ご飯は食べる父親の介護

 昨日、病院に行きたくないと聞かない父親

先にこみちが思う父親の世界観。

父親は多くを望んでいません。

ご飯を食べて、テレビを観て過ごしたい。

時々は好きなオヤツがあって、家族との団らんがあるだけでいい。

簡単に言えば、それだけなんだと思うんです。

でも、現実を言えば、誰が買い物をして料理を作り、失禁で汚れた衣類の洗濯をするのか?

支える家族は、一日中寝転んで何をしないように見える父親を強いストレスの対象に感じます。

特に母親の言葉がキツく、「もう施設に入ってよ!」と介護にうんざりしていることを父親に告げます。

「ねぇ、お母さん」と父親が呼んだ時も「何?」と声に優しさがありません。

広く見れば、父親は一切の優しさを家族に与えていません。

いつも自分が「愛」を受け取る側です。

食事を用意されて、「ご飯だよ!」と呼ばれてたべる。

父親にすれば、それだけで良い希望ですが、それを提供し続ける家族には大きな負担です。

実はおととい、妻とケンカしました。

もう激しく言い合うケンカではなく、少し言葉を交わして、互いを拒絶する冷戦のようなケンカです。

こみち自身ももう無理かもなぁと思いましたし、結果的にその後に話し合いをして、仲直りではなく、長く連れそう関係故の曖昧な結論で、その場を乗り越えました。

多分、互いに思う感情を改善できた訳ではなく、不満はそれぞれで解決するというような和解です。

その中で、妻はもう父親の介護にうんざりしていると言います。

その意味では、妻にとって私自身の評価も下がっているでしょう。

この人と一緒にいても、苦労しかない。

そう思われるのも仕方がない現実です。

2階で時には大きな声も出して話し合い、一階に降りた時、父親はテレビの前に丸まるようにしてテレビを見て、居眠りしていました。

父親には一番の幸せな時間。

でも家族はこんな風にストレスで関係を壊しています。

父親にとっては、細やかな幸せを願っているだけ。

でも彼と生きる人生って、やっぱりとても重いんです。

自分たちだけササっと食事を済ませることができないので、外出時に食べて終わりにはできません。

帰ってキッチンにたち、どんなに簡単にとは言え、30分はそこにいなければいけません。

でもそんな気持ちを父親には分かってもらえません。

俺のことは放っておいていい!

そういう雰囲気を出して、「お母さん!」と母親を呼ぶ訳です。

結局は、こみちたちには必要ないと言っても、母親に頼る。

そしてまた逆になるだけなんです。