発端は父親のトイレでの失行
昨日、トイレからなかなか出て来ない父親を心配して様子を確認していました。
トイレから出て来たものの、中を見つめて動こうとしません。
こみちがいることに気づき、リビングの方へ歩き出したのですが、トイレを見ると用を足したままになっていました。
便座カバーも汚れていて、トイレ掃除をすることになったのです。
まぁ、それはいいんです。
そして母親と妻に事情を説明したのですが、母親は「(父親はまだ)流せているよ」と言い、妻は何も言わずに不機嫌になってしまいました。
その反応を見て、こみち自身は二人に情報共有しようとしたことに深く傷つきましたし、一方でどうすればよかったのかとも思います。
例えば、トイレで手順が分からないことがあったら、先ずはキチンとお尻を拭けたのか、次はできるだろうかを心配するでしょう。
方法はいろいろありますが、いずれにしても放置はできないので対策を立てるしかありません。
根本的な問題はまだまだある
例えば、トイレで拭けないだけなら、ウォシュレットの便座に変えることもあるでしょう。
こみち家の場合、契約しているアンペアの関係で、その工事も必要になります。
以前、将来を見越して工事業者に見積もりまでしてもらったのですが、まだ今よりもしっかりしていた父親が「高過ぎる!」と言い出して、工事を断ってしまいました。
と言うのも、工事代を両親が負担するという話になっていたのもあったのですが、それで余計に勿体ないと思ったのかもしれません。
そして妻の目論みでは来年中に工事したいと思っているようですが、それを母親に相談するとまた話が進まないので、どうやらこちらの持ち出しで考えているようです。
それが転じて、「(こみち)もう少し稼いでよ!」と言う話になっています。
以前から、何か大きな工事があるとよくて折半で、悪いと打ち合わせから契約、工事の立ち会いまでこみち側の全面的な負担になっています。
もちろん母親たちが工事代を出すと言う話の時も、工事会社との連絡はこみち側でした。
お金もポイントですが、工事の連絡や立ち会いまでの流れって意外と時間も使いますし手間も掛かります。
これって意外と不満が出ることで、特にあの頃から全く動かないのに口だけは出すのが父親に対しては少しくらい自分で動いてくれないかと思って仕方ありません。
そんなことがあってからのウォシュレットを付けると言う話。
予定していた欲しい物がまた買えなくなって、ウォシュレットを付けてもらうと言うのは、正直、こみちにすれば残念な話です。
ウォシュレットも便利であると快適なのは分かっていますが、いつも両親のことが問題になって、お金を工面する流れになってしまうからです。
昨日、トイレ掃除した時もそう。
悪臭で充満したトイレに入って、そこから掃除をするって、意外と誰にでもできることではありません。
介護施設で働きたい希望者の中には、その臭いに耐えられずに数日で退職する人も一定数います。
好きか嫌いかではなく、生理的に受け付けないものなので、苦手な人には酷な話です。
例えば父親がいつか寝たきりになって、母親がオムツ交換をするだろうかと思ってしまいます。
「トイレの水を流せていない」と報告しても、「前はできていた」と言い出す天然さで、前のことではなく現状がそうだから、できていないことに注意してねと言う話なのに、その日の夜、父親を一人先に風呂に入らせてしまう辺りが母親で介護は大丈夫なのかと思って心配でしかありません。
最近、こみち、もう両親の話を完全には信用していません。
と言うのも事情を知っていて、別の時に話を聞いた時に「嘘」を言っていたことがあって、「〇〇じゃなくて?」と正した時に「そうだったかな?」と答えたことがあったんです。
妻は両親の介護のことで悩みたくない感じですし、父親がどうのとか話しない方がいいのかもしれません。
一方で母親は少し認知症のような反応もあって、「〇〇だったよ」と報告しても、「〇〇もあるよ」と必ず全く関係ない情報を言い出します。
そして問題は、伝えたことを理解して今後に反映させられないこと。
食器を使ったままにしないとか。ダイニングテーブルのイスは元に戻すとか。
いつも自分たちの都合で放置してしまうのも、言い訳ばかりで直してくれません。
しめじが3パックも冷蔵庫にあって、ピーマンもあるのにまた買って来る。
かと言って使っても食べてはくれず、別にまた出来合いのおかずも買っている。
それで工事代は出せないと言う流れになるので、本当に頭が痛いです。
そんな生活のままで、ウォシュレットって言われても、もう解決できません。