だからこそ
インターネットが限られた人だけのツールだった頃から、「IT革命」なるものが登場し、それからスマホが多くの人に浸透すると、ネット検索が当たり前になりました。
ブログもまたそんなネット検索の対象で、こみちなどは事務手続きの方法や趣味、買い物など、幅広く活用させてもらっています。
体調を崩して表に出ることが難しかった頃、いつも見ていたのはバイクツーリングのブログでした。
いろんな地域に仲間や配偶者を連れて旅する様子が癒しになっていました。
やはり、今の時代はAIが人の生活を変えてくれます。
インターネットが普及した頃もそうですが、技術力によって以前は難しかった部分が一気に身近になるからです。
当時でいえば「価格」を比較することって簡単ではありませんでしたよね。
「テレビ」を買う時に、同じサイズのテレビの価格でさえ、近所のお店を数店回るのがいい所で、そのメーカーのその機種同士で比較するなんてもっと難しいことでした。
でもそれが簡単になり、それはつまりメーカーにとって、販売店にとって、ビジネスの展開方法が見直されるキッカケにもなったはずです。
それがAIでも起きていて、ある意味でブログの役割も変わって来るでしょう。
既に何十年ものコンテンツの蓄積があり、それらは良い部分も悪い部分も含めてビッグデータです。
インターネットはそれらにアクセスする技術だったのですが、AIはそれらをまとめる技術と呼べるでしょう。
つまり、ブログはデータ化された情報で、AIの時代にはユーザーがアクセスするコンテンツではなくなります。
それではブログの存在も失われそうですが、だからこそ役割の見直しをすることで、生き残りがはかるのでしょう。
個人的に思う生き残りのポイントは、情報の提供にならないこと。
つまり、正しいとか、有益であることが重要ではなく、「こみち」と言う人間がこんなことをしてこう思ったと言う部分です。
例えば親の介護をされていて、こみちのように毎日悩んでいる人が、「こみちも同じように悩んでいるんだ」と思ってくれて、ここに立ち寄った時間だけは現実を忘れられたら、それはそれで意味があるはずです。
これを同じ役割をAIにできるのかと考えた時に、話し相手になってくれるとは思うのですが、同じような境遇だからこその繋がりは難しいように思うのです。
「頑張ろう」と言われても、同じような悩みを持つからこそ分かり合えることもあって、何も背負わないAIに「頑張ろう」と言われても、「イイね。何も背負っていなくて」となるからです。
なので、こみちとしては、無理しない範囲で、少しでも「こみち、何しているんだ?」と思ってもらえることが大切に思います。
いろいろ好き勝手なことを書いたりしていますが、気が向いた時でも立ち寄ってくれたらと思います。