を拓くことができるかも知れない。

一方で、介護現場に限界を感じ、同じ介護業界でも別の視点から取り組むような職種を探すだろう。

つまり、介護現場という職場では、「寄り添い」という言うような言葉を掲げるが、「言語」というもっと根底にまで遡ることは現実的に難しい。

それだけ高度な知識と専門教育を必要としているからだ。

事実、介護現場における「言語」をテーマに大学の卒論レベルにまとめることは可能だし、それ以上の世界観にもできるほど、奥深い話なのだ。

この短い記事で結論まで到達することはできないが、それだけ「言語」が壮大で奥深いものであると気づいてもらえたなら幸いだ。