「人間」って何なんでしょう?と言う話

 「人間」=「魂」+「肉体」!?

何も極端に難しいことを伝えたいのではありません。

単純に人間って何なんだろうと思うのです。

学生の頃、将来のことや友だち、自分自身で悩んだりもするわけですが、老いを感じて思うのは、(若い頃に)後戻りはできないということ。

17歳で見ていた景色が、20歳、24歳と年を重ねて、やはり感じ方も自然と変わるものです。

仕事や将来の悩みも同様で、当時はとても悩んだことも、その後になれば大きな問題ではなくなったり、もっと大変な悩みを抱えて、当時の悩みなどもう考えることもなくなったりするからです。

医療が進歩する今、人間の寿命が何年なのか分かりませんが、ある意味で何か他人よりも得意と言えることを作るなら、「10年」と言う年月を考えましょう。

つまり、「料理人」でも、「歌手」でも、「旅人」でも、何でもいいのですが、「私は〇〇です」と自分が何者か言えるには、それくらいの年月を使って初めて言えるようになると思うんです。

東大に合格できる人は確かに頭がいいと思いますが、一方でその間に腕を磨いて何か特技を持って、それで稼げるようになれたら、頭のいい人が大儲けしたとしても、自分らしく生きられたらそれで不満は感じません。

儲けられる金額で比べるから多い少ないが出てしまいますが、嫌いなことややりたくないことを仕事にして、限られた人生の時間をそれらに費やすことの方がもったいないと感じます。

嫌で仕方ない仕事をして大金持ちになるよりも、好きだし楽しいし、喜んでもらえる仕事で稼げたら、一番幸せではないかと思うんです。

こみちはそれが「絵」なんですけど、「なぜ絵を描くのか?」って、シンプルな自問ですが意外と簡単には答えが出ません。

それは、写真そっくりに描くことを「描く」と言うなら、それは簡単ですが、もっと違うと思うからです。

結局、努力する様とか楽しい雰囲気が重要で、それって今はまだ嫌いな仕事で頑張っている人に希望を与えることができると思うんです。

だからこそ、遊びみたいな描くということも、大人が本気で悩みながら楽しむことに意味があると思ってます。

こみちよりも上手く描く人も、AIもいるのですが、「アイツ、今回はこれを描いたのか?」なんて、バカバカしくも、大人が楽しむ様に何か希望があればいいなと思います。

大金持ちになりたいとも思っていません。

大きな家や高級な車を所有したいとも思わなくて、それは自分に必要ないと分かったからなのですが、結局は「何を残したいか?」と思った時に「描くこと」が残りました。

例えば、これから先、こみちにお迎えが来て、もう描くことができなくなったら、単純に人間として望んだ夢が終わったに過ぎません。

不幸でもなくて、描くことができなくなったというだけのこと。

結局、人間は想いを持って生きていて、それを叶えるために体があるということだと思うんです。

ケガや病気で体の一部が不自由になれば、制限ができてしまいますが、その制限で落ち込んでも人生ですし、できることを始めても人生です。

だって肉体を失えば、もうそこからは人間として悩むこともないので。

失うまでの間、残った体でどう工夫できるかが人間なんだと思うんです。

だから、大金持ちだけど、人間として嫌なこともたくさんした人よりも、自分らしく生きることに精一杯な人間でいたいとこみちは思います。

まぁ、器用に賢くは生きられませんが。