天才はなぜ1回で司法試験に合格するのか?
テレビの番宣を観ていて、「天才」っているんだなぁと思っていました。
あの難関資格をたった1回で合格する人がいるのですから。
そんな法律の資格に合格したというのは、介護の仕事で言えば「介護の基本知識」が備わっている人と認められたということ。
言うなれば、オムツ交換の手順を正しく言える人です。
実際の介護現場では、介護士の指示に従わない利用者も少なくなく、時に拒絶したり暴力を振ることもあります。
しかしながら、「利用者が従ってくれないのでできませんでした」とは言えないのが介護士で、「〇〇さん、横向きますよ」と声掛けしながらも作業を遂行します。
この達成力は、「知識」だけでは補うことができません。
法律の世界では、依頼者の話を聞く中で、確かに法的な権利は認められるものの、そこに大人としての妥協性が含まれるケースだってあるでしょう。
個人的な感情としては悔しいのかも知れないが、それに関わることでこれからの10年を費やすよりも、前向きな10年を歩んだ方が良いのではないかというケースだってあるはずです。
しかし、司法試験の合格で弁護士となれば、そんな依頼を受けながら法的な根拠をもとに問題解決に支援するのでしょう。
そう考えると、難易度こそさまざまですが、資格試験は本業にするまでのスタート地点に過ぎません。
記憶や事務処理に長けた人にとっては、現行の資格試験はとても適した能力の活かし方なのでしょう。
職歴が求めらる30代以降
20代までは、出身大学でその人の能力をある程度は予測しています。
あの大学に合格したのなら、これくらいの記憶や事務処理、現場処理ができるだろうと判断するからです。
その意味では、年齢を重ねるに従って、トップクラスの大学ばかりでなく、もっと幅広い人が期待を得られるようになるはずです。
特に30代を過ぎれば、出身大学よりも実績が求められ、特にコミュニケーション能力や管理能力など、記憶力や事務処理の後に欠かせない能力が身に付いたか否かを問われます。
大学職員や大学教授の方と話をすると、とても博識で穏やかな印象を持つことがあります。
しかしながら、一般のサラリーマンのようなガツガツした部分はなく、「学者さんだなぁ!」と感じされる独特さを備えています。
つまり、知識や事務処理を研究の分野に生かしていく中で、「学者肌」になって行くのでしょう。
高学歴なのに評価されないタイプは、このコミュニケーション能力や管理能力を問われてしまうのです。
問題解決力を高めるには
問題を解決するには、問題の原因を探すことから始まります。
医学の分野で言えば、利用者年齢既往歴、体温や血圧、表情や肌の色ツヤなど、判断のポイントをもとに原因究明を図ります。
数値化された情報を具体的な事例に照らすには、「現場経験」が不可欠です。
サラリーマンで言えば、幅広い仕事に携わり、失敗と成功に関わることで経験値を高めたか否かです。
介護施設で働く看護師を見ていても、同じ有資格者でも働きぶりに違いがあるのは、医療現場での経験数が関係しているのでしょう。
大学病院などで救急医療に関わった看護師は、それだけ生命の危険な状況を目の当たりにしているので、急変した利用者を見てもより適した判断が下せます。
ここ判断は、看護師的な知識をベースに、経験値を積むことで成せるのです。
同じようなことが、サラリーマンでも、介護士でも弁護士でも言えるわけです。
問題点を見つけ出して、それがどう問題なのかを判断するには、「経験」が不可欠になります。
特にこれから重要になるには、自身では解決できない問題に直面した場合でしょう。
問題の原因が見極めづらいケースや原因は特定できてもそれからどうすれば良いのか分からないケースなどがあるからです。
そこで専門家の経験を利用しましょう。
分からない者同士が憶測で議論しても、結局は結論を得ることはできません。
物事を共有したことで安心感を得ることくらいでしょう。
どんな経験が不足しているのか、見極めることができれば、問題そのものの解決策を見つけられなくても、解決への一歩を踏み出すことはできます。
介護士になって思うのは、介護の仕事はオムツ交換でも食事の支援でもなく、利用者やその家族に解決策を提案し実行することだと言うこと。
安全に介護支援するのは当たり前ですし、より寄り添った介護支援とは何かを考えてこそ、介護の仕事なのです。
つまり、深く考えると介護は難しく、自身の経験値だけではとても補えません。
そこで、解決策を見つけ出す行動が不可欠です。
場合によっては利用者家族から話を聞くことも必要ですし、他職種との関わり方からヒントが見つかるかも知れません。
問題を解決できない場合、問題に押しつぶされて正しくプロセスを踏んでいないことが多いようです。
医師や弁護士に相談する場合でも、医学的、法的根拠は専門家に委ねればいい部分、しかし経験の部分なら我々だって考えることができます。
「こういう風には言えないのでしょうか?」
そんな視点がなぜ否定できるのか、専門家なら明確に答えてくれるでしょう。
そこで、「いちいちうるさいなぁ」という顔をする人は、プロではありません。
なぜなら、そこが「プロ」の領域であり、ベースを実例に照らし合わせる重要な部分だからです。
そして、優れた専門家ほど、素人にも分かりような説明をしてくれます。
それは解決までのプロセスが合理的なので、聞いていて納得出来るからです。
「やってみましょう」「どうにかなるでしょう」というような説明は、時に必要な手段ですが、経験値に裏付けされた解決策とは言えません。
知識が乏しいと経験則に頼りがちですし、知識に頼りがちだと問題解決に進まないこともあります。
状況を分析して、予測を立て、それに向かって行動することができれば、問題解決の一歩につながります。
解決に向かうためにも欠かせません。