人間論!?
もしも介護職に就いていなかったら、こんなことを考えなかったのかも知れない。
なぜなら、人は様々であり、決して1つに束ねることなどできないと信じていたから。
もちろん、今だって1つに束ねることができるとは考えていない。
ただ、これまで介護の仕事をしていて、利用者やその家族、そして介護職たちを観察していた中で、共通点が見つかったからだ。
それはある意味において、「人間論」と言っても良いのではないかと思う。
「人間論」で見えてくるのは?
よく、人は平等だと言う人がいる。
それは嘘ではないし、すべてが当てはまるとも思えない。
ある人は、何らかの導きを得たことで、社会的に安定した暮らしをしている。
一方で、その人よりもずっと努力しても、超えるどころか足下にも及ばない暮らしを続けている人もいる。
これを平等だと言うのだろうか?
憲法にも「法のもとの平等」というようなフレーズがあって、誰ものがみな平等だというのではなく、同じ条件で同じことをすれば同じように法の裁きを受けることだと説明を聞いたことがある。
平たく言えば、「平等」でさえ、具体的なものではなく、論理的な意味を指しているのだ。
だから、まるっきり「嘘」ではないし、「すべてが本当」だとも言えないのだろう。
もっと別のことを挙げるとすれば、「人は自分がかわいい」ということ。
「自分がかわいい」の意味は、「自尊心」にも置き換えられるかも知れない。
そして、「自分がかわいい」ことを知っているからこそ、他人を同じように扱おうとする人がいる。
騙されたふりをして、「自分がかわいい」と思う人を救うことだって同じことだ。
この世には、「自分だけがかわいい」という態度を見せる人がいる。
「自分に甘い」を言われる人の多くが、このタイプに当てはまる。
「自分にだけ甘い」姿を見られてしまうと、相手は冷めてしまうし距離を置くはずだ。
まれに、心がとても広い人がいて、そんな甘い人の面倒を後悔も顧みずに続けられる人がいる。
失敗しても恨んだり妬んだりしないのだから、本当に心が広く、温かいのだろう。
他人よりも恵まれているということ
人は無意識に「自分の下」を探してしまう。
本来なら、問題点を見つけて克服方法を考えて前進すれば、「自分より上も下も」関係なくなる。
しかし、どこかで自分と他人は同じ道を歩んでいて、どちらが前を進んでいるのか確かめたくなってしまうのだ。
あんなにも、人の数だけ生き方があると言っておきながら、誰かよりもちょっとでも恵まれていると安心できるらしい。
つまり、自分の人生観を持たない人は、相手と比べたがるのだろう。もしくは、自分の周辺にある環境は、誰のものでもなく、自分だけのものと考えてしまう。
だから、「専用」「優先」「限定」という類いの言葉に弱い。
人から慕われる人になりたいなら
「誰よりも他人のために汗水流すこと」だ。
介護の仕事をしていると変わるが、どんなに難しい理屈や方法を唱えても、実際に動かない人の評価は低いままだ。
「誰よりも働く」ではない。
額に汗をかいて他人のために働く様だけが、周りを動かす力になるのだ。
「私が言っても動いてくれない!」
ある現場で、先輩が発した言葉だ。
それを聞いて動いた人は、先輩の気持ちを汲んだのだろう。
それでも動かなかった人は、「自分が動いていないのに?」「口ばっかりで、命令しないで!」と思っていたのかも知れない。
人が動くか動かないかは、どうやら指示や理屈が素晴らしいからではなく、それを発した人をどう思えたのかに尽きる。
「あの人に言われてもヤル気はないけど、あの人ならやっても良い」という心理が働いても不思議はない。
介護現場は、「人間論」でできている!?
利用者がお願いする時、声を掛けられる介護士と掛けられない介護士がいる。
掛ける介護士が有能だからではない。
自分のお願いにしっかりと向き合ってくれるか否かを判断しているのだ。
介護士がお願いした時、無言でも従ってくれる利用者がいる一方で、半分けんか腰になっていることもある。
互いに自分の信念があって、それがぶつかり合うと引くに引けなくなるからだ。
どちらかが一歩引き、相手の心境を察することができれば、そもそもケンカにはならない。
気が荒いと評判の人でさえ、何故かある人には穏やかでいられるというのも、否しかたやポイントの持って行き方が絶妙で、気づけばことが自然と進んでしまうのだ。
あれこれと意見がぶつかり、まとまらない会議でさえ、ある人が加わるとスムーズに話し合いが進むのも、根底に同じような理屈があるからだろう。
良い意見も発言しなければ無かったも同じ
ある人と話していて、「いいアイデア」を耳にすることがある。
「なぜ、それを伝えないの?」と思うのだが、心に秘めてしまう。
責任問題になるかも知れないから?
誰かに否定されるかも知れないから?
何より、自分が傷つきたくないから?
いずれにしても、ちょっとした考えを会議などで言わない人を目にする。
足りない言葉を補足してあげられる人がいれば、もっと発言できたのかも知れない。
また、発言することに慣れていないのもある。
自分の考えを自分なりにまとめることができれば、それをベースにみんなの想いを加えて「チームの考え」にすることもできる。