介護の仕事
介護の仕事は、利用者の生活を支えることです。
その内容は、食事から排せつ、運動や余暇と幅広いのが特徴です。
介護職は、利用者の手となり足となって、生活に潤いを与えられるようにと奔走します。
中高年にとって理想の仕事
家賃収入や投資家になって、一般的なサラリーマンのように働かないことを理想と感じる人がいる一方で、介護職のように誰かのために働くことを望む人もいます。
どちらかの暮らしが良いのかは、誰かによって決めるものではなく、自分自身が選んだのであればそれが一番です。
しかしながら、例えば会社の社長を務める人の中には、「孤独」を強く感じて毎日を暮らしている人もいると聞いたことがあります。
責任の重いポジションだけに、メリハリある決断を求められることは、精神的にも肉体的にもハードでしょう。
こみち自身、フリーランスになろうと思った時期があり、実際にそうしていたことがあります。
出社しないので、朝もゆっくり過ごせます。
それだけを聞くと、「自由な暮らし」は気楽に感じるでしょう。
しかし、自由な分だけ、不安感もあります。
ーー本当にこれで良いのだろうか。
きっと世の中の社長さんは、従業員やその家族のことまで考えながら、不安といつも戦っているのだと思います。
一方で、「介護の仕事」をすると「もっと効率的にできないかなぁ」と思うことが度々あります。
「ちょっと手伝ってください!」
何がどう変わるという内容ではありません。
それでも利用者にとっては、「大切なこと」で、日に何度も同じような呼び掛けをして来ます。
しかもそれは、時間が迫ったピーク時に重なります。
介護の仕事では、本来の優先順位とは別に、利用者を納得させるための順番があります。
時にまとめてした方が早い時でも、一度手を止めて別の一仕事を入れることも珍しくありません。
しかし、そうやって利用者の希望に寄り添うことが「生活の質」を向上させます。
変わった表現になりますが、「無駄こそが潤い」なのです。
介護の仕事は、一見すると無駄なことを継続して人々に感謝させます。
20代や30代の介護職が、異業種に転職する際に不安を感じるとすれば、「プロセスではなく結果」を求められることへの戸惑いでしょう。
ともすれば、介護職は非効率を良しとすることもあるからです。
具体的には、介護職が食事支援した方が圧倒的に早くキレイに食べられるとしても、できる限り利用者にお願いします。
手間取り、口の周りに食べものがついてしまうこともあるでしょう。
しかし、利用者が自分で食べる楽しみや、自分で手先を動かすことがリハビリにもなるのです。
できないから、非効率だからという見方をしないのが、「介護」なのです。
つまり、介護職の給料が上がらない原因があるとすれば、この仕事特有の「性質」が関係しています。
中高年になると、スピードやスペックだけで物事を評価できないことも分かって来ます。
時に無駄こそが味わいとなって、印象深い思い出になるからです。
しかし、時間を掛けてしまうことを評価すると、介護の仕事は仕事ではなくなります。
利用者に質の向上を促しつつも、決められた時間内で完結させることが重要なのです。
実際に介護の仕事を終えて帰宅すると心地よい疲労感が残ります。
「あの利用者がこんなこともできるようになったなぁ」と思い出すだけで、達成感ややりがいとなるのです。
一方で、仕事とは言え楽しませてもらった分、報酬としては異業種よりも下がります。
対局にあるのは、報酬は高いけれど虚しくなる仕事。
例えば、1年だけとか、この案件が終わるまでという風に、終わりが見えていればできる仕事もあるでしょう。
一生涯続けていける仕事を探す意味では、継続できることがとても重要なのです。
その意味で、介護の仕事は程よいバランスが取れていると言えます。
生活スタイルに近い沿った仕事なので、馴染みも感じますし利用者との空間は居心地が良いからです。
忙しいだけの仕事に疲れたら、「介護の仕事」を考えてみるのもアリだと思います。