「マズローの5段階」から仕事を考える

仕事とは何か?


中高年になった我々にとって、仕事とは何かを考える機会はほとんどないでしょう。

それは、仕事に対するイメージができ上がっているからで、学生時代に経験した初めてのアルバイトなど思い出すこともないからです。

介護施設では、若い十代の介護士が先輩方から熱い指導を受けながら働いています。

そして、中高年の我々とは全く異なる受け取り方をしながらも人間的に成長している姿に、働くことに必要性を感じます。

そんな仕事がもたらす影響をここで簡単に振り返ってみましょう。

まず、なぜ仕事をするのでしょうか。

人によっては収入面に不安がなければ寝て暮らしたいと思う方もいるでしょう。

時間的に自由なら、好きなことをしていたいと思うのでしょうか。

介護の研修でもよく使われる話として、「マズローの5段階」と呼ばれるものがあり、人は精神的な満足度に応じて承認欲求が変化することを学びます。

もう少し簡単に説明すると、お腹が空いたら食べ物が欲しいと思うわけです。

この欲求は、どんな人にも言えることでしょう。

ある程度、空腹状態を回避できると、心落ち着ける場所にいたいと思い始めます。

仕事をするということは、慣れない場所に出て行くことでもあり、人の目にもさらされます。

だから仕事をしたくないと思う人もいるでしょう。

安全な場所を確保できると、今度は人や社会から認められる人でいたいと思うようになります。

先ほどのコミュニケーションを得意としない人や内気な人であれば、この社会からの承認に大きな魅力を感じないかも知れません。

さらに進むと、自身の夢や希望を実現したいと感じるようになります。

このように欲求は、満たされるに従って少しずつ変化して行くというのが、マズローの5段階なのです。

この法則が誕生したのは20世紀のこと。

まだインターネットも一般化していない社会的に一世代前の時代です。

なので、自己実現をしたいと思うのは、社会から必要とされた後から、自身の存在や考え方を積極的に叶えたいと思うようになると導いています。

ところが、Youtube を使えば、社会からの承認と同時に自己実現を達成し、さらには収益まで得られるのですから、マズローの法則も随分と変化してきたことが理解できるでしょう。

とは言え、仕事を考えるためには、原則論に戻る必要があります。

仕事とは、「約束」です。

「約束」の1つが「契約」であり、「コンプライアンス」や「規約」です。

そう考えると、仕事は、NOルールではありません。

何でも仕事になるのではなく、決められた社会秩序に反していないことでなければいけません。

そして、年代や世代によって、何を仕事として捉えるかも異なります。

少なくともマズローの時代には、承認欲求の段階を考えても、YouTube という媒体を活用した働き方は仕事とは認識されなかったことでしょう。

仕事の始まりが約束だとすれば、どんな約束があるでしょうか。

もっとも原則的な約束とは、物を運んだり、取り除いたり、植えたり、刈ったりするような類いでしょう。

物理的な視点で、約束した状態に変化させることが約束になります。

効率的に仕事をするには、いかに大きな力で一気にさばけるかがポイントです。

規模ことが有意さを決めるポイントなので、力強いほど評価されるでしょう。

ところが、物を運んだりするだけではなく、より早く、または丁寧に、美しくというような内容も盛り込まれるようになります。

そうなると、乱暴に扱う人ではこの仕事を任せることができません。

どう扱うべきなのかを学び、繊細な要求にも応じられることが求められます。

介護の仕事でも問題視される部分で、作業すればいいという内容から安全性や負担の少ない作業方法が不可欠になります。

例えば飲食店やショップで、接遇マナーに関心を持つのは、単純に売ればいいというものではないからです。

当然、そこで働く人には客をもてなす術が求められ、「笑顔」であることもその一つなのです。

さらに進めば、生命や経済的に大きな影響を与えるなど、現代の社会でより重要な仕事に関わるには、「資格」が求められます。

携わるまでに多くの制限があるだけに、仕事に対する評価も高く、報酬も高額になりやすいのは当然の流れでしょう。

マズローの法則に照らしても、資格を取得できた人は、社会的にも認められる人であり、これから自己実現に向けて進んで行く段階だと推測されので、それだけ承認欲求も高い段階を迎えていると言えます。

先にも触れましたが、マズローの法則が誕生したのは一世代前。

つまり、社会からの承認欲求と同時に自己実現が行われることもあり得ます。

YouTube でも、チャンネル登録や高評価など、視聴者からの「承認」を求め、それが存在価値につながっているのは、マズローの法則が当てはまる部分でしょう。

少し昔、デジタルとアナログという概念が繰り返し議論されて来ました。

その違いと特徴は、デジタルはルールや設定などの約束事に従うのに対し、アナログは約束事を決めるところから始まります。

仕事が約束であり、その内容が時代によって変化しただけに、デジタル化は約束事と相性が良いのです。

一方で問題がない訳でもありません。

アナログでは、約束から作り出していたので、仕事を新たに生み出すことができました。

一方で、デジタルになると仕事が固定化される傾向にあります。

新たな約束事ができなくなると、過去の成果物をアレンジしてリメイクしようと動き出します。

「〇〇してみた」というYouTube でよく見かけるコンテンツは、「〇〇」という約束事があって成立します。

そして、〇〇こそがとても大変で、時間や習慣など、仕事として成立するまでに苦労が伴っています。

「違法コピー」の排除や、リライト記事の削除が問題視されるのも、生み出すまでの苦労を無視した行為は、仕事で大切な「約束」に反しているからです。

その意味では、インターネットが普及した今だからこそ、「仕事とは何か?」「約束」とは何か?」を考えることが有益です。

利便性が高まれば、プロセスよりも結論だけが求められます。

結果さえ出れば良いという流れが強まれば、わざわざプロセスに立ち返る人は出てきません。

しかしながら、仕事は約束事なので、結果同様にプロセスもとても重要です。

リメイクされた行為が仕事の主流になってしまうのは、それだけ新しい仕事が生み出されていないからです。

パロディは本物があるからこそ成立するのであり、マズローの法則でも自己実現として価値を創造することが最も重要な要求とされたのも当然でしょう。

新しい仕事に成長するの期間を持ち堪えられない時代になると、やがて時代は進歩を諦め、組み合わせとデジタルの進化に身を委ねることになります。

ある意味では、AIによる扱いやすい社会に統合され、アナログよりもデジタルあり気の社会から抜け出せなくなるでしょう。

介護の仕事をしていると、本当にアナログに戻ったことを感じます。

仕事は効率的に進みませんし、人間の生理的な欲求に応じることも多いからです。

しかしながら、どんなに時代がデジタル化しても、この仕事を完全に機械化することはできと思います。

もっとも人がアナログ的な要求を失い、デジタル的な考え方に染まってしまえば、介護も完全にロボットで賄えるでしょう。

人は脳だけを所有し、それ以外を機械に任せるような時代なれば、仕事も今以上に様変わりし、約束事を飛び越えて、全く別の定義に導かれるのかもしれません。